2022年11月2日水曜日

汝深淵を覗く者は

(これははてなブログからの引っ越し記事です)

 この度、私は生まれて初めて「金縛り」というものを経験したのである。

 金縛りというと、アレである。あの、眠っている内に気付けば体が動かなくなっていて、大抵足元から何かがやって来て足首を掴んだり、大胆にも胸に乗っかったりしてくるアレである。

 私はホラー小説を耽溺しクズホラー映画を愛憎し怪談を蒐集していたりするくせに、基本的には合理主義かつ懐疑主義であるので、そのようなファンタジックな体験談は話半分で聞いている。体が動かせなくなるのは眠りに落ちる時に生じる睡眠麻痺と呼ばれる一過性の生理現象であるし、何かしらがやって来るように思うのは入眠時幻覚と呼ばれる非常にリアルな夢である。科学である程度確かめられている現象として解釈出来ることを、わざわざウルトラCの理屈をこね回し、先祖だの水子だの地縛霊だのなんだのを引き合いに出して原因を探る意味などないのだ。

 と、ここまでは私の乏しくもゼロではない理性の上での話である。

 よく言われるように、理性と感情は別物であり、しかしながら矛盾もすれば両立もする。その線引きはファジーでまだらであり、何もかもきっぱりと白黒つけられる人間など存在し得ない。私も合理主義を標榜しておきながら、実際のところ、金縛りにかかっている内に覚えた感情として最も適切な表現は「恐怖」であった。

 その日、私は夜半を待たずに寝落ちしたのである。部屋の明かりは煌々と点いたままだったし、窓にカーテンすら引いていなかった。やっと尿意を覚えて起き上がったのが朝5時前だったと記憶している。

 当日は通院の予定があったとはいえ、いくらなんでも5時起きは早すぎる。ゆっくりと風呂に浸かってもまだ時間が余る。だいたい、ゆっくり入浴した後で病院に向かいたい人などいるだろうか。いやおるまい。そうなってしまえば、快適な気温の部屋で足を投げ出してのんびりしたいのが人間のサガである。ついでにアイスクリームなども欲しいところだ。いよいよ通院どころの騒ぎではない。

 トイレに行って部屋に戻ってきた私が選んだのは、無論二度寝であった。目覚まし時計は最初から余裕を見た時刻にセットしてある。

 そもそも私は目覚ましをセットした時刻の1時間ほど前には必ず目が覚めてしまう損な性分なのだが、そこで目覚まし時計を切り二度寝すると絶対に予定の時刻には起きられないので因果な話である。短い社会人生活を送っていた頃から、呆れるほどの正確さを以て、私の睡眠時間は1時間ずつ削られ続けてきたのだ。この場合もおそらくそうなるだろう、と思った私は、目覚ましを1時間遅くした。どうせ予約診療ではないのだ。1時間くらい遅れても何ら問題ない。

 カーテンを引き、布団に潜り込んで明かりを消す。こういう時ほど、遮光カーテンのありがたみを痛感することはない。さっと引くだけで擬似的な夜を作り出せる。私のような無職が、惰眠を貪るのが趣味になるのも無理もない話だろう。

 布団はまだ熱を帯びており、もう朝晩はかなり冷え込むトイレや廊下から戻ってきた私には少し温かすぎた。その中でしばらく右に左に寝返りを打っていたのだが、いよいよ耐えきれなくなって、左半身を下にした状態で左足を曲げ、足の裏を布団から出したその瞬間だった。

 何か甲高い金属音のような音が聞こえたかと思うと、私の体は一切の自由を失った。布団から飛び出した左足の裏だけが涼しい。恥ずかしながら、私が最初に疑ったのは脳梗塞など、そういう類いの疾患である。どうせ日頃の不養生が祟ったのだ。ああ、なんて呆気ない――。

 私はそう遠からぬうちに降りてくるはずの死の帳を待ったが、一向にそれはやってこなかった。代わりに意識だけが鋭敏になっていくのが分かる。体勢上、目を開いたとして見えるものはベッドの左隣に隣接する壁だけであるはずなのだが、果たして私の意識は、ベッドの下からぬぅっと首を伸ばし、布団から突き出た私の左足を凝視する、真っ黒でつるりとした頭の存在を知覚した。

 私はそれを、黒く塗られたプラスチックスプーンのようだ、と思った。諸兄らも、模型趣味の人が塗料の試し塗りとして、プラスチックスプーンの背に塗装しているのを見たことはないだろうか?ああやって黒く塗られたスプーンのようにのっぺらぼうの頭が、ベッドの下から伸びているのである。それが、私の左足のすぐ隣にあるのだ。

 私は左足を引っ込めようと躍起になったが、体はちっとも言うことを聞かない。この段に至って初めて、私はこれが所謂「金縛り」という現象であることに思い至った。

 ほぉー、これがあの金縛りというやつか。本当に体が動かせなくなるんだな。私の眠りに落ちかけていた理性が「金縛り」という単語に反応してモソモソと動き出し、寝ぼけ眼でそんなのんきなことを抜かしている一方で、感情は理性の肩をガクガク揺さぶりながら出川哲朗ばりに「ヤバいよヤバいよ」と繰り返していた。何がヤバいのかといえば、勿論私の左足の裏を凝視する黒い存在である。見ていないのに存在が分かる。悪意を左足の裏で感じる。早く足を布団の中に引き戻さなくてはならないのだ。

 感情は矢継ぎ早にそれらのことを口にする。起き抜けの理性は頭をグワングワン揺らされて若干気持ち悪くなっているので、それらに合理的な反論をする余地がない。下手に口を開けば舌を噛みそうなのだ。その間にも感情はヒートアップしていく。

 いよいよ黒い存在はその頭を垂れて、私の足の裏を舐め回さん勢いである。感情は恐怖のあまり卒倒した。すると、肩を掴んだ腕から解放された理性が、やっとものを言えるようになったのである。理性は一通り、私が上述したようなことを述べた。

 私の体は動き出した。頭は鮮明な夢を見た直後の、実記憶と夢の記憶が渾然となっている状態に近い。左足を布団に引っ込め、寝返りを打って足元を見たが、黒いスプーンは勿論その存在の痕跡すらもない。

 感情も落ち着かせることに成功した私は再び布団を肩まで被り、眠りを貪った。私の理性も感情も、この度は静かに眠りに落ちていった。それを叩き壊したのは、目覚まし時計のベルである。私は布団の中から腕を伸ばしてそれを止め、1時間後にセットし直し、三たび寝た。

 私は都合2時間長く寝たことになるが、そのことに気付くのは再び目覚まし時計に叩き起こされ、時刻を確認したときであった。病院は午前の診療時間ギリギリに滑り込みになってしまい、焦りのあまり保険証を提出し忘れ、明細書を受け取らずに帰ろうとし、処方薬の代金を払わずに薬局を出そうになるなど、その日は細かいポカを山ほど積み上げることになってしまった。

 何もかもが、あの黒スプーン野郎のせいである。あのスプーンの他に誰が責められようか。必死に考えても自分の顔しか出てこないので、スプーンのせいにしなければやっていられない。感情がそう訴えている。理性の方は勿論スプーンのせいではないと知っているが、事実を指摘すれば私自身を責めることになるので感情と一緒になってそう訴えている。こうして金縛りは、先祖だの水子だの地縛霊だのスプーンだのといった、大方体験者の幻覚の中にしか存在していない、ある意味で都合の良い存在に罪科を押し付けて人口に膾炙していくのである。

 私は諸兄らに言いたい。そうやって都合よく濡れ衣を着させ続けていると、そのうち本当に呪われてしまいますよと。本邦は言霊の国である。言葉の力は恐ろしいのである。いわんや私や諸兄らが太刀打ち出来るものではない。「存在しないもの」の上にむやみやたらに積み上げられた罪科は、いずれ崩れて我々の上に降り注いでくることだろう。

 人を呪わば穴二つ。その内訳は勿論、私が入る穴と、諸兄らが落ちる穴である。穴の底で、待ってます――。