2022年4月10日日曜日

「雑文」への憧憬

(これははてなブログからの引っ越し記事です)

 かつて、インターネットには「雑文書き」と自称する人々がいた。

 それはWebが2.n番台以降の大型アップデートをするよりも以前、インターネットがまだ贅沢品だった時代の話である。人々はこぞって夜11時を心待ちにし、例の児童用鉛筆削りみたいなデザインのアイマックに憧れ、HTMLを手打ちし、2000年問題に恐れ戦いていた。電車男がエルメスを助けるよりもずっと以前の話である――このくだりは軽いジャブ程度に誇張して書こうとしたが、私自身が直撃世代ではないことと、書いていてちょっとクラクラしてきたのでこのくらいにする。

 当時、インターネット上に画像を載せることは基本的に御法度であった。テキストのみで構成されたサイトに比べ、画像はデータサイズが大きく、読み込みに時間がかかるためである。例えば現代でこそ阿部寛氏の公式サイトは低スペックマシンのベンチマークのように扱われているが、氏のサイトは当時の基準でみればかなり手の込んだ作りだと言える。そういう時代だったのだ。つまり、この世に存在する個人のサイトというのは殆どがテキストサイトだったのである。自称「雑文書き」達は大なり小なり、こうしたサイトを(おそらくHTMLを手打ちしながら)運営していた。

 私はといえば、かつて「デジタルネイティブ」と呼ばれた世代の中で、どちらかといえば古参に入る部類、という非常に中途半端な立ち位置にある人間である。かろうじて学校やご家庭にPCはあったが、それで見るものといえばおもしろFlashの類いと相場が決まっていた、と言えば、大体絞り込めるだろう。多摩美出身の二人組がモナーとなってコントをやり、モルドバ出身のグループが狂ったようにマイアヒと歌い、暴走する路面電車をドナルドが止めようとして轢死し、CJは警察と市民から必死に逃げていた。これまたゆるふわな時代であった。

 私は――自宅に家族共用のPCがちゃんとあったのにも関わらず、意外にも――当時はまだインターネットとは距離を置いており、もっぱら本の虫であった。所謂活字中毒と呼ばれる状態で、家のめぼしい本は読み尽くし、スーパーのチラシや電話帳を読み、父の蔵書の青年漫画に手を出して、この世に「エロ漫画」というものが存在することを知ったのだから業が深い。その後なんやかんやあって、未だに消えないトラウマを背負う羽目になるのだが、それはこの文章とは関係のないことなので割愛する。

 実際のところ、私がインターネットと急速に接近したのは、もっぱらエロ目的だったことを明言しておきたい。勿論最初はインターネット上のエロコンテンツのことなど頭にもなかったが、ひょんなことから兄のエロ画像フォルダを発見したことで全てが狂ったのである。迂闊にも兄は共用PCでエロ画像を保存していたため、最初の内はそれを漁っていた。兄のブックマークなどからエロサイトを覗くことを覚えたのは、また兄の部屋でプリントアウトされたエロ画像を発見し、そのヘッダに記されたURLのサイトに飛んでみたことがきっかけである。

 話が脱線しすぎた。この手の自分語りが多くなるのは私の悪い癖である。私は中身が空っぽなので、もとより少ない体験を水増しして水増ししてシャバシャバにしたがるのである。アメリカで密売されるヘロインのような話だ。もとは何の話だったかというと雑文書きの話である。

 彼らは日常の悲喜を軽妙な文章に乗せてただ書いていた。尤も、インターネットの人口が星の数に迫らん勢いの今日から考えれば、当時はインターネットなどまだまだ小さいコミュニティであり、付き合いもハードルが高くその分濃密であったのだろうから、彼らが読者を想定せず、ただ自己顕示欲の発露として書いていたわけではないことは理解している。

 しかしながら今現在、「ただ書いた」長文を発表できるものとして想定された場はほぼないような気がする。このはてなも技術書から業務連絡から、何かしらの目的が付随したブログが殆どだと思う。twitterなどのSNSはシステム上長文を書くのは望ましくなく、小説家になろうなどのサイトはそもそも小説を書く場だ。

 あれほど隆盛を誇った雑文書き達は、どこへ行ってしまったのだろう。今生きているとすれば50歳代前後だと思われる。まだ死ぬのには早い歳だろうから死んでこそいないだろうが、その筆力を活かしてエッセイストにでもなったというような話も聞かない。大体そんなおいしい話が転がっていれば、人類は皆エッセイストになるのである。平成のエッセイスト大爆発が起こっていたはずなのである。こう呼ばれるのは、平成以前のエッセイストは硬い細胞を持っておらず化石として残らなかったため、近年まで我々の知るところとならなかった側面が大きい。勿論そんなことはない。

 持って回った冗談はさておき、2006年で更新の止まった雑文サイトなどを見ていると、本当に生きているのかといぶかしく思ってしまうのも無理のない話であろう。

 かくいう私も個人サイト・ブログの類いをtumblrなどのマイクロブログサービスを除けば4つほど運営してきて、更新が年単位で途切れることなどザラであった。現にここも更新が途切れがちであるし(日記として更新するのは少し前にやめてしまった)、最もひどいところなど更新材料がなさ過ぎてまるっと16ヶ月更新が止まっていた。

 twitterをやっていることもあり、日常の機微はそちらで書いているから長文にできないのかといえば実際そうでもない。確かに私のtwitterアカウントのメインコンテンツは日常の機微と冷笑主義とポルノであるが、実のところpost数は2017年を境に減少傾向であり、1000post/月を割り込むことも多くなってきている。

 その主たる理由は私が無職になったこと、twitter上の世論に辟易したこと、私のこのひねくれた性格のせいでネット上・リアル問わず友人が激減したことなどである。「本当に難しいのは、手放すこと、なのだ……」とどこかで聞いた台詞を口走るまでもなく、モノ以外には執着しない私の、シビックの如きシャープなコーナリングについてこられない愚物のなんと多いことか。泣いてはいない。いないったら。

 つまるところ、私は本当なら何かしらの形でアウトプット出来たはずの日常の機微を無視して生きていることになるのだ。これはよろしくなかろう。

 愛の対義語は無関心である、と説いた古人もいたように、日常に無関心であり続けると、人間は勝手に生きることを放棄するモードに突入する。これは実体験をしてそうだと言える。あの時地下鉄のホームゲートを乗り越えていれば、私は今この文章を書いていないし、無職になり気難しくなって友人を失うこともなかったのである。どっちがよりよかったのかは人それぞれの解釈だと言えるが。

 とにかく、私はもう日常の機微に無関心ではありたくない。そんな折、私の脳裏に浮かんだのは、在りし日の「雑文書き」達の姿であった。彼らと私達とでは、時代も置かれた環境もエロ画像の蒐集のしやすさも、もう何もかもが違うわけだが、それ故に彼らが行っていた「ただ書く」という行為の価値が輝くとでも言おうか、「インターネットが秘密の遊び場だった時代」の残り香、ある種のフロンティア精神――考えてもみたまえ、PCの前に座り、背筋と根性とを直角にひん曲げて延々とキーボードを叩き、誰が読むとも知れない文章を(それでも読者を想定しながら)「ただ書いている」のは、最も生産性の3文字から遠い行いではないか――を、この実用第一主義、現世利益にまみれてしまった今日のインターネットの中で行使することは、"ほんとうの表現"たり得るのではないかと思ったのである。

 それは殊更に悪趣味であったり、殊更に冷笑主義的であったりすることは意味しない。ただ単に、自身のひとつの側面の発露として、適度に悪趣味で、適度に冷笑主義的で、適度にデカダンであることを目指す、という、かつては私小説というものが担っていたジャンルである。なんだか志賀直哉が墓の下でのたうち回りそうな話はさておき、昨今のインターネットに溢れる、周辺光量を落とし、「ポップ」フィルタをかけ、ハッシュタグの熨斗をあたかもB級映画に出てくるハッカーが使っているマックブックの如くベタベタ貼りつけた写真ばかりが、表現ではないのだと言いたい。

 ……とまあド大層なご高説をぶったが、要はここを、かつての「雑文書き」達のような文章を書いてゆるく更新していく場所にしたいなと思ったのだ。おそらく、時折まじめに映画の話もするだろう。ふざけて音楽やギターの話もするだろう。思い出したように怪談もするだろう。

 しかしその全ては、インターネットという薄っぺらい膜を通して見えているものだということを覚えておいて欲しい。無限に連なる意識の集合体としてのあなたであり私が、インターネットを通じて見ているもの、そして知覚するもの、あるいは生活や人生の全ては、虚構であるのかもしれないのだから。何もかもが現実ではない。それゆえ私達は何ひとつ不安に思うこともないのである。ジョン・レノンがそう言うのだからそうなのである。似たようなことは京極夏彦も書いていたような気がするが、私は夢の中で自分が殺した人の家に立ったことなどないし、指ぬきグローブなど気恥ずかしくて身体が自然発火するため着用できないので、ジョン・レノンのほうが卑近な存在に思えるのである。そうだと言ったらそうなのである。

 ここに書いてあること、その現実性の担保は、これを読むあなた自身の中にあるのだ。