『チェンジリング』(1980年-パン・カナディアン)
得点…92/100
(画像の出典:『The Changeling (1980) - IMDb』)
前々から「面白い」という評判は聞いていたものの、ジャケットの『ローズマリーの赤ちゃん』(1969年-パラマウント映画)っぽさが鼻についてしまい、今日まで何となく敬遠してしまっていた作品である。この度気が向いて鑑賞してみたところ、なるほどこいつは面白い。それも大変面白い。とんだ掘り出し物である。
あまりこういう文脈で語られているのを見たことはないが、本作の様々なシーンが種々のJホラー作品(特に中田秀夫監督作)にオマージュされている。鑑賞中「あっ、このシーン観たことある!」という発見が何度もあり、それらの映画の元ネタを知れたという意味でも印象深い鑑賞体験となった。
ちなみにこの映画評を書くにあたって改めて『ローズマリーの赤ちゃん』のジャケットを調べてみたところ、実際にはそれほど似ていなかったというオチが付く。なんじゃそりゃ。
毎回警告しているが、私はネタバレには一切配慮しないので、ここから先を読み進める場合にはそのおつもりで。でも本作くらいは私の映画評など読まずに観て欲しい気持ちもある。それくらいよく出来た作品なので。
交通事故で妻子を失った作曲家ジョン・ラッセル(ジョージ・C・スコット)は、妻子と暮らしたニューヨークの家を引き払い、友人の伝手を頼ってシアトルの大学で教鞭を執ることになった。一日中ピアノを弾ける家が必要だと話すジョンに、友人は歴史保存協会の知り合いを紹介してくれる。協会が管理している歴史的建造物を貸してくれるというのだ。
協会員のクレア・ノーマン(トリッシュ・ヴァン・ディヴァー)に連れられてジョンがやって来たのは、築100年は経とうかという屋敷だった。広いわ家具付きだわ、おまけに音楽室も完備しているこの「チェスマン・ハウス」が気に入ったジョンは、早々に契約して引っ越しを済ませる。
数日後、大学の主催するチャリティコンサートから帰宅したジョンは、屋敷中に轟く何かを叩くような音で朝6時に起こされた。傍迷惑な話である。その翌日にも轟音は鳴り響き、ジョンは管理人を呼んで配管やボイラーなどを点検してもらうも、異常は見つからない。夜になると今度は屋敷のあちこちの水回りという水回りから水漏れが起こり、屋根裏の浴室ではついに浴槽に沈む顔を目撃してしまう。
流石にただ事ではないと思い始めたジョンは歴史保存協会を訪れ、クレアに屋敷で何か事件が起こった来歴はないかと問うが、クレアは屋敷はずっと空き家だったと答え、暗にまだ傷心の癒えぬジョンが幻覚でも見たのだと主張した。
憮然とするジョンだったが、協会の古株職員ミニーが気になることを告げる。曰く、今回の賃貸契約はクレアの独断によるもので、契約上の問題が存在している。チェスマン・ハウスはずっと空き家だったし、それは屋敷が人を拒むからだと。
釈然としないまま帰宅したジョンが、翌日の朝散歩に出かけようとすると、急に屋根裏部屋の窓ガラスが割れ落ちた。 窓ガラスの破片を手に屋敷を見上げたジョンは、自分がまだ入ったことのない部屋が存在していることを知る。
屋根裏に上がったジョンは、物置の奥の壁に板や棚を打ち付けて隠された扉を発見し、その扉に掛かった南京錠を破壊しようと試みる。その途端例の轟音が屋敷中に鳴り響き、ジョンが耳を押さえながらも同じリズムで南京錠を叩きつけると、南京錠が開くのと同時に音は止んだ。
恐る恐る扉を開けたジョンが目にしたのは、急な階段の先の小さく暗い部屋だった。子供用のベッドや車椅子が転がる部屋の中で「C.S.B. 1909年1月」と署名された日記帳とオルゴールを見つけたジョンだったが、何とオルゴールの曲はジョンが屋敷に引っ越してきてから作曲していた交響曲と旋律やテンポ、調までもがぴったり一致していたのだ。
クレアを呼んでオルゴールと部屋、日記帳を見せたジョンは、屋敷は人を拒んでなどおらず、むしろ何かを伝えたがっているのだと推測する。
翌日、歴史保存協会でチェスマン・ハウスの登記簿を調べるジョンとクレアだったが、直前の住人が1967年まで住んでいたこと、その後無人となった屋敷を地元の上院議員で慈善家、歴史保存協会の理事も務めるジョセフ・カーマイケル(メルヴィン・ダグラス)が購入し協会へ寄贈していること程度しか分からなかった。
1920年より以前の記録は協会にも存在せず、調査は暗礁に乗り上げたかと思われたが、ミニーが1909年当時の住人がバーナードという医師であることを覚えていたため、二人は図書館で当時の新聞を調べることにする。
果たして1909年当時の新聞に「バーナード医師の娘コーラが、屋敷の庭で石炭運搬車に轢かれて亡くなった」という記事が掲載されているのを発見。日記帳の署名とも合致する名前が登場したことで、一旦は真相に辿り着いたかとその墓所を訪れた二人だったが、「何故コーラが自分に接触しようとするのかが分からない。娘を亡くしたからか?思い出すのも辛いのに」と吐き捨てるジョンに、クレアは屋敷を引き払うことを勧める。
その夜、階段脇の書斎で妻や娘の写真を眺めていたジョンの許に、階上からゴムボールが転がり落ちて来た。娘の遺品で、書斎の箱にしまってあったはずのそれを拾い上げたジョンは、全ては自分の心の病が見せる幻覚だと思い込もうとし、娘への執着を断ち切るべく川へゴムボールを捨てに行く。そして屋敷へ戻ってきたジョンが見たものは、階上から転がり落ちて来る、さっき捨てたはずのゴムボールだった。
このシーンは音響やカメラアングルも含めてあまりにも見せ方が上手いので、今日のホラー映画には割とありがちな展開にも関わらず、私はゾッとしてしまった。『仄暗い水の底から』(2002年-東宝)でもマンションの屋上に子供用のバッグが何度も現れたが、現れる物体に動きがついている分、なにがしかの意志を感じさせてこちらの方がよっぽど怖い。
ついになりふり構っていられず、大学の心霊研究室教授から信用出来る霊媒師を紹介してもらったジョンは、クレアとその母を伴って降霊会を行う。霊媒師の自動筆記によって、屋敷に棲まう者がコーラではなくジョセフという少年であることが明かされるが、それ以上は「助けて」と繰り返すばかりで目ぼしい情報は得られなかった。
降霊会の後、ジョンは独りその模様を録音したテープを聴き直していた。すると、参加者以外の声が録音されていることに気付く。 ジョセフ・カーマイケルを名乗る少年の声は、自身が足の障碍で歩けなかったことや、自室で湯灌中に父親に溺死させられたこと、自身の名が刻まれたメダルのペンダントを所持していたことなどを細切れに話した。ジョンが聞いたあの轟音の正体は、少年が抵抗して湯桶を叩く音だったのだ。
慌ててクレアを呼び戻しテープを聞かせたジョンは、本物のジョセフ・カーマイケルが屋敷の屋根裏部屋で殺され、農場の井戸に埋められたことを確信する。今や上院議員となったジョセフ・カーマイケルは、どこかの養護施設から連れて来られた替え玉なのではないかというジョンの推理を半狂乱になりながら遮ったクレアだったが、ふと階上を見上げて絶句。そこには例の車椅子が、二人の様子を窺うかのように鎮座していたのだ。
こちらも最早古典的とも言える演出だが、ここで敢えて車椅子という小道具をチョイスするセンスがニクい。JホラーやしょうもないBC級ホラーであればここで少年の霊を立たせてしまいそうなものだが、本作では軋む車椅子が主人公達を睥睨する。私はこのシーンに一番ゾッとした。
翌日、ジョンとクレアはジョセフ・カーマイケル議員とチェスマン・ハウスについて調べ始めていた。そして、第一次大戦の混乱に乗じて入れ替えが行われた可能性が濃厚であること、カーマイケル家が所有していた農場に井戸が存在し、そこは現在宅地になっていること、父親であるリチャード・カーマイケルが息子を手に掛ける動機が、億万長者である妻の実家からジョセフが相続することになっていた遺産にあったらしいことが分かる。
一方で歴史保存協会のミニーはカーマイケル議員に電話し、ジョン・ラッセルという男が議員の過去を探り始めていることを警告する。ミニーには議員の息が掛かっていたのだ。
二人は井戸があった場所に現在建っている家の住人、グレイ夫人を訪ね話を聞くことにした。なんでもチェスマン・ハウスで降霊会が行われた日、グレイ夫人の娘が部屋の床から浮かび上がる少年の霊を見たというのだ。床を剥がしてもいいかと聞くジョンに対し、グレイ夫人は少し考えさせてほしいと答える。
その夜のこと、夫人の娘が再び水に沈む少年の霊を見てしまう。急遽呼び出されたジョンは夫人の息子と共に床を剥がし、案の定出てきた古井戸を掘り返すと、当然のように人骨が出土するのだった。
ジョセフの霊がしっかり実体を伴って画面上に現れるのは、全編を通じてほぼこのシーンのみである。しかも主人公でも何でもない、グレイ夫人の娘というぽっと出のキャラクターを目撃者に選ぶセンスには脱帽だ。怪異の正体があくまで主人公達には見えざる存在であるということを鑑賞者に強く印象付け、緊張の糸を張り詰めさせたままエンディングまで駆け抜けるための下地作りに成功している。
駆け付けた警察の聴取を適当にあしらったジョンは、埋められていたのが本物のジョセフ・カーマイケルであることを証明するメダルのペンダントを探すため、人気のなくなったグレイ家に再び潜り込む。小さなメダルがそう簡単に見つかるはずもなく、諦めかけたジョンだったが、本物のジョセフの怨念がなせる業か、メダルが滲み出すように出土する。
本物のジョセフのメダルを手に入れたジョンは警察には届け出ず、カーマイケル議員と直談判することを選んだ。空港でプライベートジェットへ乗り込もうとする議員に突撃し、メダルを見せて話をしようとしたが、警護に取り押さえられてしまう。カーマイケル議員は機上から腹心のデウィット警部に連絡し、ジョンの対処を依頼した。
這う這うの体でチェスマン・ハウスに帰宅したジョンだったが、今度は扉という扉が強い不満を訴えかけるようにバッタンバッタン開閉する始末。ついに「やれることはやった!これ以上何をすればいいんだ!」と霊に逆ギレしてしまうジョン。
疲れ果てて長椅子に寝転ぶジョンの許に、カーマイケルの差し金でデウィット警部が訪れた。警部はジョンを脅迫者と断定し、次会う時には令状を持って来る、と捨て台詞を残して帰っていく。
警部と入れ違いになるようにして、立腹したクレアが玄関を突き破らん勢いで入ってきた。突然歴史保存協会を解雇され、チェスマン・ハウスの賃貸契約も破棄されたというのだ。これから理事長に掛け合ってくる、と鼻息荒く屋敷を後にしたクレアだったが、すぐに屋敷へ電話を掛けてくる。帰り道で自動車事故の現場に遭遇し、その事故でデウィット警部が死んだという。
腹心であるデウィット警部に死なれ、焦ったカーマイケル議員は、ついにジョンと直接会うことを決める。カーマイケル邸に乗り込んで議員に直接推理をぶつけたジョンだったが、議員は泣きながら父親を侮辱するなと一喝、その姿を目の当たりにしたジョンは言い争う気も失せたのか、遺言状や降霊会の録音、メダルなど証拠の一切を議員に渡して去っていった。
その頃チェスマン・ハウスを訪れていたクレアは、誘われるように屋根裏部屋までやって来たところで車椅子に追いかけられ、階段落ちを披露。ちょうど帰ってきたジョンに介抱され、代わりにジョンが屋根裏部屋へ向かったが、ジョンの態度にも議員の責任逃れにもプッツン来たジョセフの怨念たるや凄まじく、ジョンも二階の廊下から吹き飛ばされてしまう。
一方、カーマイケル議員は何気なくジョンから渡されたメダルを父の肖像画へかけたが、その途端にジョセフの怨念が炸裂、肖像画の乗った机ごとメダルが大きく震え出し、議員に父の凶行を幻視させる。
屋敷のエントランスで伸びているジョンの目の前にはカーマイケル議員の霊体が現れ、燃え盛る階段を屋根裏部屋へと登って行った。途端に階段は焼け落ち、屋敷の命運を悟ったジョンは命からがら脱出を果たす。屋根裏部屋が議員の霊体ごと爆発すると同時に、カーマイケル邸では議員が心臓発作で冷たくなっていた。
ジョンとクレアが燃え盛るチェスマン・ハウスを後にしてカーマイケル邸に取って返すと、ちょうど議員の亡骸が運び出されていた。全てが終わったことを察知し、カーマイケル邸のポーチにへたり込んでしまう二人。
翌朝、灰燼に帰したチェスマン・ハウスの跡地では、燃え残った件のオルゴールの蓋がひとりでに開き、高らかに勝利の凱歌を上げるのだった。
本作が特に優れている点は、その構成の巧みさにある。借りた家の曰くを明らかにする展開はオーソドックスな「幽霊屋敷もの」、幽霊の正体やその埋葬場所、犯人などを解き明かそうとする展開は「推理劇」、本気を出した幽霊が仇に祟って大暴れするラストシーンは「オカルトもの」、といったように、作中でストーリーの味わいが変化していくのだ。
この3部構成は、ほぼそのまま『リング』(1998年-東宝)に踏襲されている。『リング』においては「都市伝説もの」→「推理もの」→「オカルトもの」という構成になっているが、男女の主人公が古い資料を漁って真相に近付いていく構成などは本作にそっくりである。怪異の元凶となった人物が遺棄されたのがどちらも井戸で、それを覆い隠すように家または貸別荘が建てられているという展開の共通点も見逃せない。
その他、暗い屋根裏で扉が開閉するシーンは『女優霊』(1996年-ビターズ・エンド)、先述のゴムボールのシーンは『仄暗い水の底から』、全体の構成と主人公達が首っ引きで資料を探すシーンは『リング』など、種々のJホラー作品、特に中田秀夫監督作品に多くのオマージュが見られる。
つまり、本作は多かれ少なかれ、Jホラーに無視出来ない影響を与えている作品なのだ。Jホラーに親しんだ者ほどその驚きは大きくなるだろう。
また本作は構成の卓抜さのみならず、ショック描写のほうも手堅く押さえている。ハッタリじみた音響やVFX頼みではなく、カメラワークや最低限のSFXによって、屋敷に巣食う怪異の存在感を圧倒的なまでに描き切っていることは単純に賞賛に値するだろう。
これは度々書いている気がするが、ホラー映画というのは、幽霊だの悪魔だのをただ出せばいいというもんではない。如何に怪異を画面に映さないかが肝要なのである。その点、本作は非常に高いレベルでこれをクリアしている。ジョセフの霊が出現するのは衝撃的な演出としてのワンシーンのみであり、大立ち回りのラストシーンですら直接的な姿を見せることはない。
脚本の細かな点に目をやれば少々瑕疵が目立つ部分(屋根裏部屋から出てきた日記帳の存在や、グレイ夫人が協力的に過ぎる点など)もあるが、110分程度の尺にこれだけ秀逸なストーリーを詰め込んだという事実の前には些末な問題だろう。演出の緩急もしっかりしており、次第に明らかになっていく真相に鑑賞者はグイグイと引き込まれ、あっという間にエンドロールを迎えてしまうこと請け合いである。
本作は「本当に面白いホラー映画はこうあるべき」というお手本のような作品で、私は今日まで鑑賞を先延ばしにしてきたことを強く後悔した。読者諸賢も是非本作を鑑賞して、ホラー映画のダイナミズムというものを体感してみてほしい。





