2022年10月12日水曜日

無敵のギター弾く人(または、腐敗卵)

(これははてなブログからの引っ越し記事です)

 突然だが、私は自分のことをあまり美化しない。

 こう書いてしまうと、諸兄らはきっと首を捻ることだろう。「自分を美化しない」と言い切る手合いは、大抵「自分が定義する自分」と「実像の自分」との間にあるギャップに気付けないほどの大馬鹿野郎であることが殆どだからだ。

 それであれば、いっそ自分を美化しきっている方がよっぽどよい。美化された自分という自己認識があればこそ、人はその姿を保つ、あるいは近付かんとして努力をするのである。そういう一種のノブレス・オブリージュがあってこそ、人は真に社会的存在たり得るのだ。著名人が社会奉仕をするのも、お笑い芸人が何かにつけ苦労話をするのも、インターネット上の漫画絵描きがすぐに「描かないと人権がなくなる」などとほざくのもその一環であり、詰まるところ第三身分、プロレタリア、消費者、底辺、諸兄ら、などと好きな言葉で呼べばよいが、そのようにノブレスではない者は「はっは、抜かしおる」と鼻でもほじりながら肘枕で寝転がっておればよいのである。

 その点、自分を美化しない人間は厄介である。何といっても担保される自己認識がないので、責務もなければ上昇志向もない。いわば無敵の人である。

 このように、私があまりに上昇志向を捨てきっているのは、何度か書いているように大部分は育ちのせいである。

 私は両親や親戚縁者など、本来であれば身近であるはずの大人たちから、努力そのものを褒められた記憶がない。当世風に言えば、褒められが発生するのは常に「成果」があった時だけであり、どれほど努力しても「成果」が伴わなければ必ず怒られが発生していた。更には両親の教育方針として、例え「成果」が伴ったとて、努力に報酬が支払われることはなかったのである。

 一般によく見られる話のように、テストで何点以上取ればお小遣いが貰えるとか、欲しかったものをひとつ買ってもらえるとかいった現物報酬は、規模の大小を問わず、我が家には一切発生していなかった。無論、勉強は小遣いや物欲を満たすためにするものではない。勉強は自分自身のためにすることであって、そこに外的動機付けを必要とするのはおかしな話である。それは全く正論であるし、その厳しくも公正な姿勢を20年弱に亘って貫いた両親の胆力には賞賛を送るものであるが、それはそれとして、一般にガキというものは、そこらの犬畜生よりも堪え性において劣る存在だということを、どうも我が親愛なる両親は知らなかったらしい。

 私は何度となく、ありとあらゆる交渉材料を用いて月々の小遣いアップを目論んだものだが、それらは両親という大蔵省の前では全て蟷螂の斧に過ぎなかった。

 努力しようがしまいが給料が変わらないとなれば、人は一体どのように振る舞うか?勿論、これは歴史が証明していることであるのでここでは子細を述べないが、それと全く同じ現象が我が家でも起こっていた。両親は私が可愛いあまり、私が彼らの子供である以前に人間である事を失念していたのである。

 共産主義はいつだって正しい。間違っているのは常に人間である。だから、人類は共産主義の敵なのである。共産主義の理想に殉じたければ、人類を敵に回して闘争するより他にないのである。かといって共産主義が殉死者に微笑み返してくれることなどない。悲しいなあ。

 さて、以上が今回の枕だが、既に冗長であるし、なんだかひがみっぽい。ちなみに、私が嫌いな言葉は「自己責任」である。言うまでもないが、こちらには常に自己責任からの自己批判からの自己逮捕からの自己刑死をする覚悟があるのだ。そこな並み居る凡骨どもとは気位が違う。共産主義も喜んで私を手駒にすることだろう。

 この度、ずっと以前に作ったギターを押し入れから引っ張り出してきたのだ。

 この雑文置き場でしか私を知らない諸兄ら(などというものが殆ど存在していないのは勿論知っているが、存在していないからといって説明を省けばそれは内輪ネタに伍してしまうのだぞ)には初耳かも知れないが、実は私はエレキギターやエレキベースを一通り製作出来るだけの教育と実習を受けている。それらの内容には大抵のリペア作業も含まれており、自宅にそれが出来るだけの設備や工具を買い集めることをしていたりもする。このギターは、その教育の過程で私が作った十数本の内の1本だ。

 ここで少しシビアな話をすれば、実際のところ、自分で作ったギターが使い物になることはそう多くない。きちんとしたテンプレートと工作機械を使い、規格立てて作業を行える環境であればまだしも、実習の一環なのだから、大体は毎回のように異なった仕様のギターを、基本的な工作機械と手工具で製作することになる。

 ギターというのは事実上精密工芸品であり、その設計も、一部でも仕様が異なれば全体の改設計を余儀なくされる場合もある程度には繊細である。つまり、同じギターという楽器を作っているようでも、要求されるスキルは毎回多少なり異なるのだ。

 これでは、何本何本も全く同じギターを作る、というちょっと現実的でない選択肢以外で、年限の限られた実習期間のうちに技術を習熟することは望めない。また、基本的にたったひとりの手で製作しているため、クオリティの向上にも限度がある。提出の締め切りだって設定されているのだ。勿論、作業自体に得手不得手の濃淡も存在する。

 その結果、大方の場合において出来上がってくるのは、ギターの形をした死んだ木なのである。素材にはきょうび個人で取引することは難しくなってしまった木材なども含まれていたりするのだが、彼らがその本懐を遂げているとは言いがたい。木材マニアが見れば泣いて地団駄を踏み、ついでに馬謖もKILLすることだろう。諸葛亮だって馬謖をKILLするときは半笑いだったと思う。

 しかしながら、本当に時折(工作機械に全面的に頼り製作の手間を極力惜しむという私の巧みな設計手腕によって)、少々まともな出来になるギターがある。それがこのギターだったというわけだ。

 ここは読み飛ばして貰っても構わないが、ちょっとギターに詳しい諸兄らのためプレイアビリティに関わる部分だけ説明してみると、メイプル平行段付き、フェンダーで言うところのCグリップのデタッチャブルネックに9″Rのロングスケール22F指板、フレットはミディアムジャンボでボディ材はマホガニー極薄塗装、ブリッジはハードテイルでPUはハム2発、という完全にヘヴィ系の音楽をやる仕様になっている。

 このギター、提出後の評価も相応にめでたかったと記憶している。実際ボディシェイプやプレイアビリティの高さも気に入っており、機会があればいずれ同じような仕様でもう1本……と思っているギターのうちのひとつだ。

 転居などもありしまい込んでいたのだが、ひょんなことから存在を思い出し、埃と黴にまみれたギターケースの中から引っ張り出したのである。先述のように塗装が薄いため、ギターケースを覆う黴に気付いた時はかなり焦ったが、内側には侵食しておらず一安心であった。ギターケースは無論捨てた。

 さて、いざ調整をして弾いてみると……これが思いの外良くはないのである。弦が死んでいるせいかと思い新しいものに張り替えたが、それでもだめなのである。様々試した結果、これはフレットのすり合わせが必要だという結論に達した。

 フレットのすり合わせという作業がどのようなものかは諸兄らが各位で検索でもしてもらうとして、これはあまり簡単な作業とは言えない。手間もかかるし、やり直しのきかないシビアな作業である。こればかりは経験値がものを言う。

 私にも一応、経験値というものは存在している。この数年、すり合わせを行うための工具や環境も整えてきた。万一やり過ぎてしまっても、フレットを打ち直すことが出来る環境すらある。

 それらを十分に勘案した結果、私は素直に外注することにした。つまり、リペアショップに持ち込むことにしたのである。

 諸兄らは問うだろう。何故己で落とし前をつけぬのかと。それはそれは口汚く罵るのだろうね、この私を。分かってますよ。

 何故自分でやらないかといえば、それはひとえに私が自分のことを美化せぬ無敵の人だからである。私は己の知らざると、足らざるを知っている。具体的には、慎重さと丁寧さと頭の中身が足りていない。うるさいよ。

 勿論、かつてこのギターを作ったのも知らぬ足らぬの私である。更には口も減らぬので三重苦である。さて、物作りなどをする諸兄らにはまだ理解の余地が残されているものと信じるが、物作りの現場において、往々にして最も信用ならぬのは自分自身である。ギター作りの三重苦を抱えた私が作ったギターなど、到底信じられたものではない。先述した仕様ですら、本当に正しいかどうか分からないのである。なお、少なくとも塗装の薄さだけは事実である。レンチを滑らせて目立つ傷をつけたからだ。

 私が贔屓にしているリペアショップはそう遠くなく、アクセスも悪くない。技術も確かだと知っている。そして、諸兄らが見ているインターネットでは到底言えないような、まさに価格破壊と言って差し支えない工賃で大抵の作業を引き受けてくれることも。

 私はリペアショップに直行した。リペアマンにギターを引き渡す際、これを自分が作ったという事実は伏せておいた。どのような形であれ、軽蔑を差し向けられるのは好まない。私がギター作りを学んでおきながら、すり合わせひとつ面倒くさがってやらないような輩なのだという軽蔑に、私は耐えられない。事実の指摘は時に人を傷付けるのだぞ。諸兄らは知らないかもしれないが。

 すり合わせは1晩で済んだ。リペアショップから返ってきたギターは、もう見違えたように弾きやすいものとなった。

 何においてもまず頼るべきはプロの腕である。私はプロになりそこなった、腐乱した卵に過ぎないのだから。腕が(頭も)足りないこと自体は、決して恥ずかしいことではないはずだ。腹を括って、素直に他者を頼ればよいのである。諸兄らもくだらない意地を張っている暇があるなら、さっさと開き直って楽になった方がよい。私はそうした。

 自分を美化せずに生きることの、何と都合のよいことか。ついた嘘を覚えておく必要こそあれど、その他は全く気楽なものだ。尤も、その嘘の重さが私を苛むことも多少なりあるのだが。諸兄らも、是非この底辺の気楽さを体験してみて欲しい。

2022年10月4日火曜日

台所の宇宙

(これははてなブログからの引っ越し記事です)

 今日、畑をしまった。

 我が家では猫の額ほどの裏庭に、これまた鼠の額ほどの菜園を作って野菜を育てているのだが、天気予報が気温の急落を告げたため、今年の野菜たちを始末することにしたのである。

 思えば今年は我が家史上最も収穫量に恵まれた年であった。初夏にはサラダカブや二十日大根などがゴロゴロと穫れたし、盆前にはハラペーニョとナスがなり始め、盆過ぎにはイタリアントマトが大量に赤い実をつけた。ミツバと大葉、バジルとパセリは時期を問わず、使いたい時にすぐもいで使えたため大変重宝した。

 一方でミニトマトと中玉トマトはふるわなかったが、生育に肝心な時期と生活が慌ただしかった時期とが重なって適切な管理が出来なかったためであり、こればかりは仕方がなかったと言える。ミニトマトで作るセミドライトマトのオリーブ油漬けが作れなかったのは残念ではあるが。

 さて、畑をしまうにしても、ただ引っこ抜いて捨てればよいというものではない。ナスもトマトもハラペーニョも鈴なり状態であるし、バジルはもう茂るにいいだけ茂っている。これらを食べないという手はない。

 まずバジルである。食用に向かない硬い葉や茎、花茎などを取り除いたのち、片っ端からミキサーに放り込んでパルメザンチーズとオリーブオイルとニンニクと松の実を突っ込んでぶん回し、所謂ジェノバソースを作る。大きめの瓶で2本の量になった。冷蔵庫に入れておけばしばらく保つので、これで食べたい時にジェノベーゼが食べられるという寸法である。ミニトマトとプロセスチーズを豚ロースの薄切り肉で巻いて焼いたものにかけてもうまい。

 次に取りかかったのはハラペーニョだ。私が推す消費方法は湯むきしたトマトとニンニク・タマネギと合わせて作るサルサなのだが、そう毎日サルサをタコスにかけてテキーラを流し込み、ギターを弾いている訳にもいかない。我々は陽気なメキシコ人ではないのである。

 ところで、我々がメキシコ人と言って思い出すのはあのつばの広くて尖った麦わら帽、ソンブレロを被ったステロタイプであるが、実はソンブレロはメキシコの人々にとっても古臭いものであって、実際にはパーティグッズと同格の扱いをされているという。本邦でいうところのちょんまげのヅラのようなものであるな。メキシカン農場主はソンブレロを被ったりなどしないのである。我々も紋付袴にちょんまげで出社したりはしない。勿論その自由はあるが、翌日から机はなくなることだろう。自由には責任が伴うのだぞ、グリンゴ。

 話を戻そう。辛味の弱い品種であるとは言っても、ハラペーニョは立派な唐辛子である。私自身はそのあまりの気高さゆえ、時折内省が行きすぎたあまり自己総括が始まってしまうことがよくあり、そういった場合に一種の自傷行為として辛いものを貪るように食べたくなることがあるのだが、同居する家族はそうでもないため、ハラペーニョ単体を食べる料理はちょっと出すことが出来ない。よって、何に合わせてもいいようにピクルドペッパーを仕込むことにした。なにせ、2本でも十分な量のサルサが作れる唐辛子が20本近くも穫れたのだ。10倍だぞ10倍。

 ハラペーニョはヘタを丁寧にそぎ落とし、さっと湯がいてから爪楊枝で穴を開け、保存瓶に入れて合わせ酢を注ぐ。酢とカプサイシンの効果によって、ちょっとびっくりするくらい日持ちするピクルドペッパーが出来上がる。今回は合わせ酢には極力香り付けを控えたので、漬け上がれば肉に合わせてよし、スパゲッティと合わせてよし、勿論ピザやホットドッグに乗せてよしの万能リフレッシュとなる。

 残すはナスである。大小様々なサイズが15本ばかりあったが、今回は大ぶりなものを選んで夕食のサラダにすることにした。皮を縞目に剥き、適当な厚みの輪切りにしてさっと油通ししたナスを、刻んだタマネギとバジル、酢とオリーブ油などで和えて冷やして食べる。これがまたうまいのである。

 なにせさっきまで土から生えていたのだから、ナスは新鮮そのものである。揚げ油に入れると、その実の緑色がもやの晴れるように濃くなる。その翡翠の如き色があまりに美しく見事であるので、この瞬間の感動はちょっと筆舌に尽くしがたい。油を切り、調味料と合わせると、酢の力で皮の色が鮮やかな茄子紺へと変わり、流れ出た色でタマネギが淡く薄紫に染まる。そこにバジルの濃い緑が散るのである。

 このサラダは、私が作ってきた料理の中でも格段に色の美しいもののひとつだと思う。完成した姿が美しい料理というのは数多くあるが、作っている最中の姿が最も美しい料理というのはなかなか珍しいのではないだろうか。

 私は別に自然派だとか印象派だとかいった手合いの人間ではないが、植物や、大局的に言えば自然が見せる色彩の美しさに時折はっとさせられることがある。また、それそのものが美しいことも無論あるが、人の手が加えらた時に初めて顔を覗かせる美しさというのも確かに存在しているだろうと思うのだ。

 それらの美について考える時、私は究極的に、人間に生まれついたことを感謝する。人類が根源的に持つ、美という得体の知れぬものへの探究心が自身にも流れていたことを感謝する。

 「例え世界が滅んだとて、人間は美を求め、美しいものを作ろうとするはずだ」とは『マッドマックス』を撮ったジョージ・ミラーの言であるが、この盲目的とすら言えかねない人類への賛歌を、私はナスを食べながら実感するのだ。かたや映画であり、かたや台所での一幕であって規模感はまるで違うが、こうした精神的、もはや霊的といってもよい、突然もたらされる感動という現象そのものは全く同じである。

 そしてそういった感動に自覚的であればこそ、世界は我々に長い腕を伸ばして、その内幕を見せてくれるのではないかと思う。美は感動によって見いだされ、そして感動が色褪せても美そのものは不変であると私は信じる。感動をもって世界を解釈することで、我々の眼前には無限の精神の沃野が広がるのである。

 さて、ある程度消費したとはいえ、残りのナスと真っ赤に熟れたハラペーニョ、十数個のトマト達はまだ台所に転がっている。トマトは加熱調理用の品種であるので、すり潰してケチャップを作る予定である。前回トマトを収穫した際に作ったのだが、これが本当にうまいのだ。このケチャップを用意し、卵を焼き、あとはソーセージなどを温めパンを軽くトーストすれば、他にはもう何もいらない食事が出来上がる。あまりにうまいので、一瓶空けるのに数日しかかからなかった。

 感動というのはそこここに物言わず転がっている。または物陰に隠れている。それを拾って集めることが出来るのは、我々が美を追い求め続ける人間だからである。願わくば、それに対して真摯であり続けたいものだ。