2022年4月28日木曜日

誠に遺憾に存じます

 (これははてなブログからの引っ越し記事です)

  私は例によって、また例のスーパーへ買い物に来ていたのである。この度の買い物は生姜と甜麺醤であった。

 夕間暮れのスーパーの出入り口には、焼き鳥屋が店を張っていた。今風に言えばキッチンカーとでもなって一気にオシャンティでハイソな存在となり、おつむの軽そうな女子やおつむの軽そうな女子を主食にする前髪が異様に長い男子などが集っていそうだが、有り体に言えば軽トラの荷台が焼き鳥を焼いて陳列する空間になっているだけの代物なので、そのようなオシャンティないしハイソはそのあまりの生活感、あまりの所帯じみたうらぶれという無反動砲の前に粉砕されるものである。おつむの軽そうな女子は酒飲み達のローキック一発でその針金のような足をやられ、おつむの軽そうな女子を主食にする前髪が異様に長い男子はそのご自慢の前髪をバリカンで刈られるのである。ついでに眉毛も剃られる。そんなことはない。

 私も以前職にありついていた頃は、帰宅時の降車駅のそばにあったスーパーの前で焼き鳥をよく買ったものだった。我が家はといえば私の他にまともに料理の出来る者はなく、すなわち私が帰宅してから夕食を作ることがしんどい日は軒並み外食か弁当を買う、という生活であったので、私が焼き鳥を買って帰っても特に文句を言われた覚えはない。

 しかしながら、1日中神経をすり減らして仕事をしやっと帰ってきた、となれば、食うことや飲むことに縋り、日々の鬱憤や恐怖や深い悲しみから逃れようとするのが人のサガである。私もご多分に漏れずそのクチであったので、週末ともなれば焼き鳥をとんでもない本数買い、安くはない酒を湯水のように飲み、ぐでんぐでんに酔っぱらっては2階の窓から下の道路へゲロを撒き散らしたりなどしていたため、実家に住んでいたくせに毎月の貯蓄はほぼゼロであった。何かの間違いで(した記憶のない残業手当がついていた場合など)少し貯蓄が出来ても、それを全額叩いて新品の単車が買える値段のギターを買ったりなどして、文字通り宵越しの金は持たない主義を気取っていたのである。

 もっとも貯蓄が出来ないのは、私が資本主義の神に見放されているせいもある。私が何か思い切った買い物をすると、早いときは数日後、遅くとも数ヶ月以内には、廉価版が発売されたり、値崩れが起こったり、安価で高性能な普及版が出るのである。私はやや意外なことにたかだかウン十ウン年しか生きていないため、まだ思い切った買い物は両手で足りるくらいしかしていないのだが、その全てでそうなった。

 こうなってくると、己が如何に資本主義の神と険悪なのかと答えの出ない問いをむやみに始めてしまいそうである。一体前世でどんな罪を犯せばかような業を背負うのであろうか。もしや私は前世ではトロツキストだったのであろうか。そうでもなければこのような非道が許されていいはずがない、悔しいです、痛恨の極みであります、かくなる上は資本主義を刺して俺も死ぬ、などとトロツキーを前にした佐野碩のように下唇を噛みながら焼き鳥屋の前を通り過ぎようとすると、何やら怒声が聞こえた。

 私はその時左側に75度ほど傾きながら歩いていたので、すわ資本主義の刺客であるな、思想の自由を踏みにじる気か、予防拘禁など以ての外だ、一生「汝姦淫するなかれ」と言いながら薄汚く肥え太った神の足でも舐めているがよい、と思ったのであるが、それも束の間、その怒声は焼き鳥屋――すなわち軽トラの荷台から聞こえてきていることに気付いたのである。

 如何に焼き鳥屋の屋台と化していると言えど、その実態は軽トラである。つまり店舗部分の大きさもかなり狭苦しいのであって、カウンターの間口からその全てが見通せるほどだ。人が1人乗れば、もういっぱいいっぱいといったところである。事実、私が焼き鳥をよく買っていた屋台や、他のスーパーの前などで見かけた屋台なども、店舗部分に乗っているのは常に1人であった。

 しかしながら、その屋台には2人乗っていたのである。店主らしきタオルを頭に巻いた男と、その細君らしきエプロン姿の女が、その狭苦しい店舗部分の内部で何やら言い争いをしているのである。

 おそらく亭主の稼ぎが少ないことでも詰っているのであろう、やや肥満したエプロンの女は頬と顎の下を波打たせながら、まるで駄々っ子のように肩をいからせ地団駄を踏んでいた。対してその亭主はといえば、これも日頃の鬱憤が溜まっているのだろう、売り言葉に買い言葉と言った調子で細君を怒鳴りつけていた。その声が屋台の外にまで聞こえてきていたのである。

 その2人の様子と言ったら、それはそれはもうすごい剣幕であった。顔が真っ赤になるほど頭に血を上らせ、激情に目のつり上がった人間が2人、お互いの鼻息が吹きかかるほどの距離に顔を突き合わせて喧嘩をしているのである。その姿は壮絶を通り越してシュールであった。

 雄牛には角があるからそれを噛み合わせて喧嘩も出来るが、人間の頭はつるんとして何もないから、互いの物理的距離がここまで接近してもまだ十万億土の彼方に轟きそうな鳴き声を出すしかないのであるな、などと、その姿を横目に私は考えていた。もっとも、この場合は片方は雌であったのだが。

 しかしうらぶれた屋台の焼き鳥屋とはいえ、あくまで客商売である。怒声が飛び交う屋台で焼き鳥を買おうなどとする、心臓が起毛素材の猛者はそうそういるものではないだろう。彼らは今稼ぎが少ないあまりに言い争っているが、そのために却って稼ぎが減っていくのである。実際のところ、私は屋台を目にした瞬間には、帰りがけにねぎま串の数本でも買おうかと思っていたのだから。そのあまりの所帯じみた光景に、私のねぎま串への情熱も見事にぶち壊されてしまっていた。

 私は手短に生姜と甜麺醤を買うと、そそくさとスーパーを退店した。買い物を済ませた私が車に乗り込む間まで、屋台からは怒声が漏れていた。まったく資本主義というのは恐ろしい。資本主義のために彼らは喧嘩をし、また資本主義のためにより生活が苦しくなっていくのである。コラ又どう云う訳だ、世の中間違っとるよ~と植木等も歌っておるのだ。

 私は買いそびれたねぎま串のことをあまり考えないようにして帰路についた。私がもし資本主義の土手ッ腹を刺すとすれば、それはねぎま串の竹串によってである。

2022年4月20日水曜日

「ただの存在」という恐怖

 (これははてなブログからの引っ越し記事です) 

 恐怖とは、突き詰めてしまえば「理由付けを拒絶されること」である。

 幽霊を怖がるのも、その存在そのものが我々が信奉する科学の埒外にあるからであり、百歩譲って何かしらの物理的現象が起こっているとして、その物理的現象を引き起こしたはずの力学がそこに求められそうにないからである。

 高い場所が怖いのも狭い場所が怖いのも、あるいは人によっては尖ったものやブツブツしたものなどが怖いのも、それを恐れる理由が分からないからである。理由や原因を推察したり組み立てたりする足場がない、ということに人は恐怖を覚えるのだ。

 昔、panpanya氏の『引っ越し先さがし』という短編漫画に、"訳なし物件"なるものが出てきた。

 築6年、何の変哲もない物件なのだが、家賃が"訳もなく"安いのだ。"訳もなく"ダミーのコンセントがついていたり、"訳もなく"洋室に襖がしつらえてあったり、"訳もなく"天井の一部が出っ張っていたりする、という物件なのである。

 結局主人公はその物件に入居することをやめたわけだが、その理由として"訳が分からなければ安心はない"ということを挙げている。

 実際我々の生活の中にあっては、"訳なし"、すなわち"ただの存在"というものはほぼ存在していない。理由あってそこにある。そこにいる。そこに売っている。見渡せばみな何らかの理由があって、存在しているのだ。

 考えてもみたまえ、あのさも当然のような顔で座っている山や泰然と流れている川ですら、「どうしてここにあるのか」という理由付けは為されているのである。"おそらく"と枕詞はつくが、大体何万年前にこうこうこうなって出来たのだ、と理由付けがあるのである。そこに山の怪や河童などの恐怖が差し挟まる余地はない。そもそもそれら妖怪という存在ですら、人間が様々な現象の理由付けのために生み出した概念に過ぎないのであって、それが近代以降、科学というより蓋然性のある理由に取って代わられただけの話だ。

 すなわち、人間の好奇心は恐怖と表裏一体だということである。なぜ、どうして、という恐怖からの問いに耐えられなくなって人間は好奇心を行使するのだ。危険かもしれない、と思っておきながら、その実は安心したいのである。

 幽霊の正体見たり枯れ尾花――と諺にもあるように、我々は物事を因果律に沿って捉え、ある程度筋道が立てば安心する。その過程で陰謀論にハマったりする虞もあるのだが、その話はこの雑文とは一切関係ないので割愛する。この過程は一見理論的であるようにも見えるが、これは因果律に担保された安心感を常に私達にもたらしてくれるとともに、よりその埒外にある存在との落差を深め、恐怖をより大きなものにすることにも着目したい。

「トマソン」という存在がある。

 これは主に不動産に付属し、何の役にも立たないのに、展示されるかのように美しく保存されているものを指す呼称で、赤瀬川源平らが1982年に提唱した概念だ。例を言えば無用の階段、無用のトンネル、無用の窓など。

 先ほどの"訳なし物件"などはその典型だ。ただし、トマソンは「かつては意味があった」ものも内包する用語であり、"訳のない天井の突起"などはトマソンの分類で言えば何故作ったのか分からない"純粋タイプ"と呼ばれるものに当たり、区別されることを留意されたい。

 実際には、純粋タイプと目されるトマソンの中にも、全く理由なく存在しているものはほぼないだろう。それはトマソン自体が事実上来歴や理由には無関心の概念だからで、そこには必ず何かしらの理由があるのである。

 それ故に、「ただ存在しているだけの存在」というものは恐怖である。実際のところ、世界と人間が作りだしたものには全て理由、または理由付けが出来る。宇宙の始まりですら推論があるのだ。しかしながら、人間のそばにありながら理由付けがまったく行えない「ただの存在」たり得るものがひとつある。

 それは「人間そのもの」である。

 我々はただ存在している。ミクロな視点でなら、明日会社に行かねばならないから生きているとか、そういうことは言えようが、会社に行かずとも、もっと言えば生きて生殖をせずとも、本質的に人間はただ存在しているのである。

 宇宙には推論がある。宇宙に存在する星々にも推論がある。すなわち、その星に住んでいるかも知れない生命には推論がある。ということは、その生命は「ただの存在」たり得ないのである。この広大な宇宙の中で「ただの存在」たり得る人間は孤独な種族であり、そうなればこの観測可能な宇宙、150億光年の大きさの中に隣人はいないのだ。我々の実際の孤独は、谷川俊太郎が覚えた20億光年の孤独の7.5倍であった。

 あるいは我々が信奉する科学こそが間違っているという可能性はあるだろう。科学は未だに発展途上であり、ことあるごとに修正されている。しかしながら根底に流れているのは因果律であり、因果律が破壊されてしまうと、全てが立ちゆかない。我々の存在こそが我々の生み出した科学を打ち砕く弾丸になってしまうのだ。

「本当に怖いのは人だよ」とうそぶくホラー映画マニアも、なまじ間違ったことは言っていないのだろう。我々こそが恐怖である。別にアンゴルモアの大王とか、マヤ暦とかを持ち出すまでもない。

 そのことに自覚的に生きたいものだ、ただの存在として……。

2022年4月16日土曜日

うどん屋と国際色とBMW

 (これははてなブログからの引っ越し記事です)

 私はうどんを食べていた。

 昼下がりから買い物に出て洗車まで済ませると流石に夕食の準備が面倒になって、家からは少し遠いものの、割と好んで訪れるうどん屋に今日も来ていたのである。

 ここのうどんは所謂讃岐タイプに代表されるようなマッチョなうどんではなく、滑らかで柔らかく、長い。とにかく長いのである。おそらく1本が50cm以上ある。ざるうどんなどの「うどんを別添えのつけだれに浸して食べる」タイプのメニューを頼むと、腕をどこまで上げてもうどんが途切れず、地獄を見る。だから私は基本的に啜ればいいだけの温かいうどんばかり注文するのだが、それはそれで啜れども啜れども熱々のうどんが延々と続き、場合によっては別種の地獄である。

 しかしながら市井のうどん屋としては比較的珍しいタイプのうどんが食べられるので、案外重宝している。それに、きょうび讃岐タイプのマッチョうどんはどこでも食べられるようになった。マッチョうどんもそれはそれでうまいが、私はどちらかと言えば柔らかいうどんのほうが好きなので、この店を好んでいるのである。

 話を戻そう。私はうどんを食べていた。今日は何の気まぐれか、いつも頼むちゃんぽん風うどんではなく、辛ちゃんぽん風うどんを注文していた。

 ふつう我々が想像するちゃんぽんと言えば、長崎のちゃんぽんであろう。野菜やかまぼこを鶏ガラスープや豚骨スープで炒め煮にしたあれである。あれは実際に長崎市内の中華料理店が発祥であるそうだから、所謂狭義の中華料理と言って差し支えないだろう。厳密には長崎市内の業者が製造する「唐灰汁」と呼ばれる独特のかん水(一般的なかん水よりも炭酸ナトリウムの割合が高いものらしい)を利用して製麺されたものが、長崎ちゃんぽんと呼称することを許されるそうである。

 しかしながら、この店のちゃんぽん風うどんはおそらく和風出汁ベースの塩味スープで野菜と肉を煮込んであるもので、これがうどんとよく馴染みうまいのである。調べてみると、福岡や北九州などで「福岡ちゃんぽんうどん」と呼称しよく似た料理を提供する店があるようだ。その系譜なのかも知れない。

 辛ちゃんぽん風うどんはそれに辛味を足したもので、割としっかり辛い。大衆店がレギュラーメニューとして出すにはギリギリの辛さだと思うが、これもうまい。

 私がうどんに舌鼓を打っていると、隣のボックス席にいる家族連れの会話が耳に入ってきた。夫婦と姉弟に見える4人組だ。

 盗み聞きなど悪いと思いつつ、私の耳は意識して声を聞き分けることが出来ない代わりに、意識して聞かないようにすることも出来ないので、なんとなく耳をそばだてつつうどんを啜っていた。

 なぜ私の散漫な意識が隣の家族の会話に向いたかと言えば、それが中国語だったからである。私は浅学にして中国語を解する能力はないのであるが、何度聞いても日本語には聞こえず、抑揚や声調なども中国語に酷似していたので、おそらくではあるものの中国語だったと思う。厳密には違うのかも知れないが、とにかく日本語ではなかったのだ。ここでは中国語ということにしておいてもらいたい。

 声の調子から察するに、その主は姉と思しき少女であった。父親と思しき男性と、息子と思しき少年は普通に日本語で話していたので、余計におや、と思ったのである。まあきょうび国際結婚など珍しくもないし、そのような家庭では両親とはそれぞれの母国の言語で会話する子供たちもいるという話は聞いたことがあるので、この家庭もそうなのだろうと思ったまでだった。

 しかし、姉が話しているのはどう見聞きしても残った母親らしき女性なのだが、その母親は、その中国語に日本語で応答していたのである。適当を言っているようなそぶりもない。会話は十分に成立しているように聞こえた。

 私は感動した。これはフィクションにおいて、設定上異邦人のはずのキャラクターとスッと話が通じる、あのシチュエーションを観察しているようなものではないか。

 小説や漫画などでは、当たり前に存在するはずの言語の壁を殊更描写することは、それそのものに特別な意図がない限り面倒なことである。フィクションの中の登場人物達の間では会話が成立しているのだとすればいいが、それを読む読者の言語学への造詣までは作者も担保できない。もしポアロが突然本当にフランス語で話し始めたら、我々はもうお手上げである。第一、フランス語には例外が多すぎる。例外と辞書で引いたらフランス語が載っている。ナポレオンも不可能という言葉はフランス的でない、フランス的とはすなわち例外であると言っている。これは勿論嘘である。ポアロの口をつくフランス語は一言で、しかもルビに過ぎないのだからこそ、我々のつるつるプリンの如き安直なピンクの脳細胞はギリギリ理解できるのだ。

 あるいは映画やアニメなどでは、異邦人はスッと日本語を喋り始めたり、吹き替えのように日本語がインサートで乗っかってきたりもする。その方が鑑賞者にも理解がしやすいからだが、しかし現実とは映画ではないので、普通2者が何か会話をしようとすれば、2人の間には共通した言語が交わされるものである。英語なら英語、日本語なら日本語というように。それぞれの母語以外に何か共通の言語があれば、それを用いることもあるだろう。しかしながら、その2者がそれぞれ別の言語を話しながら意思の疎通が図れているという構図は、実際に目の当たりにするとかなりシュールなものであった。

 俗にバイリンガルと呼ばれるタイプの人々はこうやって会話することも可能なのだろうか。まあわざわざ違う言語を用いて話をするメリットはほぼゼロだろうから実際にはそういうシチュエーションは起こらないのだろうが、できることはできるのであろう。

 2つ以上の言語を解し話すことができるというのはどういう感覚だろう。私は6年間学んだ英語を「そこそこ聞け、そこそこ読めるが、話せない」程度でしか理解していないため、残念ながらその境地には至ることができない。しかしながら空耳アワーが楽しめなくなるのは困るので、実際今くらいの理解でいいのかも知れない。

 大体、こんにちの機械翻訳の質の向上も目覚ましいものがあるしな。困ったら機械に頼ればよいのだ。軽率に機械を過信して公衆便所にBMWで突っ込むのはドイツ人の悲しきサガだ。勿論私はドイツ人ではないが、ソーセージとじゃがいもとザワークラウトとビールが大好きなので、ドイツのことは好きだ。ドイツが好きな者であれば、やはりBMWで公衆便所に突っ込むところまでは様式美と言えるだろう。勿論そんなことはない。

 私がそんなことを考えている間に、いつの間にか隣の家族は退店していた。家族の素性については、当たり前ながら全く分からなかった。まあ、うどん屋で隣に座っただけの客にあれこれ詮索されるのも心外であろう。

 その時私はうどんとセットのミニカツ丼に取りかかるタイミングだった。以前まで3切れ乗っていたカツは、2切れに減っていた。

 まったく世知辛い世の中である。耄碌した老人のおっぱじめた下らぬ戦役のために何もかも値上がりしておる。今後機械が更に発展して『ターミネーター』の如く人類を脅かしかねないとしても、人類は機械に滅ぼされるまでもなく、機械を過信して勝手に滅んでいくのだろう。

 その前にBMWで公衆便所に突っ込むことができるのは、実は今だけかも知れない。機械は機械を過信しないので、自動運転車が公衆便所に突っ込むことはないのだ。もはや公衆便所に突っ込むことはドイツ人とドイツ好き人の、いや人類の尊厳である気がしてきた。あなたも公衆便所に突っ込みたくなってきたのではないか。公衆便所に突っ込んで人類の尊厳を取り戻そう。耄碌した老人だって隣国に突っ込まず、戦車で公衆便所にでも突っ込んでいればよろしいのである。戦争をやめろ。便所に突っ込め。

 私は泣いているのだ。それはミニカツ丼のカツが減っているからではない。断じてないのである。

2022年4月15日金曜日

耳と受話器の話

(これははてなブログからの引っ越し記事です)

 私は耳がいい。

 きょうびこんなことを書くと修羅のインターネッツには自慢だと受け取られ、音楽や楽器関連の趣味や仕事を持つ人間、すなわち日本人のほぼ全てから夜道で刺されそうであるが、この「いい」というのは別に教養があるとか、絶対音感があるとかいったことではない。単純に、小さな音も大きく聞こえるということである。

 これもまた補聴器もどきの耳かけ式集音器の軟派なテレビCMみたいなセンテンスであり、小さな音が聞こえなくなった壮年熟年層から刺されそうであるが、老人性難聴は50歳頃から見られるものの、顕著に増加するのは大体65歳頃からと言われており、その割合は年齢によって異なるがざっと平均を取ればおそらく5割くらいだと思われるので、65歳以上の人口のおよそ半分である1810万7千人に気をつけていればよくなるのである。これは日本の総人口のおよそ15%程度に満たない数字であり、私が夜道でブスリとやられる心配も85%の大幅減を実現するのだ。

 ちなみにこの数字の出典は総務省統計局ホームページの人口推計(令和3年10月確定値)を参照している。まさか統計局もこんなくだらない雑文に引用されると思ってはおるまい。どうだ参ったか。ケケケ。

 冗長かつ妙に数字に細かい冗談はさておき、私は耳がよすぎて困るのである。たとえば、未だに18kHz程度のモスキート音なら聞こえてしまうし、映画やライブ、果てはクラシックのコンサートですら長く聴き続けていると気分が悪くなる。血管に血が流れる音が耳につき、自分の鼓動がうるさくて眠れなくなることもある。そんなときは扉を隔てた時計の秒針や、自室の壁に掛かっている連続秒針の音ですら気になってくるのだからたまったものではない。枕元の携帯の急速充電器も非常に高い音で唸っていたりする。

 こんな経験をしている人はあまり多くないようだ、という体感によってのみ私は自身の耳がピーキーな性能であると結論付けるわけだが、世の人の大半がこんな調子であるならば是非ご指摘を賜りたい。ついでにどうやって生きているかも教えてもらいたい。

 というのも、上で私の耳は小さな音も大きく聞こえると書いたように、私の耳には指向性らしきものが存在しないようなのである。

 ふつう、人は人混みなどの騒がしい場所においても、自分が聞きたいと思った音に集中することができるらしい。これをカクテルパーティ効果と呼ぶそうだが、私にはこれが少々難しい。聞こえる音は全て一定の音量を保ち続けており、その中から特定の声だけを聞こうとするのは骨の折れる行為なのである。なんとなくの抑揚やジェスチャー、果ては表情や目線の動きなどから言っていることを類推することしか出来ない場合もあり、よって私は騒がしい場所で話をすることをあまり好まない。酒に酔うと殊更声が大きくなるのだが、これは酔っぱらうと声以外の部分からの類推がうまく出来なくなるため、相手も大きな声で話してくれるように促している側面もある。

 このように、耳がいいというのも困った話なのである。自分ではどうしようもないのでもっと困るのである。実のところ一番困るのは自身が弾くギターのビビリやビレやフィンガーノイズにどこまでも神経質になってしまうことだったりするのだが、この場合は「アンプを通して聞こえなければ問題なし」という明確な線引きがあるので分かりやすい。

 そういえば私は電話も苦手である。受話器から聞こえる音と、受話器を当てていない側の耳から聞こえる音が混じり合って、話を聞き取れないのである。

 世の家電メーカーはヘッドフォン型の受話器を標準搭載してほしい。勿論ノイズキャンセリング機能付きである。電話が鳴れば、受け手はスチャッとヘッドフォンを装着して外部の音をシャットアウトするのだ。理想的だ。全く理想の受話器だ。

 大体、なぜ人類は受話器は片耳だけでいいと思っているのだ。考えられる可能性としては、電話で誰かと話しながら、その上で外部の音を聞く必要があるということである。しかし、それは我々が日常で電話を使う上では、かなり特殊なシチュエーションであると言えよう。

 たとえば、戦場であればそうだろう。のんきに前線司令部とヘッドフォンで電話していたら、敵の接近にも吶喊の号令にも気付けないではないか。

 あるいは、手術中の医師などもそうであろう。手術中に患者の心臓が止まって警報音が鳴っても、医師は気付かずヘッドフォンで実家の母と帰省の予定などを話し合っている。母ちゃん今年も帰れそうにないよ、などとのたまっておる。我が国の医師の激務ぶりには大変痛み入るが、なにも今そんな話をしなくてもよかろう。えーい静まれ静まれ、患者一匹が死にかけておるのだぞ。三島由紀夫ならそう言って自決したであろう。というわけで医師が実家の母と談笑している間に、死体が2つ出来上がるという寸法である。いやそもそも手術中の医師が電話に出ている場合か。これは電話の構造より運用体制を見直すべきである。

 そもそもついでに言ってしまえば、こんなことはそもそも起こらないのである。こんなシチュエーションなど私がテキーラを3杯ショットで飲んだために生まれてきただけであって、本当はないのである。それに三島由紀夫はもう墓の下である。ではなおさら、家電メーカーは電話の受話器をノイズキャンセル付きヘッドフォンにするべきではないか。

 勿論、携帯電話ではだめだ。道を歩きながら話をすることも多かろう。会話に夢中で車に轢かれたり自転車に轢かれたり、穴に落ちたり山に登ったりしてしまうに違いあるまい。何しろ歩きながら通話をしているときの我々のIQはウシガエル並みにまで下がっていると言われているので、ウシガエルよろしくアスファルトの上で平たくのされてしまうのがオチである。そんなことはない。ねんのため。

 となればやはり固定電話こそ、受話器をヘッドフォン型にするべきである。固定電話を持ち歩いて通話する馬鹿は、世界広しといえどもおるまい。道で固定電話を持ち歩きながら通話している人がいるとすれば、それはいつもの小道具を家に忘れた平野ノラだけである。

 なぜヘッドフォン型受話器は普及していないのか。これは相当なビッグビジネスの予感がする――と酒の勢いでここまで書いてきたところで、BGM代わりに点けていたテレビの通販番組が「30分間オペレーターを増やしてお待ちしております」などと抜かしていた。コールセンターらしき場所で、にこやかに対応する妙齢の女性の耳には、ヘッドフォン。

 忘れていた。ヘッドフォン型の受話器は既に存在するのである。ざっと調べてみたところ出るわ出るわ、普通の固定電話に直に差せるヘッドフォン型受話器のオンパレードである。主に30分間だけ増員される類いのオペレーター達には人気のようである。

 願わくは、これがあの不格好な受話器を駆逐して、世界標準になってもらえまいか。今のところその気配は全くない。やはり、30分間だけ増員される、という特殊な形態の雇用では、社会の中で存在感を持つことなど出来ないのだろうか。

 あるときは私立探偵、またあるときは片目の運転手、またあるときはインドの魔術師、果たしてその正体は――30分間だけ増員されるコールセンターのオペレーターである。これは冴えないなあ。こんな多羅尾伴内ではチャンバラ禁止にあえぐ東映を救えはしなかったはずで、すなわちヘッドフォン型受話器の天下も遠いのである。

2022年4月11日月曜日

崩壊

(これははてなブログからの引っ越し記事です)

 私は缶詰を眺めていたのである。

 場所は近所のスーパーマーケット。時刻は夜8時過ぎ。私の手にはオイスターソースが1瓶と、キュウリが3本握られていた。明日の夕食の材料である。

 家から少し離れた場所にある資源ゴミの堆積場に古新聞やダンボールなどを出しに行った帰りに、昼間買い忘れた食材を買うため、私はその店に入ったのである。

 まずオイスターソースを手に取り、キュウリを3本、備え付けの薄っぺらなポリ袋に詰めて持った。夜8時も過ぎた店は客の数もまばらで、蛍光灯の明かりがどこかうらぶれたように白々しく、鮮魚コーナーや精肉コーナーには空白が目立っていた。

 それらを横目に眺めながら歩き、菓子売り場で先日終売となった「スーパーソーダガム」がまだ売られているのを見て、ぶらぶらと足を缶詰・瓶詰の棚へと向けたのである。

 この店というのは立地が近所であるというだけで、別段安いわけでもうまいわけでもないので、普段はあまり立ち寄らない。こうして買い忘れに気付いたときや、どうしても他の店に行く余裕がないときにだけやってくる程度の店である。そんな程度の利用であるから、どこに何が並んでいるとか、どういった程度の品揃えだとかはよく分かっていない。よくよく棚を眺めると、聞いたこともないようなメーカーの見たこともないような商品がいくつも並んでいたりする。私はそういうものを見るのが割と好きな部類であるので、しげしげと棚を眺めながら、問題の缶詰・瓶詰の棚がある条までやってきたのだ。

 このように、今思い出せば、詳しい事の次第や状況を説明できる。しかし。

 私は缶詰を眺めていたのである。聞いたこともないメーカーが出している、どうやらかなり辛い味付けらしい鰯の缶詰を見つめた、その瞬間だった。

 長いトンネルを抜けたときのように、視界の輝度が急に上がったように思われた。反射的に首を動かすと、ほんの一瞬ではあったものの、あたかも酩酊したときのように世界にモーションブラーがかかった。

 そうして私は、ここがどこで、私は一体何をしていて、どうしてここにいるのかを、全て忘れたのである。

 いや、忘れたというのは正確ではない。思い出せなくなったと言った方が正しい。より正確に記すならば、それらの理由が書かれたフリップを、曇りガラスの向こうに置かれてしまったような感覚に陥ったのだ。

 世界から音が消えた。レジスターの音、客の話し声、冷蔵庫の唸り声、あれほど調子よく鳴っていた有線放送も聞こえなかった。

 私は何故か、咄嗟に「帰らなきゃ」と強く感じた。しかし、一体どこへ帰るというのか。家へか。そもそもここはどこで、どこへ行けば家へ帰れるというのか。あるいは元の世界へか。元の世界、元の世界とは、一体何か――。

 気がつけば私は、缶詰・瓶詰の棚がある条を通り抜けていた。世界の輝度は元の仄暗さに戻っていた。有線放送の気の抜けた電子音が、頭上から降ってきていた。私の手にはオイスターソースが1瓶と、キュウリが3本握られていた。そして、そこは近所のスーパーマーケットだった。

 私は缶詰を眺めていたのである。缶詰を眺めながら、その条を歩いていたのである。オイスターソースとキュウリを手に持って。

 今思い返せば、それはたった数秒のことだったように思われる。人間は危険を感じたとき、視覚情報を処理することよりも危機を回避することに集中すると聞いたことがある。そのために視覚情報の処理が遅れ、世界がスローモーションで見えるのだという。

 もしこの体験がそうだったとして、私は一体何に危険を感じたのだろう。全ての記憶が曇りガラスの向こうへと置かれ、アクセスを遮断されたことに危機を覚えたのだろうか。それは危機というよりも、どちらかといえば恐怖に近いものであったと思う。それは、私が私でなくなることの恐怖、人格が崩壊することへの恐怖であった。

 私は足早に会計を済ませ、店を後にした。ガラス張りの自動ドアには私の顔が映っていた。心なしか青ざめた顔が。

 崩壊とは、得てして突然起こるものなのかも知れない。

2022年4月10日日曜日

「雑文」への憧憬

(これははてなブログからの引っ越し記事です)

 かつて、インターネットには「雑文書き」と自称する人々がいた。

 それはWebが2.n番台以降の大型アップデートをするよりも以前、インターネットがまだ贅沢品だった時代の話である。人々はこぞって夜11時を心待ちにし、例の児童用鉛筆削りみたいなデザインのアイマックに憧れ、HTMLを手打ちし、2000年問題に恐れ戦いていた。電車男がエルメスを助けるよりもずっと以前の話である――このくだりは軽いジャブ程度に誇張して書こうとしたが、私自身が直撃世代ではないことと、書いていてちょっとクラクラしてきたのでこのくらいにする。

 当時、インターネット上に画像を載せることは基本的に御法度であった。テキストのみで構成されたサイトに比べ、画像はデータサイズが大きく、読み込みに時間がかかるためである。例えば現代でこそ阿部寛氏の公式サイトは低スペックマシンのベンチマークのように扱われているが、氏のサイトは当時の基準でみればかなり手の込んだ作りだと言える。そういう時代だったのだ。つまり、この世に存在する個人のサイトというのは殆どがテキストサイトだったのである。自称「雑文書き」達は大なり小なり、こうしたサイトを(おそらくHTMLを手打ちしながら)運営していた。

 私はといえば、かつて「デジタルネイティブ」と呼ばれた世代の中で、どちらかといえば古参に入る部類、という非常に中途半端な立ち位置にある人間である。かろうじて学校やご家庭にPCはあったが、それで見るものといえばおもしろFlashの類いと相場が決まっていた、と言えば、大体絞り込めるだろう。多摩美出身の二人組がモナーとなってコントをやり、モルドバ出身のグループが狂ったようにマイアヒと歌い、暴走する路面電車をドナルドが止めようとして轢死し、CJは警察と市民から必死に逃げていた。これまたゆるふわな時代であった。

 私は――自宅に家族共用のPCがちゃんとあったのにも関わらず、意外にも――当時はまだインターネットとは距離を置いており、もっぱら本の虫であった。所謂活字中毒と呼ばれる状態で、家のめぼしい本は読み尽くし、スーパーのチラシや電話帳を読み、父の蔵書の青年漫画に手を出して、この世に「エロ漫画」というものが存在することを知ったのだから業が深い。その後なんやかんやあって、未だに消えないトラウマを背負う羽目になるのだが、それはこの文章とは関係のないことなので割愛する。

 実際のところ、私がインターネットと急速に接近したのは、もっぱらエロ目的だったことを明言しておきたい。勿論最初はインターネット上のエロコンテンツのことなど頭にもなかったが、ひょんなことから兄のエロ画像フォルダを発見したことで全てが狂ったのである。迂闊にも兄は共用PCでエロ画像を保存していたため、最初の内はそれを漁っていた。兄のブックマークなどからエロサイトを覗くことを覚えたのは、また兄の部屋でプリントアウトされたエロ画像を発見し、そのヘッダに記されたURLのサイトに飛んでみたことがきっかけである。

 話が脱線しすぎた。この手の自分語りが多くなるのは私の悪い癖である。私は中身が空っぽなので、もとより少ない体験を水増しして水増ししてシャバシャバにしたがるのである。アメリカで密売されるヘロインのような話だ。もとは何の話だったかというと雑文書きの話である。

 彼らは日常の悲喜を軽妙な文章に乗せてただ書いていた。尤も、インターネットの人口が星の数に迫らん勢いの今日から考えれば、当時はインターネットなどまだまだ小さいコミュニティであり、付き合いもハードルが高くその分濃密であったのだろうから、彼らが読者を想定せず、ただ自己顕示欲の発露として書いていたわけではないことは理解している。

 しかしながら今現在、「ただ書いた」長文を発表できるものとして想定された場はほぼないような気がする。このはてなも技術書から業務連絡から、何かしらの目的が付随したブログが殆どだと思う。twitterなどのSNSはシステム上長文を書くのは望ましくなく、小説家になろうなどのサイトはそもそも小説を書く場だ。

 あれほど隆盛を誇った雑文書き達は、どこへ行ってしまったのだろう。今生きているとすれば50歳代前後だと思われる。まだ死ぬのには早い歳だろうから死んでこそいないだろうが、その筆力を活かしてエッセイストにでもなったというような話も聞かない。大体そんなおいしい話が転がっていれば、人類は皆エッセイストになるのである。平成のエッセイスト大爆発が起こっていたはずなのである。こう呼ばれるのは、平成以前のエッセイストは硬い細胞を持っておらず化石として残らなかったため、近年まで我々の知るところとならなかった側面が大きい。勿論そんなことはない。

 持って回った冗談はさておき、2006年で更新の止まった雑文サイトなどを見ていると、本当に生きているのかといぶかしく思ってしまうのも無理のない話であろう。

 かくいう私も個人サイト・ブログの類いをtumblrなどのマイクロブログサービスを除けば4つほど運営してきて、更新が年単位で途切れることなどザラであった。現にここも更新が途切れがちであるし(日記として更新するのは少し前にやめてしまった)、最もひどいところなど更新材料がなさ過ぎてまるっと16ヶ月更新が止まっていた。

 twitterをやっていることもあり、日常の機微はそちらで書いているから長文にできないのかといえば実際そうでもない。確かに私のtwitterアカウントのメインコンテンツは日常の機微と冷笑主義とポルノであるが、実のところpost数は2017年を境に減少傾向であり、1000post/月を割り込むことも多くなってきている。

 その主たる理由は私が無職になったこと、twitter上の世論に辟易したこと、私のこのひねくれた性格のせいでネット上・リアル問わず友人が激減したことなどである。「本当に難しいのは、手放すこと、なのだ……」とどこかで聞いた台詞を口走るまでもなく、モノ以外には執着しない私の、シビックの如きシャープなコーナリングについてこられない愚物のなんと多いことか。泣いてはいない。いないったら。

 つまるところ、私は本当なら何かしらの形でアウトプット出来たはずの日常の機微を無視して生きていることになるのだ。これはよろしくなかろう。

 愛の対義語は無関心である、と説いた古人もいたように、日常に無関心であり続けると、人間は勝手に生きることを放棄するモードに突入する。これは実体験をしてそうだと言える。あの時地下鉄のホームゲートを乗り越えていれば、私は今この文章を書いていないし、無職になり気難しくなって友人を失うこともなかったのである。どっちがよりよかったのかは人それぞれの解釈だと言えるが。

 とにかく、私はもう日常の機微に無関心ではありたくない。そんな折、私の脳裏に浮かんだのは、在りし日の「雑文書き」達の姿であった。彼らと私達とでは、時代も置かれた環境もエロ画像の蒐集のしやすさも、もう何もかもが違うわけだが、それ故に彼らが行っていた「ただ書く」という行為の価値が輝くとでも言おうか、「インターネットが秘密の遊び場だった時代」の残り香、ある種のフロンティア精神――考えてもみたまえ、PCの前に座り、背筋と根性とを直角にひん曲げて延々とキーボードを叩き、誰が読むとも知れない文章を(それでも読者を想定しながら)「ただ書いている」のは、最も生産性の3文字から遠い行いではないか――を、この実用第一主義、現世利益にまみれてしまった今日のインターネットの中で行使することは、"ほんとうの表現"たり得るのではないかと思ったのである。

 それは殊更に悪趣味であったり、殊更に冷笑主義的であったりすることは意味しない。ただ単に、自身のひとつの側面の発露として、適度に悪趣味で、適度に冷笑主義的で、適度にデカダンであることを目指す、という、かつては私小説というものが担っていたジャンルである。なんだか志賀直哉が墓の下でのたうち回りそうな話はさておき、昨今のインターネットに溢れる、周辺光量を落とし、「ポップ」フィルタをかけ、ハッシュタグの熨斗をあたかもB級映画に出てくるハッカーが使っているマックブックの如くベタベタ貼りつけた写真ばかりが、表現ではないのだと言いたい。

 ……とまあド大層なご高説をぶったが、要はここを、かつての「雑文書き」達のような文章を書いてゆるく更新していく場所にしたいなと思ったのだ。おそらく、時折まじめに映画の話もするだろう。ふざけて音楽やギターの話もするだろう。思い出したように怪談もするだろう。

 しかしその全ては、インターネットという薄っぺらい膜を通して見えているものだということを覚えておいて欲しい。無限に連なる意識の集合体としてのあなたであり私が、インターネットを通じて見ているもの、そして知覚するもの、あるいは生活や人生の全ては、虚構であるのかもしれないのだから。何もかもが現実ではない。それゆえ私達は何ひとつ不安に思うこともないのである。ジョン・レノンがそう言うのだからそうなのである。似たようなことは京極夏彦も書いていたような気がするが、私は夢の中で自分が殺した人の家に立ったことなどないし、指ぬきグローブなど気恥ずかしくて身体が自然発火するため着用できないので、ジョン・レノンのほうが卑近な存在に思えるのである。そうだと言ったらそうなのである。

 ここに書いてあること、その現実性の担保は、これを読むあなた自身の中にあるのだ。