(これははてなブログからの引っ越し記事です)
ある休日の昼、どこかから帰ってきた父が、私の顔を見るなり「シングルドアマン面白かったよ」と言った。
私は一瞬のうちにここ2週間ほどの記憶を総ざらいしたが、「シングルドアマン」などという単語に聴き覚えはなかった。何の前提もなしに口に出してきたということは、それは何かの作品名だと考えるのが妥当だろうが、であればこれまでのどこかのタイミングで、父はそれを鑑賞しに行くことを話題にしていたはずだ。
それはさておき、「シングルドアマン」とは一体どんな作品だろう?父には観劇の習慣がないので、おそらくそれは映画だと思われる。
私が思い出したのはジョン・ラッツの小説『同居人求む』を映画化した『ルームメイト』だ。あれも小説の原題は"SWF Seeks Same"だった。原題に含まれる「SWF」とはSingle White Female、すなわち独身の白人女性のことで、作中で主人公が同居人を探す際に出した新聞広告から採られているものだろう。
「シングルドアマン」という響きから、私はまず、都会の人口密集地帯における傍観者効果とか、ひとつ隣のドアの中に誰が住んでいるのかも分からない不気味さとか、そういった視点を膨らませたサスペンス映画なのではないかと考えた。それは面白そうだ。私も観てみたい。
しかしながら、「ドアマン」とはそもそも、高級ホテルやアパートメントの入口に立ち、ドアの開閉を含む雑務と警備を担う職業のことである。そこにわざわざ「シングル」とつけているのだから、これはもしかすると社会生活の孤独をちょっとハートフルな物語で演出する類いの、『マイ・インターン』のようなヒューマンドラマかも知れんぞ、とも考えた。
私はもし鑑賞してしまうと自己嫌悪と自己憐憫があまりに大きくなるので、そういったヒューマンドラマの類いはあまり観ないのだが、父は年甲斐もなく時折そんな映画を観ては泣いたりしているので、その可能性は十分ある。ちなみに父はそんな映画の合間に『アウトレイジ』や『孤狼の血』のような血飛沫ヤクザ映画を喜んで観に行ったりもする。よく分からない人だ。
だが、実態がそのいずれにせよ、私は『シングルドアマン』なる映画の特報を見聞きした覚えがなかった。
以前書いたように、私は耳が良すぎるため、映画館の音響は強烈すぎ、三半規管にダメージを食らう。具体的には眩暈と頭痛、酷い場合は嘔吐である。
また眼鏡がないと5cm先のものも見えない強度の近視のため、虹彩がうまいこと働かなくなっており、視界のコントラストが健常者に比べて異様に強調されている。つまり暗いものはより暗く、明るいものはより明るく見える眼なのだ。
おまけに私はポップコーンが死ぬほど嫌いで、においを嗅ぐのもいっぱいいっぱい、というレベルである。
つまり何が言いたいのかというと、私にとって映画館という場所は、五感の全てに強烈な苦痛を与えてくる空間なのだ(味覚と触覚については、売店で買う烏龍茶がおいしくない上にすぐ薄まることと、座席が柔らかすぎて映画を1本観ると尻や腰が痛くなることで計上して頂きたい)。
それなのに、ああそれなのに、映画鑑賞そのものは好きなのだから始末に負えない。映画の特報や予告は割とアンテナを高く張って情報を集めているし、あの嫌悪されがちな、上映開始時間から20分は続く「近日公開映画情報」も楽しく観ていられるタイプなのだ。レンタルビデオの冒頭に入っている飛ばせない「近日レンタル開始映画」の広告も、存在そのものは別に嫌いではない。そのままシームレスに本編がスタートしてしまうことがあるのが嫌なだけだ。
そんな私の全く知らない映画が公開されていたのか。ヒューマンドラマならばともかく、サスペンス映画であれば面白そうで、きっと興味を引いたはずなのに。
と、私がここまで考えるのにはおそらく5秒と経っていなかったと思うのだが、会話のキャッチボールとしては完全に失敗している。ボールが転々と転がっている状態だ。パワプロの栄冠ナインでいうところの"魔物"が出たようなものだ。ところで性格が「内気」の球児を並べまくって魔物を出しまくれば甲子園優勝まで出来るって本当なんですかね。
堂前アナの絶叫が聞こえてきそうな状況にあって、私は何を言うべきか困惑していた。父は私が聞き取れなかったと思ったのか、もう一度同じ台詞を繰り返した。
「『シン・ウルトラマン』面白かったよ」
最初からウルトラマンの話であったのだ。そりゃまたブラボー、大変結構慶賀の限りであるなあ。ご存じのように私は例の監督(この映画では企画・脚本を務めているようだが)が好きではないので、誰が何と言おうと観に行くつもりはない。
私は脳の回転にエネルギーを浪費したことを知って、口を半開きにしたまま「良かったねえ」とだけ答えると、長椅子に沈み込んだのだった。