(これははてなブログからの引っ越し記事です)
基本に立ち返る。いい言葉である。
我々はついつい基本をおろそかにして、痛い目に遭うのである。いわんや、私や諸兄らという荒涼たる砂漠の上に何かしらを立てようと思うのであれば、真っ先にやるべきことは基礎固めだ。エジプトはギザの大ピラミッドもサハラ砂漠の砂の上に鎮座しているわけではなく、元々あった岩盤をある程度整地し、その上に切り出した岩のブロックを積み上げて建築されていることが分かっている。
つまり何が言いたいかというと、基礎をしっかりと固めた面積と、その上に積み上げられる事物の高さとは、概ね正比例するのである。高みを目指すなら、まずやるべきはしっかりと基礎を固めることなのだ。諸兄らもマインクラフトで無益に山をひとつ切り崩し、だだっ広い平地を作ったりしているだろう。同じことである。
尤も、イマジネーションとクリエイティビティに難がある私や諸兄らのことであるので、平地に立ち並ぶのは極めて無個性なお豆腐建築ばかりであり、地方都市のベッドタウンのような有様になるのが関の山だ。そのうち、住処の山を追われたひつじさんやぶたさんやおおかみさんが化けてプレイヤーに復讐を仕掛けるであろう。
令和中立mob合戦の様相を呈するゲームの話はさておき、我々は基礎・基本の大切さを勿論頭では理解しているというのに、それでも失敗するのだから始末に負えない。人生というクソゲーが所謂オワタ式になって久しい昨今、誰しもが失敗することに対しピリピリしているのにも関わらずである。
さて、私は先日、かなり久しぶりに、車で自分ひとりのためだけに用事を足しに行ったのだった。具体的には古道具屋巡りである。古道具屋で自分の趣味やニーズに合致するものを探し当てた時の喜びはなかなか他では得がたい体験であり、往々にして節約にもなるので、私は時折このように古道具屋を巡らねばどうしようもなくなる程度には、古道具屋を覗くことを好む。
古道具屋や中古楽器店をはしごしながら私が住んでいる町の反対側までやって来たところで、時計は午後1時を打っていた。そろそろ昼食を摂っておかないと、その後の予定に差し支える。というわけで私はラーメン屋に入ったのであった。
それは近頃私の住む町にも勢力を拡大しつつある、所謂横浜家系と呼ばれる類いのラーメン屋だった。私が仙台で学生をやっていた頃、学校の近所に(やや特殊ではあったが)家系の系列に連なる類いのラーメン屋があり、そこに足繁く通っていたため勝手が分かっているというのも選択の決め手であった。私ほど堂に入った社会不適合者は、食券制の店でなければ安心して好きなものを注文することも出来ないのである。
なお、例え食券制の店であっても、私が短いインターバルでやって来ては判で押したように毎度同じものを注文するために顔を覚えられてしまい、食券を出すより先に店員さんに「あっ、いつものやつですね」などと言われてしまったことがある。その際、私は恥ずかしさのあまりその店に3ヶ月もの間近付けなくなってしまった。これは提言なのだが、飲食店の運営に関わる人はあまり客の顔を覚えない方がいい。覚えていても、それを態度に表さずにいるべきである。さもなくば、太客をみすみす逃すことになるのだ。
さて、私は食券を買い、席についてそれを店員さんに渡した。お味は?醤油で。濃さは?普通で。麺は?硬めで。うむ、ここまでは完璧な流れである。別段不自然ではない。通い慣れているように見えるとまではいかなくとも、最低限セオリーを知っているように見えるはずだ。しかしながら、私のささやかな「人間に擬態出来ている」という安心は、店員さんの次の一言でぶち壊されてしまった。
大盛り無料ですが。
お、お、お、大盛り?見れば壁には「ランチタイム大盛り無料」の文字が。しまった。見逃していた。
アッ、エット、アノ、ジャア、ソノ、オオモリデオネガイシマス……。
私は傍目にも哀れなほど動転していたと思う。いつものようにヘリウムガスを飲んだバルタン星人のような声になりながらやっとの思いで答え、私は深々と椅子に沈み込んだ。
全く、私という輩はどうしてこうも想定外に弱いのだろう。何かあればすぐに鍍金が剥げてしまう。安ギターのパーツくらいすぐ鍍金が剥げる。どうしてラーメンの大盛りくらいスパッと頼めないのだろうか。ああ、井之頭五郎になりたい。出先で見つけた店に何の躊躇もなくガラリと入店し、好きなものを好きなように食べ、時にはぼやきながら、またある時には店主にアームロックをかけながら、昼間から銀座で寿司を食える生活を、そしてそれを是と出来る強さを持ちたい。
私が私の生まれ出づる悩みについて煩悶していると、果たしてラーメンがやって来た。家系らしくこってりとしたスープに、太い麺が浮いている……否、それは浮いているのではなかった。麺はそのあまりの量にスープに沈みきれず、表層でとぐろを巻いていたのである。その異常な量こそが、この店の「大盛り」であった。
昼時もやや過ぎ、腹はそれなりに減っていたとはいえ、これは今日の昼食に割り振られたキャパシティより明らかに多い。私は私の穀潰し度合いに関してはそれなりに自信を持っているが、うっかりサイドメニューのミニチャーシュー丼も注文してしまっていた。そして今私の目の前にあるのが、大量の麺と米というわけである。
私は仕方なく、胃の容量を気にしながら、あるいは食べきれなかった場合どうなるかを想像して震えながら、その大量の麺と米を消費した。結論から言えばなんとか完食出来たのだが、スープにはほぼ手をつけられなかったし、食べ放題の米をもらうことなど出来るはずがなかった。私は頭が少しでも下を向いてしまえば吐きそうになるのをこらえながら店を後にした。完全に食べ過ぎである。
初めて入る店だったのだから、冒険は禁物であった。注文時に流されず、「並盛りで」と言っておけば、勿論食べ過ぎることはなかったのである。しかしながら、私は別に冒険主義にかぶれたのではない。パニックになったのだ。パニックになって、愚かにも自ら墓穴をせっせと掘ったのである。
私は失敗した。「初めて入る店では冒険しない」という基本中の基本をおろそかにしたためである。しかしながら、気が動転した状態で正しい選択を行える人が、一体この世にどれほどいるというのだろう。そこには確率論以上のものは横たわっていないのではないだろうか。確かに、二択問題を外すのは却って難しかろう。世の中の大抵の決断といのは、二択ではないから難しいのだ。だからといって、二択を当てるのが簡単だということにはなるまい。確率で言えば五分と五分であるのだ。
……かように「普通の人間はラーメン屋の注文ひとつでパニックになったりはしない」という大前提を無視したままごちゃごちゃと屁理屈をこねる私は、今後も洒落にならない失敗を犯し続けるのだろう。全くおかしくなっちゃいそうであるな。
今後もし私のインターネット上のアクティビティが急に途絶えるようなことがあった時は、諸兄らは「ああ、フェータルな失敗を犯して東京湾にでも沈められたんだな」と理解していただければ概ね実態と相違ないものと思う。その際は私こと、哀れで愚かな鍍金細工のバルタン星人のことを思い出して、ちょっと涙してくれてもバチは当たらないのではないか。