2022年7月22日金曜日

ある書店の死(または、記憶)

(これははてなブログからの引っ越し記事です)

 一昨日、本当にひょんなことから、ある書店の閉店を知ったのである。

 そして今日、私はあるホームセンターの駐車場で、買った洗剤を車に積み込みながらそれを思い出したのだ。昼過ぎとはいえ、日はまだ高かった。今日は夕食の準備を急ぐ必要もない。私はまだ7月だというのに異様な暑さの屋外や、冷房もなく風もあまり抜けない自宅にいるよりは、エアコンの効いた車の中にいた方がまだしも快適だと思って、その書店へと向かったのである。

 その書店というのは、かつてはどこの町にもあった、中規模程度のものを想像して頂ければ、概ね実態と相違ない。

 それなりに広い平屋建てで、ごちゃごちゃと本の並ぶ書架の壁を過ぎると、これまた乱雑に陳列された文房具や紙類、白地図などが客の往来を妨げんばかりに配置されている。これが書店部分で、建物全体の半分強を占めていた。

 もう半分は何だったのかというと、かつてはレンタルビデオ店だったのだが、こちらはいつの頃からか形骸化していて、今は空の棚が並んでいるだけの空間である。

 もとより書店部分とレンタルビデオ店部分の間に、壁や間仕切りは一切ない作りだ。今は虎縞の棒が渡されたカラーコーンが立ち並んでいるが、かつてはその間の線引きは非常に曖昧だった。レンタルビデオ店のレジで文房具が買えたくらいである。しかし書店のレジではレンタルビデオを借りることは出来なかった。

 駐車場に車を停め、蝶番が痛んでいるのかいつでも扉が半開きになる玄関を通ると、すぐ横にくじ引きとクレーンゲームが一体になっているタイプのプライズゲームが白々しい蛍光灯を灯していた。

 私はクレーンゲームというのが苦手で、この筐体で遊んだことはないのだが、私の記憶にある限り、陳列されている景品の中で最も価値の高かろうと思われるもの(それは主に、その時々の最新型のゲーム機であることが多かった)が排出されているのを3回目撃している。縁日のテキ屋のスピードくじよりは、よっぽど良心的なシステムだったらしい。

 ところで私がテキ屋のくじで当てたものと言えば、どこかの国でおそらく違法にコピーされたタミヤのミニ四駆のパチモンくらいである。このパチモンというのがもう、外箱から中身から、あまりにもツッコミどころの多い代物だったのだが――この話は本題から逸脱するので割愛する。またいずれ機会があれば書くかも知れない。

 店に入ると、割合あっさりとした閉店の告知と、文房具3割引の閉店セール告知が掲示されていた。私は何か、そんな値引きやセールを期待して訪れたわけではないのだ――と誰かに言いわけでもするような心持ちになりながら、それでも文房具の棚へと足を向けた。

 文房具ほど、個人の好みがはっきりと細分化される道具というのもそうないだろう。シャープペンシルひとつとっても、文房具売り場の棚には数多のバリエーションがずらりと並んでいる。長いの短いの、太いの細いの……と、過剰なのではないかと思えるほど、細分化された道具が並んでいるというのは、一種異様な光景でもある。

 そういう私は中学生の時分から、横ノック式のシャープペンシルを愛用している。私は文房具マニアではないので、不正確な、あくまで印象の上での話となるのだが、現在横ノック式のシャープペンシルは販売されていない(と思う)。オーソドックスな上ノック式や振り子ノック式、そもそもノックのいらない自動給芯式など、ありとあらゆる給芯方式が店頭に並ぶ中で、横ノック式は淘汰されてしまっている。

 またこれも印象の上での話となってしまって心苦しいのだが、シャープペンシルの給芯方式が多様化する中で、最後まで横ノック式を生産していたのはぺんてる社だったと思う。というのも、私が今使っているのもぺんてる社のシャープペンシルだからだ。

 当時高校生だった私は、このシャープペンシルの使い心地に文字通り熱狂した。だからこそこのシャープペンシルを売る店がひとつふたつと減り始め、生産終了の気配を感じ取ったと同時に、店頭にあった在庫をごっそり買い占めるに至ったのだ。

 校則でアルバイトは禁止されていたので、少ない小遣いを叩いて、シャープペンシルを37本買ったのである。青春まっただ中の高校生が行う消費行動にしては、何と夢も希望もない話だろうか。しかしながらこの時大量に買い込んだおかげで、その後の学生生活、短い社会人生活を通じ、シャープペンシルに困ることはなかったのだ。これは英断だったと今でも思っている。

 その私がシャープペンシルを37本買った店というのが、他でもないこの書店だった。

 そんなこともあったなと思いながらシャープペンシルの売り場を抜けて、白地図の売り場を突き当たり、左を見ると、カラーコーンの向こうにかつてレンタルビデオ店だった空間があり、その隅には棚で囲まれた区画があった。

 読者諸兄はお分かりのこと、それはかつてアダルトビデオを陳列していたコーナーの名残である。あの薄っぺらいサテン地の暖簾こそもうかかっていないが、棚にはメーカーやジャンルのインデックスが残っていた。

 実はこの店は、私が通っていた高校から最も近くに位置する商店だったのである。

 私が通っていたのは住宅街のど真ん中に建つ高校で、自慢ではないが中途半端なバカが多く入ってくることで有名だった。どいつもこいつも突き抜けたバカではないので面白青春グラフィティとは一切縁がなく、かといって頭が良いわけでもないので理知的なユーモアを楽しむことも出来ない、中途半端な構造の中途半端な15歳が中途半端な顔をして入学してくる、そういう高校だったのである。勿論そんな中途半端な奴らを集める中途半端な学力レベルであるので、半期に一度はベネッセの社員が講演にやってきて、「受験は団体戦だ!」と熱くぶち上げていた。

 そんな高校であるわけだから周囲の環境も中途半端で、付近に駅はなく、バス乗り場も遠く、遊べる場所と言えば児童公園とジジババの集うゲートボール場しかなく、飲食店も含めて周囲に商店と呼べるものがこの書店しかなかったのだから、今考えてもすごい環境である。勿論、校内に購買などというステキ施設はなく、うっかり弁当を忘れて家を出ようものならすなわち餓死が待っていた。その代わりなのか、「午後の紅茶」のみを売る自販機だけは設置されていたので、脱水症状は免れることが出来たのである。生かさず殺さずを地で行く作りである。運営側がそんな発想だから、高校のくせにアルバイトが全面禁止なのである。

 今さらりと書いてしまったが、校内に購買がないということは、ノートを忘れたり筆箱を忘れたりした際もかなり恐ろしいことになるのはお分かりいただけると思う。友達を頼ろうにも、いつでもそのアテがあるわけではない。そもそも友達と呼べる人間がいない場合もあろう。よって、昼休みに玄関側に面した窓から外を眺めていると、弾かれたように自転車で爆走する生徒が時折見られた。無論昼休みに無断で校外に出るのは校則違反であるが、彼らにとってはノートや筆記具がないことの方が恐ろしかったのだろう。

 近いとは書いたが、書店まではそれなりに距離がある。交通量が多く、なかなか変わってくれない信号も道中にある。よって彼らが必死に自転車を駆ってノートや筆記具を贖って帰ってきたとて、校内に入れなくなるリスクは常につきまとっていた。昼休みが終わると玄関は施錠されてしまうのである。たった1冊のノートを掴み、汗だくのまま施錠された玄関の前に立ち尽くす姿は、想像するだに恐ろしい。

 こんな環境でなぜ購買が設置されなかったのか未だに疑問なのだが、とにかく我々は「そういうもの」として日々を暮らしていた。だから必然的に、一番近い商店であるこの書店にも我が校の生徒達は結構訪れていたと思う。

 生臭い話で恐縮だが、性欲の鬱屈した男子高校生のやることというのは今も昔も特に変わりはない。週刊誌のグラビアを鼻の下を伸ばして眺め、サテン地の暖簾の隙間や下からアダルトビデオのパッケージを眺めるのである。それでいて成人誌を立ち読みしたり、あの暖簾をくぐったりなどする勇気はないのだから、本当に中途半端であった。

 ある放課後のことである。私が漫画の単行本を買うために書店に入ると、ちょうど漫画誌を立ち読みしていたクラスメイトの田辺が、私の腕を強引に引っ張ってレンタルビデオ店側の隅へと連れて行った。

 田辺は鼻の穴を大きくしながら、「大変なことを知った」と言った。田辺は学年の中では割と突き抜けたバカ側に寄った人物だったので、私はにべもなく「よかったね、おめでとう」と落合博満のような受け答えをしたのだが、田辺が悲しそうな顔をしたので話だけは聞いてやるかと思い先を促した。

 すると田辺は声を潜めながらも心なしか誇らしげに、「高校生でもアダルトビデオが借りられる」と言ったのである。今思えばバカであるなあ。しかしながら、その情報にいきなり首ったけになってしまった私も無論バカであった。

 田辺の語るところによると、例の暖簾のすぐ脇の棚に並んでいる「パロディ」とラベルをつけられた映画は、実質アダルトビデオでありながら、レンタルに年齢制限がないのだという。

 読者諸兄も察しがついたと思うが、これは所謂パロディAVというやつだ。この店では何故かパロディAVを年齢制限なしに貸していた。どちらかと言えば体が資本であるので役者の演技は大根だし、修正はミラーボールかと見紛うばかりに濃いし、タイトルもあまりにバカバカしすぎて、実用目的で借りる者などいないと店側は踏んでいたのかも知れない。

 しかしながら、そこは性欲を滾らせた男子高校生である。なんなら我々はおっぱいの出る映画を片っ端リストアップして共有していたくらいだったのだから、本番がある映像を借りられるなら、その他の瑕疵など気にもとめなかった。

 この田辺の発見は、(一部の)男子の間に瞬く間に広がった。その後パロディコーナーの映画はいつも貸し出し中になっており、結局私が観られたのもこの時に借りた『Mr. & Mrs. エロス』だけだった。これは勿論『Mr. & Mrs. スミス』のパロディだが、元ネタの映画もまあまあ酷い出来であるので、このふたつを比べた時、私は思い入れを加味せずとも『エロス』の方に軍配を上げてしまうかも知れない。だいたい『スミス』の方も、セックスがどうこうする映画である。

 私はかつてパロディAVが並んでいた空っぽの棚を遠巻きに眺めて、急にこの店がなくなってしまうのが惜しいような気がした。それはこの店の閉店を知った時、この店に入って閉店の告知を読んだ時とは比べものにならない強さだった。私の人生よりも長くこの地にある店である。勿論、ここで何かを買ったのも一度や二度ではない。なにしろ、我々にはこの店しかなかったのだから。

 しかしながら、この店に往時の賑わいがないのもまた事実だった。私が卒業してから数年後、高校のすぐ近くにコンビニが建ったため、わざわざ遠いこの店を選んで週刊誌のグラビアを見に来る生徒は減ってしまっただろう。レンタルビデオ店が廃業しているのも既に書いた通りである。がらんとした空間に立ち並ぶ黒いスチールの棚は、この店を蝕む癌細胞であるかのように思われた。半分が既に死んでいるなかで、遺された半分は必死に生きながらえようとしてきたのである。

 その努力も仄暗い死の影を振り払うことは能わず、今や完全な死がこの店に訪れようとしている。そう思うと胸が締め付けられるような気がして、私はこの店の記憶を保つために何かを買わねばならないと決意した。

 本は一度読めば二度と読み返さない。よしんばいずれ読み返すとしても、普段は部屋を埋める蔵書の中で迷子になっているだろう。それではこの店の記憶も、本の内容の記憶と共に次第に薄れていってしまう気がした。やはり生活の中で手に触れるもの、目に映るものが相応しい。それは何かしらの文房具、あるいは道具に外ならない。

 筆記具はどのような形であれ、いずれ書けなくなってしまう。そうすれば廃棄せざるを得なくなる。ノートもスケッチブックも、いずれ一杯になってしまうだろう。見返さないものでは、記憶を保っておける自信がなかった。

 私は困ってしまった。絵や作曲などの創作活動をほぼデジタル環境に移行してしまった今、紙とペンという原始的な道具で何かを行う機会は激減している。それに、今現在私は無職である。残念ながらあまり高いものも買うことは出来ない。

 私はぐるぐると文房具売り場を歩き回り、児童文具のコーナーで乱雑に置かれていた1本150円のピンセットを先直、先曲の2本掴んだ。これも長らく売れていないと見えて、包みにはうっすら埃が被っていたし、そもそもピンセットそのものの在庫が3本しかなかった。

 ピンセットは前々から、ビスを磨いたりするなどの細かい作業のために欲しいと思っていた。ギターを弾いたり修理したりしている限り、この作業は定期的に発生する。今のこの店において、これ以外の選択肢は存在し得なかった。残念ながら、私は種々の文房具と触れあう時期を既に過ぎてしまっている。その事実もまた私を悲しくさせた。私はレジに向かい、律儀に3割引になっている代金を支払って、店を後にした。

 そして今、私の目の前には2本のピンセットが包みも破られないまま転がっている。チープなフィルムにチープな2色刷で書かれた「高級ピンセット」の文字が子供だましじみていて、あの店のどこか垢抜けない、おおらかな雰囲気をそのまま形にしたかのようだ。

 私は次回ビスを磨く必要が生まれるまで、この包みは破らないでおこうと決めた。記憶にはそれを思い出すためのトリガーが必要だ。些細なものでもトリガーとなり得るものを手元に置いておかねば、記憶を思い出すことはなくなり、いずれその存在は完全に忘却され、この世から消えることになる。

 人間は忘れる生き物だ。それと同時に、思い出すことが出来る生き物でもあると思う。そのためにはトリガーがいるのである。人間があの世に持って行けるのは記憶だけだ、と言ってものを処分したがる人がいるが、それは違う。記憶をあの世に持っていくために、我々にはものが必要なのである。

 今後ビスを磨く度に、きっと私はあの書店のことを思い出すのだろう。

2022年7月8日金曜日

打鍵する人間愛の天然無能

(これははてなブログからの引っ越し記事です)

 大変なのである。

 何が大変なのかというとこれである。

AIのべりすと 

 耳の早い諸兄らは既に知っているだろうが、これは極めて高いレベルで日本語を出力する人工知能である。重苦しい私小説やインターネットが無限のフロンティアだった頃の雑文、果ては昭和軽薄体まで何でもござれのハイスペックで、何回か使ってみた限り、数百文字程度の短文では殆ど破綻しない。お前は重松清か!と言いたくなる。

 これは恐ろしいことである。私は先だってこんなことを書いていた。

代筆といえば、私の文章は一見、流行りの人工知能というものにも執筆できそうであるが、私という天然無能の思考回路を再現するのは逆に難しいはずだ。人工知能というのは、シェイクスピアやダンテやトルストイや谷崎潤一郎などのきら星の如き作家達を読んで文章を学ぶのだから、筒井康隆やしりあがり寿や夢野久作を読んだ上でエログロナンセンス以外を出力している私の文章に近づくことすら出来ないだろう。
打鍵するチンパンジーの人工知能 - 雑記日記 分店

 なーにが近づくことすら出来ないだ。

 まあ、論より証拠である。先日書いた雑文(本の回虫 - 雑記日記 分店)の冒頭2行のみを入力して続きを書かせてみたのがこちらだ。うっかりブラウザで出力してしまったので非常に画角がアレゲなことになっているが、目をこらして読んでもらいたい。

 ……どうだろうか。私がまず驚いたのは、人工知能の頭の良さである。"つまり私の労働意欲は空転しっぱなしなのである"というくだりなど、最高にデカダンがキマっており、しびれる。似たような文章は乱歩か太宰か芥川だったかで読んだ記憶があるが、この際そんなことはどうでもよい。

 加えて、この出力された文章をよく読んでみると、「分かりきったことを持って回って説明するように書く」という私の雑文の癖がしっかり転写されている。たった2行からこの癖が転写されるのだからすごい。

 ちなみに、私の説明がくどくなるのは大抵冗談を言っているときである。金魚の糞のようにキレの悪い冗談を延々言うので、飲み会では煙たがられておる。かなり盛り上がっている飲み会の席上、冗談を他の参加者に「もういいから」と懇願されて中断した経験のある者がどれほどいようか。

 私も私で、クソのキレが悪いことを「切れないナイフで四肢を切断するようなジョーク」と自嘲のふりをして気取ったりするのでタチが悪いのである。だいたい、切れないナイフで四肢を切断するという描写そのものが人を選ぶ。なるほどと膝を打ってくれるのは、殆どが『SAW』シリーズを全編見たとかいう異常者のみだ。私はやや意外にも異常者の類いは得意ではないので、彼らと仲良く語らうことは出来ればご遠慮願いたいところではある。

 しかし、すごい時代になったものだ。そのうち、人間に許されるのは人工知能の良き編集者たり得ることだけになるだろう。おっそろしいねえ。やはり人工知能が天下を取る前に、我々はBMWで公衆便所に突っ込んでおくべきなのだ。……分からない人はもう結構!

 その一方で、この人工知能の弱点というのも少し見えてきた。この人工知能、常体・敬体の違いを判別して地の文の運びをどこに着地するか見極めているような雰囲気があるのだが、それ故に私小説の如き重苦しい文体で始まった文を笑い話に着地させられないのである。これは面白い発見だった。

 諸兄らのうちにも異論はあろうが、私の雑文は基本的に常体で書かれており、扱っているものはユーモアとナンセンス(あるいはホラー)である。これは某かの作家を参考にしたとかいうことではなく、かつての"雑文書き"達がみな常体で文章を書いていたことと、私がナンセンスを扱う以外に作文法を知らないからである。

 ではいつからナンセンス以外書けないのか?というと小学生時分からで、卒業文集に載せる作文を全編会話文で書いて提出し、こっぴどく叱られたことがある。当時の私はご多分に漏れずスレたガキであり、小学校を卒業する程度のことに何の感慨も持てなかったため、奇行に走ったのである。それに加えて既に希死念慮というか頽廃的自我が芽生えており、「将来の夢」というテーマのスピーチで大真面目に「世界の終焉の可能性」と「そのような時代に何かを期待することの空しさ」を語り、聴衆の父兄らを絶句させたこともあった。書いていて恥ずかしくなってきたな。

 実際のところ、ここ十数年の間、世界は終末時計の針を押しとどめることに必死であるのだから、将来に何かを期待することが間違っているのは自明である。自明であるが、そんなことを小学生の口から聞かされたくはないと思う。私自身ですらそう思う。

 人は誰しも、必死で見て見ぬふりをしているものというのがある。私の場合は履歴書の空白だが、健全なホモサピエンスにとっては社会、ひいては世界の崩壊こそ直視したくないものだろう。その前提が分かっておらず、また手心を加えることもしなかったのだから、私は幼かった。今となってはリカちゃんのお靴並みに苦い思い出である。

 そもそもの話、作文という課題は元々表現力を必要とされていない。既に起こったことに対して、自分がその時何を思ったかを書けばいいのである。そこに筆者の葛藤や人生観、読者へのサービスなどが介在する必要は全くない。どんなに作文が苦手なお子様も、数種類の例文から選択して巧く繋げば、そこそこの作文が書けてしまうのだ。

 これに対して常々考えていたのだが、どうも私という人間は空っぽ、がらんどうであるようで、何もかもが私を素通りしていってしまうのである。

 自分という器の中に信条だとか美学だとか、何かそういった筋や梁のようなものが通っていれば、外部から入ってくる物事はそれにぶつかったり引っかかったりもするし、それらを消化すれば何かを思うこともあるだろう。

 ところが私には信条や美学といった骨組みが一切なく、「まあ、そういうこともあらぁな」という諦観に似た自若さだけが横たわっていたため、消化すべき引っかかりも起こらず、結果として感情が浮かばなかったのである。よく言えば泰然、悪く言えばでくのぼうである。私は小さい頃から本の虫だったので、覚えた感情を説明しうる語彙が足りなかったという訳ではない。説明するべき感情が起こらなかったのだ。

 そんな奴には「何を思ったか」だけを問う作文という課題は酷である。当然だが、何も思っていないのだから何も書けない。ない袖は振れぬのだ。心はいつもノースリーブである。見苦しいほどノースリーブである。まだしもランニングのほうが露骨なぶん見られる。ノースリーブの中途半端さが人は恥ずかしいのである。冗談はさておき、私はそのために作話を覚えた部分がある。苦し紛れに嘘をついてばかりの人生であるな。

 よって、時たま何かの事象ではなく自分自身について書けと言われると、如何せん自分の中にちゃんと横たわっているのが諦観のみであるが故に、先に書いたようなエスカタロジストはだしの文言をぶち上げてしまったりしていたのだ。はっきり言えば異常である。

 ……あまり育ちのせいにしてばかりいると夢枕に祖父と茨木のり子と泉谷しげるが立ちそうなのでこのくらいにするが、つまるところ私がナンセンス以外書けないのは、他に何も語るべきことがないからである。幸いにして、ナンセンスの名の下には、私のようなピンポン球の如き存在も何かを語ることを許されるのだ。

 実際のところ、ナンセンス以外を語ろうとすると、いつか馬脚を現すのではないかと思って不安で仕方がない。私が他に語れるものといったら希死念慮と仙台で買うキャベツのまずさくらいのもんであるが、そのどちらもあまり人に聞かせるべきものでもないので自重している。それにしてもまずいったらないんだよ、仙台のキャベツ……おっと。

 つまり、私がここでナンセンスを語るのは、消去法によるものとはいえ大いなるサービス精神と人間愛の表れであり、天よりも広く海よりも深い私の心だからこそなせる術である事を強調しておきたい。分かったら、諸兄らは「ここで笑って欲しいんだろうな」という部分を察知した場合すぐさま笑うべきである。笑えって言ってんだよこの野郎ッ。

 更にはフォントカラーやボールドを極力使わないのも人間愛である。なかなか更新しないのも人間愛である。更新したらしたで冗長な文を書くのも人間愛である。そう考えると、私とは何もかもが人間愛で出来ている。そろそろこの暴走する人間愛を少しでも昇華するために、南米あたりに土地を買って、諸兄らと集団移住して町を作るべきかも知れぬ。王様は僕だ、家来は君だ。

 諸兄らも気付いているだろうが、人間愛とはつまるところ、厭世のなせる業なのだよ。