2022年5月22日日曜日

SDM

 (これははてなブログからの引っ越し記事です)

 ある休日の昼、どこかから帰ってきた父が、私の顔を見るなり「シングルドアマン面白かったよ」と言った。

 私は一瞬のうちにここ2週間ほどの記憶を総ざらいしたが、「シングルドアマン」などという単語に聴き覚えはなかった。何の前提もなしに口に出してきたということは、それは何かの作品名だと考えるのが妥当だろうが、であればこれまでのどこかのタイミングで、父はそれを鑑賞しに行くことを話題にしていたはずだ。

 それはさておき、「シングルドアマン」とは一体どんな作品だろう?父には観劇の習慣がないので、おそらくそれは映画だと思われる。

 私が思い出したのはジョン・ラッツの小説『同居人求む』を映画化した『ルームメイト』だ。あれも小説の原題は"SWF Seeks Same"だった。原題に含まれる「SWF」とはSingle White Female、すなわち独身の白人女性のことで、作中で主人公が同居人を探す際に出した新聞広告から採られているものだろう。

 「シングルドアマン」という響きから、私はまず、都会の人口密集地帯における傍観者効果とか、ひとつ隣のドアの中に誰が住んでいるのかも分からない不気味さとか、そういった視点を膨らませたサスペンス映画なのではないかと考えた。それは面白そうだ。私も観てみたい。

 しかしながら、「ドアマン」とはそもそも、高級ホテルやアパートメントの入口に立ち、ドアの開閉を含む雑務と警備を担う職業のことである。そこにわざわざ「シングル」とつけているのだから、これはもしかすると社会生活の孤独をちょっとハートフルな物語で演出する類いの、『マイ・インターン』のようなヒューマンドラマかも知れんぞ、とも考えた。

 私はもし鑑賞してしまうと自己嫌悪と自己憐憫があまりに大きくなるので、そういったヒューマンドラマの類いはあまり観ないのだが、父は年甲斐もなく時折そんな映画を観ては泣いたりしているので、その可能性は十分ある。ちなみに父はそんな映画の合間に『アウトレイジ』や『孤狼の血』のような血飛沫ヤクザ映画を喜んで観に行ったりもする。よく分からない人だ。

 だが、実態がそのいずれにせよ、私は『シングルドアマン』なる映画の特報を見聞きした覚えがなかった。

 以前書いたように、私は耳が良すぎるため、映画館の音響は強烈すぎ、三半規管にダメージを食らう。具体的には眩暈と頭痛、酷い場合は嘔吐である。

 また眼鏡がないと5cm先のものも見えない強度の近視のため、虹彩がうまいこと働かなくなっており、視界のコントラストが健常者に比べて異様に強調されている。つまり暗いものはより暗く、明るいものはより明るく見える眼なのだ。

 おまけに私はポップコーンが死ぬほど嫌いで、においを嗅ぐのもいっぱいいっぱい、というレベルである。

 つまり何が言いたいのかというと、私にとって映画館という場所は、五感の全てに強烈な苦痛を与えてくる空間なのだ(味覚と触覚については、売店で買う烏龍茶がおいしくない上にすぐ薄まることと、座席が柔らかすぎて映画を1本観ると尻や腰が痛くなることで計上して頂きたい)。

 それなのに、ああそれなのに、映画鑑賞そのものは好きなのだから始末に負えない。映画の特報や予告は割とアンテナを高く張って情報を集めているし、あの嫌悪されがちな、上映開始時間から20分は続く「近日公開映画情報」も楽しく観ていられるタイプなのだ。レンタルビデオの冒頭に入っている飛ばせない「近日レンタル開始映画」の広告も、存在そのものは別に嫌いではない。そのままシームレスに本編がスタートしてしまうことがあるのが嫌なだけだ。

 そんな私の全く知らない映画が公開されていたのか。ヒューマンドラマならばともかく、サスペンス映画であれば面白そうで、きっと興味を引いたはずなのに。

 と、私がここまで考えるのにはおそらく5秒と経っていなかったと思うのだが、会話のキャッチボールとしては完全に失敗している。ボールが転々と転がっている状態だ。パワプロの栄冠ナインでいうところの"魔物"が出たようなものだ。ところで性格が「内気」の球児を並べまくって魔物を出しまくれば甲子園優勝まで出来るって本当なんですかね。

 堂前アナの絶叫が聞こえてきそうな状況にあって、私は何を言うべきか困惑していた。父は私が聞き取れなかったと思ったのか、もう一度同じ台詞を繰り返した。

「『シン・ウルトラマン』面白かったよ」

 最初からウルトラマンの話であったのだ。そりゃまたブラボー、大変結構慶賀の限りであるなあ。ご存じのように私は例の監督(この映画では企画・脚本を務めているようだが)が好きではないので、誰が何と言おうと観に行くつもりはない。

 私は脳の回転にエネルギーを浪費したことを知って、口を半開きにしたまま「良かったねえ」とだけ答えると、長椅子に沈み込んだのだった。

2022年5月13日金曜日

ある中華屋の思い出

(これははてなブログからの引っ越し記事です)

 私が小学生の頃、近所に中華屋があった。

 その中華屋はいかにも町中華、といった趣で、メニューの半分がラーメンとチャーハンなどの飯もの、残りがほぼ定食で構成されており、これといって華のない店だった。メニューはべたつき、テーブルはぐらぐらし、店内には酸化した油のにおいが漂い、スピーカーからはAMラジオが流れている、という、どの町にも2、3軒はあるタイプの店を想像してもらえれば、概ね実態から外れたイメージではない。

 私がその店に初めて入ったのは、10月の雨がそぼ降る金曜日だったと記憶している。私は当時さるジュニアスポーツチームに所属しており、その練習が終わった後で迎えに来た母と、夕食が食べられる店を探して周辺を彷徨ったのだ。

 その日父は不在だった。おそらく飲み会か、会議か出張などでいなかったのだと思う。母も当時はまだ勤めに出ており、金曜の夜8時過ぎから夕食を作る気力はなかったのだろう、練習上がりのジャージを着た私を助手席に乗せて、市営体育館を出た。

 今でこそその周辺は一通り開けた感があるが、当時はまだ店も少なく、街道沿いを一本入れば住宅街と空き地が広がっていた。体育館を出た頃から降り始めた冷たい雨は、次第に勢いを増し本降りになった。私と母の乗った車はとにかく飲食店を探してその中をひた走っていた。

 最初に目をつけたのは、すぐ近隣にあるラーメン屋だった。しかし、この日に限って臨時休業だか既に営業を終えていただかして、ラーメンにありつくことは出来なかった。そのラーメン屋から、直線距離で言えば100mくらいのところにスパゲティ屋があったが、前日の夕食もスパゲティだったのであえなくこれもパスとなった。

 小学生だった私はおろか、母もあまりその界隈の飲食店に詳しくなかったため、私達は路頭に迷ってしまった。今のようにカーナビやスマートフォンが普及する前の話である。開いているのは居酒屋と思しき店ばかり。

 諦めてコンビニ弁当でも買って帰ろう――そう結論付けた私達は、家に向かう方向へとしばらく走ったところにあるコンビニに入ろうとして、その横に隠れるようにしてあった中華屋を見つけたのである。

 店内には既に客は誰もいなかった。ぱっと覗いた限りでは、もう店を閉めようとしているようにも見えた。こうなればダメ元で、と私と母はその店に突入した。後から知ったことだが、この店の営業時間は午後9時までであり、この時の私達は滑り込みの客だったことになる。

 店主らしき老夫婦が、メニューと水を持ってきた。色のあせた1枚きりのメニューの中に、私は興味深いものを見つけた。「カツカレーラーメン」である。

 私は興味本位で、そのカツカレーラーメンなるものを注文した。練習上がりで、とにかく腹が減っていたというのもある。どのような形のものであれ、カツとカレーとラーメンが構成要素であることに間違いはないはずだ。まるで男子小学生が考えた、小学生のためのメニューのようではないか。

 しばらくして、それはやって来た。おそらくカレーの色であろう黄色いスープのラーメンの上には、薄めに揚げられたトンカツが乗っていた。

 私はこの未知との遭遇において、どこから攻めるか考えあぐねた結果、スープを一口飲むことにした。それは味噌ベースの割と軽いスープで、かなりスパイシーだった。悪くない。

 次に麺を啜ってみる。この辺りでは一般的な中太縮れ麺を、口に入れて驚いた。先ほど感じたスープのスパイシーさはスッと鳴りを潜め、隠れていた野菜の甘みが引き立ってくるのだ。これも悪くない、いや、かなりうまい。

 最初に見たときは薄く思えたカツも、食べ進めるうちに、カツとして主張しすぎず、ベースのカレーラーメンを邪魔しない、「カツカレーラーメンの具」として非常に適切な厚さだということが分かった。細かいパン粉の衣も、スープを吸い過ぎることもなく、丁度いい塩梅だった。

 私が夢中になって食べていると、一緒に注文した焼き餃子が6個やって来た。やや大ぶりで皮は厚め、焼き色は薄いながら底面はしっかりパリパリとし、全体はもちもちとした食感である。餡の主体はおそらく鶏肉で、あっさりとした中にも野菜のうまみが詰まっており、ついついもうひとつ、もうひとつ、と箸が伸びてしまう。

 カツカレーラーメンのスープまで飲み干して、私はこの上ない幸福感を噛みしめていた。たまたま飛び込んだのが、こんなに素敵な店だったとは。

 それ以来私はその中華屋では、カツカレーラーメンと餃子ばかりを注文するようになった。しかしながら、本当ならば月に2、3回は行きたいところだったのだが、我が家は父が外食嫌いで、父が不在のタイミング、しかも外食に行く、と決めた時にしか「ここに行こう」と提案することが出来なかったため、多くて2ヶ月に1回、長いときは半年以上無沙汰、ということもあった。

 そうして、終わりは突如やって来た。

 当時中学生になっていた私は、夏休み期間中、昼食を食べに自転車でこの店にやって来たのだが、その時はシャッターが降りていた。仕方なく横のコンビニで弁当を買って帰った。定休日だと思っていたのだ。

 1週間ほどしてまた行ってみると、もう店はなくなっていた。看板は下ろされ、ガラス戸の中にはがらんとした空間が広がっているだけだった。何故か私はさほどショックを受けなかったと記憶している。もう1回餃子を食べておきたかったな、と思っただけだ。

 その後、その場所にはしばらくテナントが入らなかったと記憶している。何かの用事で前を通る度に、その中華屋と私の記憶の死骸が厳然と横たわっているのを見て、たまにカツカレーラーメンや餃子のことを思い出したりした。

 私は高校生になっていた。その頃、中華屋だったビルの一角にはおしゃれなパン屋が入っていた。

 高校3年間はあっという間に過ぎ去り、私は運転免許を取るため近所の自動車学校に通った。場内での教習が終わり、仮免許試験にも合格して、路上教習に出るようになった頃の話である。

 私は教官にルートを指定されながら、普段通らない道を教習車で運転していた。まだ寒い頃で、雪がちらついていた。ある坂道にさしかかったとき、私は「あっ」と声を上げそうになった。

 路肩に溜められた雪山の向こうに、あの中華屋と同じ屋号の店を見つけたのである。屋号だけでなく、オレンジ色の看板も、入口のガラス戸に掛けられた飾りもそっくりであった。

 あの店は閉店したのではなく、移転したのだ!

 私は運転席上で小躍りしそうになり、赤信号を見落として教官がブレーキを踏んだ。

 勿論その日帰宅してから家族にそのことを話したが、私はその1ヶ月後には仙台への進学が決まっていたため、その店が本当にあの店なのかを確かめる機会はなかなか訪れなかった。

 仙台での学生生活は何かと苦労が多く、帰省した折にも普段食べられない寿司や焼き肉などをたかっていたため、その中華屋のことは気になっていたが行くことが出来なかった。

 学校を出て里帰りしてからも、無職をやったり正社員をやったり心を病んだりまた無職をやったり、となかなか忙しく、店の所在地まで分かっているのに行く機会に恵まれなかった。

 その機会は突然訪れた。今日である。父は自分で買ってきたつまみで晩酌をすると早々に寝てしまい、これが絶好機だと思った私は母と示し合わせて、あの日を思わせる雨の中、この店へとやって来た。

 以前の場所より間口は広いはずなのだが、店は以前と何も変わらないように思える。私は年甲斐もなく、少し逸る気持ちを抑えながら、オレンジ色の暖簾をくぐった。

 厨房にはあの老夫婦がいた。色のあせたメニューも、ぐらつくテーブルもそのままだった。違う建物のはずなのに、あの頃と同じにおいがしていた。

 私は迷わず焼き餃子と、カレーラーメンを注文した。カツカレーラーメンはメニューから消えていた。その不在だけが以前との違いだったが、そんなことはもう些末なことだ。私もそれ相応に歳を取った。カツの浮いたラーメンなど、今となっては平らげる自信はない。

 そうしてやって来たカレーラーメンと焼き餃子を一口食べたとき、私は泣き出しそうになっていた。以前と寸分変わらない味がそこにはあった。なぜもっと早くこの店に来なかったのだろう、と思うほど、懐かしさで舌の上が焼けるようだった。

 AMラジオの音に交じって、雨が窓を叩く音が聞こえていた。私達の他に客はおらず、店内は静かだった。

 私はこのラーメンを、焼き餃子を、あと何回食べられるのだろう。

2022年5月10日火曜日

照明と蜘蛛の糸

(これははてなブログからの引っ越し記事です)

 電気屋に行ったのである。

 エー電気屋、電気屋でござい。電気、電気はいらんかねェ。オイ電気屋、電気1アンペアほどくれ!ヘイ毎度ありィ、旦那今日は景気が良いねェ!おっと手元がお留守だよ、活きの良い電気だからね、こぼしちゃもったいないよ。エー電気1アンペアで丁度40匁、1円50銭でさァ。なんだデンさん、まけてくんねえのかい――そんなことはない。従量課金制というのは電気の量り売りのことではないのである。いや実質量り売りではあるのだが、少なくとも電気屋というのは天秤担ぎのことではない。

 持って回った冗談はさておき、所謂電気屋、つまりは家電量販店に行ったのである。同居する父が加齢のためか居間が暗いと言いだし、新しい電灯を見繕う必要が生まれたためだ。

 電灯というのは、もうしばらく前からLEDの天下になっている。学研の学習のふろくについてきた九九マシーンで、何が楽しいのかと思うほどチカチカと安っぽく光っていたあのLEDがねえ、と思うと隔世の感がある。

 電気屋でもホームセンターでも、以前まではあんなに持て囃されていた蛍光灯は肩身が狭そうだ。白熱電球は既に死に体である。

 おそらく近い将来、全ての照明はLEDになるのだろう。私は環境問題について明るくないので、それがいいことかどうかは断言できない。しかしながら、私にもひとつだけ言えることがある。それはLEDの照明は思いの外暗いということだ。

 実際、照明器具の売り場には、「LED照明は部屋の畳数+2畳分の値の大きさを買いましょう」と書かれたポップが貼られていた。その前に、「8畳用」「14畳用」などと大書された照明器具が陳列されているのである。

 この「+2畳」という照明の選定法が一種のローカルルール、あるいは裏技のようなもので、照明器具のメーカーは推奨していない、というのであればまだ分かる。人間の知覚はいい加減なものだ。計器は同じ値を指していても、人間には違って見える――ということはザラに起こる。

 しかしながら、メーカーもそのことは了承しているが、数値上は同じであるため従前の畳数規格を貼って出荷している、というのであれば問題である。そんなことをやっているから「+2畳で買いましょう」などとポップを書かれてしまうのである。まあメーカーの側からすれば、人間の感覚という曖昧なものより計器が弾き出した数値のほうがずっと信用に値するだろうし、品質検査もしやすいという事情は理解出来るが。

 実はひっそりと「+2畳」分明るくして出荷しているメーカーもあるのかも知れないが、その場合はもう悲劇である。消費者はそんなこと知るよしもないわけで、セオリーに則って「+2畳」分大きなサイズの照明を買ってしまうこともあるだろう。するとそもそも「+2畳」分明るいものが更に「+2畳」分大きくなるので、合わせて「+4畳」分も明るくなってしまうのである。

 これはえらいことになる。格安系ビジネスホテルの客室ひとつ分くらいに相当する光量が一気に増えるのだから大変だ。溶接用の面体や煤をつけたガラスがなければ、天井を直視することも出来なくなるであろう。裸で身を横たえていれば日焼けも出来るかも知れぬ。裸族であればご自宅から一歩も出ることなく、健康的な小麦色の肌が手に入るというものである。LED照明のおかげで日焼けサロンは閑古鳥だ。廃業するものもあるだろう。LED照明の光量が上がったせいで、松崎しげるが日に日に白くなっていくのである。

 実際には、もちろんそんなことはない。なぜなら照明器具に用いられるLEDの殆どからは、紫外線がほぼ出ないからだ。日焼けサロンが廃業して血迷った松崎しげるが部屋の全ての平面という平面に巨大なLED照明を取り付けても、日焼けすることはないのである。

 ちなみに我が家はといえば、その構成員全員が血迷った結果、それほど広くもない居間のために、なんと22畳を満足に照らせるサイズの照明を買ってきてしまった。取り付けてみると居間が異様に明るい。

 分かりやすい例えで言えば、深夜の高速道路を走っていて、気がついてみたら記憶に2時間の空白があったとき並みの明るさである。確実に二の腕や首筋に何かが埋められているパターンである。怪しげな催眠術師が飛んできて、退行催眠で記憶の空白を埋めようと躍起になるだろう。そして二の腕に怪しげなものを埋めた"ヤツら"は、おおよそレチクル座のゼータ星から来ているのである。……分からない人はもう結構!

 居間の異様な明るさを見るにつけ、私は自室の照明の暗さが悲しくなった。夜も更ければ満足に文庫本も読めない暗さなのである。

 光源は勿論蛍光管だ。古式ゆかしいスイッチの紐が伸びているが、スイッチ函そのものがかなり劣化しているため、多少強く引っ張るとパリパリと割れたかけらがカバーの中に落ちる。あるときなど、紐がスイッチ函の根元で千切れてしまい、修理に大変難儀した。天井に設置されているものに対し、ピンセットを使って紐をくくりつけるのだから当然だ。勿論夜なので明かりそのものは点灯状態であり、考えてみれば恐ろしい話だった。

 溜息をつきながら自室に戻り、明かりを点ける。するとどうしたことだろうか、何故か普段よりも明るいのである。昨日の今日であり、別に蛍光管を替えたとかいうことはない。原因は居間の照明の消費電力が低下したこと以外に考えられない。我が家はどうも分電の具合がおかしく、しょっちゅうブレーカーが飛んだりするのだが、流石に居間と2階の私の部屋の電力系統は分かれている。なのにこれはいったいどういうことなのだ。分からぬ。全く何事も我々には分からぬ。

 実際多少明るくなって嬉しいは嬉しいのだが、実は電気屋に行ったついでに、もう自室のほうの照明の交換の算段もしてしまったのだった。こんなことならまだ3年は戦えたな。スイッチの紐の利便性を犠牲にした上での選択だったのだ。

 LEDの照明に足りないものがもうひとつあった。それは紐である。メーカーのほうも顔を洗って紐を垂らしてから出直して頂きたい。出来れば強度の高い紐にしてもらいたいものである。強度など高ければ高いほどいい。もうピンセットで感電しかけるような真似はごめんだ。

 蜘蛛の糸は切れたからこそ文学になったが、実際には蜘蛛の糸というのは非常に強度の高い繊維であり、カンダタ以下罪人が何人ぶら下がろうと決して切れはしないのだ。メーカーにはそれぐらいの気概を持って開発に当たってもらいたい。

 無限に連なる意識の集合体としてのあなたや私が地獄の釜であっぷあっぷしているときに、極楽から照明のリモコンが落ちてきたらどうするんですか。

2022年4月28日木曜日

誠に遺憾に存じます

 (これははてなブログからの引っ越し記事です)

  私は例によって、また例のスーパーへ買い物に来ていたのである。この度の買い物は生姜と甜麺醤であった。

 夕間暮れのスーパーの出入り口には、焼き鳥屋が店を張っていた。今風に言えばキッチンカーとでもなって一気にオシャンティでハイソな存在となり、おつむの軽そうな女子やおつむの軽そうな女子を主食にする前髪が異様に長い男子などが集っていそうだが、有り体に言えば軽トラの荷台が焼き鳥を焼いて陳列する空間になっているだけの代物なので、そのようなオシャンティないしハイソはそのあまりの生活感、あまりの所帯じみたうらぶれという無反動砲の前に粉砕されるものである。おつむの軽そうな女子は酒飲み達のローキック一発でその針金のような足をやられ、おつむの軽そうな女子を主食にする前髪が異様に長い男子はそのご自慢の前髪をバリカンで刈られるのである。ついでに眉毛も剃られる。そんなことはない。

 私も以前職にありついていた頃は、帰宅時の降車駅のそばにあったスーパーの前で焼き鳥をよく買ったものだった。我が家はといえば私の他にまともに料理の出来る者はなく、すなわち私が帰宅してから夕食を作ることがしんどい日は軒並み外食か弁当を買う、という生活であったので、私が焼き鳥を買って帰っても特に文句を言われた覚えはない。

 しかしながら、1日中神経をすり減らして仕事をしやっと帰ってきた、となれば、食うことや飲むことに縋り、日々の鬱憤や恐怖や深い悲しみから逃れようとするのが人のサガである。私もご多分に漏れずそのクチであったので、週末ともなれば焼き鳥をとんでもない本数買い、安くはない酒を湯水のように飲み、ぐでんぐでんに酔っぱらっては2階の窓から下の道路へゲロを撒き散らしたりなどしていたため、実家に住んでいたくせに毎月の貯蓄はほぼゼロであった。何かの間違いで(した記憶のない残業手当がついていた場合など)少し貯蓄が出来ても、それを全額叩いて新品の単車が買える値段のギターを買ったりなどして、文字通り宵越しの金は持たない主義を気取っていたのである。

 もっとも貯蓄が出来ないのは、私が資本主義の神に見放されているせいもある。私が何か思い切った買い物をすると、早いときは数日後、遅くとも数ヶ月以内には、廉価版が発売されたり、値崩れが起こったり、安価で高性能な普及版が出るのである。私はやや意外なことにたかだかウン十ウン年しか生きていないため、まだ思い切った買い物は両手で足りるくらいしかしていないのだが、その全てでそうなった。

 こうなってくると、己が如何に資本主義の神と険悪なのかと答えの出ない問いをむやみに始めてしまいそうである。一体前世でどんな罪を犯せばかような業を背負うのであろうか。もしや私は前世ではトロツキストだったのであろうか。そうでもなければこのような非道が許されていいはずがない、悔しいです、痛恨の極みであります、かくなる上は資本主義を刺して俺も死ぬ、などとトロツキーを前にした佐野碩のように下唇を噛みながら焼き鳥屋の前を通り過ぎようとすると、何やら怒声が聞こえた。

 私はその時左側に75度ほど傾きながら歩いていたので、すわ資本主義の刺客であるな、思想の自由を踏みにじる気か、予防拘禁など以ての外だ、一生「汝姦淫するなかれ」と言いながら薄汚く肥え太った神の足でも舐めているがよい、と思ったのであるが、それも束の間、その怒声は焼き鳥屋――すなわち軽トラの荷台から聞こえてきていることに気付いたのである。

 如何に焼き鳥屋の屋台と化していると言えど、その実態は軽トラである。つまり店舗部分の大きさもかなり狭苦しいのであって、カウンターの間口からその全てが見通せるほどだ。人が1人乗れば、もういっぱいいっぱいといったところである。事実、私が焼き鳥をよく買っていた屋台や、他のスーパーの前などで見かけた屋台なども、店舗部分に乗っているのは常に1人であった。

 しかしながら、その屋台には2人乗っていたのである。店主らしきタオルを頭に巻いた男と、その細君らしきエプロン姿の女が、その狭苦しい店舗部分の内部で何やら言い争いをしているのである。

 おそらく亭主の稼ぎが少ないことでも詰っているのであろう、やや肥満したエプロンの女は頬と顎の下を波打たせながら、まるで駄々っ子のように肩をいからせ地団駄を踏んでいた。対してその亭主はといえば、これも日頃の鬱憤が溜まっているのだろう、売り言葉に買い言葉と言った調子で細君を怒鳴りつけていた。その声が屋台の外にまで聞こえてきていたのである。

 その2人の様子と言ったら、それはそれはもうすごい剣幕であった。顔が真っ赤になるほど頭に血を上らせ、激情に目のつり上がった人間が2人、お互いの鼻息が吹きかかるほどの距離に顔を突き合わせて喧嘩をしているのである。その姿は壮絶を通り越してシュールであった。

 雄牛には角があるからそれを噛み合わせて喧嘩も出来るが、人間の頭はつるんとして何もないから、互いの物理的距離がここまで接近してもまだ十万億土の彼方に轟きそうな鳴き声を出すしかないのであるな、などと、その姿を横目に私は考えていた。もっとも、この場合は片方は雌であったのだが。

 しかしうらぶれた屋台の焼き鳥屋とはいえ、あくまで客商売である。怒声が飛び交う屋台で焼き鳥を買おうなどとする、心臓が起毛素材の猛者はそうそういるものではないだろう。彼らは今稼ぎが少ないあまりに言い争っているが、そのために却って稼ぎが減っていくのである。実際のところ、私は屋台を目にした瞬間には、帰りがけにねぎま串の数本でも買おうかと思っていたのだから。そのあまりの所帯じみた光景に、私のねぎま串への情熱も見事にぶち壊されてしまっていた。

 私は手短に生姜と甜麺醤を買うと、そそくさとスーパーを退店した。買い物を済ませた私が車に乗り込む間まで、屋台からは怒声が漏れていた。まったく資本主義というのは恐ろしい。資本主義のために彼らは喧嘩をし、また資本主義のためにより生活が苦しくなっていくのである。コラ又どう云う訳だ、世の中間違っとるよ~と植木等も歌っておるのだ。

 私は買いそびれたねぎま串のことをあまり考えないようにして帰路についた。私がもし資本主義の土手ッ腹を刺すとすれば、それはねぎま串の竹串によってである。

2022年4月20日水曜日

「ただの存在」という恐怖

 (これははてなブログからの引っ越し記事です) 

 恐怖とは、突き詰めてしまえば「理由付けを拒絶されること」である。

 幽霊を怖がるのも、その存在そのものが我々が信奉する科学の埒外にあるからであり、百歩譲って何かしらの物理的現象が起こっているとして、その物理的現象を引き起こしたはずの力学がそこに求められそうにないからである。

 高い場所が怖いのも狭い場所が怖いのも、あるいは人によっては尖ったものやブツブツしたものなどが怖いのも、それを恐れる理由が分からないからである。理由や原因を推察したり組み立てたりする足場がない、ということに人は恐怖を覚えるのだ。

 昔、panpanya氏の『引っ越し先さがし』という短編漫画に、"訳なし物件"なるものが出てきた。

 築6年、何の変哲もない物件なのだが、家賃が"訳もなく"安いのだ。"訳もなく"ダミーのコンセントがついていたり、"訳もなく"洋室に襖がしつらえてあったり、"訳もなく"天井の一部が出っ張っていたりする、という物件なのである。

 結局主人公はその物件に入居することをやめたわけだが、その理由として"訳が分からなければ安心はない"ということを挙げている。

 実際我々の生活の中にあっては、"訳なし"、すなわち"ただの存在"というものはほぼ存在していない。理由あってそこにある。そこにいる。そこに売っている。見渡せばみな何らかの理由があって、存在しているのだ。

 考えてもみたまえ、あのさも当然のような顔で座っている山や泰然と流れている川ですら、「どうしてここにあるのか」という理由付けは為されているのである。"おそらく"と枕詞はつくが、大体何万年前にこうこうこうなって出来たのだ、と理由付けがあるのである。そこに山の怪や河童などの恐怖が差し挟まる余地はない。そもそもそれら妖怪という存在ですら、人間が様々な現象の理由付けのために生み出した概念に過ぎないのであって、それが近代以降、科学というより蓋然性のある理由に取って代わられただけの話だ。

 すなわち、人間の好奇心は恐怖と表裏一体だということである。なぜ、どうして、という恐怖からの問いに耐えられなくなって人間は好奇心を行使するのだ。危険かもしれない、と思っておきながら、その実は安心したいのである。

 幽霊の正体見たり枯れ尾花――と諺にもあるように、我々は物事を因果律に沿って捉え、ある程度筋道が立てば安心する。その過程で陰謀論にハマったりする虞もあるのだが、その話はこの雑文とは一切関係ないので割愛する。この過程は一見理論的であるようにも見えるが、これは因果律に担保された安心感を常に私達にもたらしてくれるとともに、よりその埒外にある存在との落差を深め、恐怖をより大きなものにすることにも着目したい。

「トマソン」という存在がある。

 これは主に不動産に付属し、何の役にも立たないのに、展示されるかのように美しく保存されているものを指す呼称で、赤瀬川源平らが1982年に提唱した概念だ。例を言えば無用の階段、無用のトンネル、無用の窓など。

 先ほどの"訳なし物件"などはその典型だ。ただし、トマソンは「かつては意味があった」ものも内包する用語であり、"訳のない天井の突起"などはトマソンの分類で言えば何故作ったのか分からない"純粋タイプ"と呼ばれるものに当たり、区別されることを留意されたい。

 実際には、純粋タイプと目されるトマソンの中にも、全く理由なく存在しているものはほぼないだろう。それはトマソン自体が事実上来歴や理由には無関心の概念だからで、そこには必ず何かしらの理由があるのである。

 それ故に、「ただ存在しているだけの存在」というものは恐怖である。実際のところ、世界と人間が作りだしたものには全て理由、または理由付けが出来る。宇宙の始まりですら推論があるのだ。しかしながら、人間のそばにありながら理由付けがまったく行えない「ただの存在」たり得るものがひとつある。

 それは「人間そのもの」である。

 我々はただ存在している。ミクロな視点でなら、明日会社に行かねばならないから生きているとか、そういうことは言えようが、会社に行かずとも、もっと言えば生きて生殖をせずとも、本質的に人間はただ存在しているのである。

 宇宙には推論がある。宇宙に存在する星々にも推論がある。すなわち、その星に住んでいるかも知れない生命には推論がある。ということは、その生命は「ただの存在」たり得ないのである。この広大な宇宙の中で「ただの存在」たり得る人間は孤独な種族であり、そうなればこの観測可能な宇宙、150億光年の大きさの中に隣人はいないのだ。我々の実際の孤独は、谷川俊太郎が覚えた20億光年の孤独の7.5倍であった。

 あるいは我々が信奉する科学こそが間違っているという可能性はあるだろう。科学は未だに発展途上であり、ことあるごとに修正されている。しかしながら根底に流れているのは因果律であり、因果律が破壊されてしまうと、全てが立ちゆかない。我々の存在こそが我々の生み出した科学を打ち砕く弾丸になってしまうのだ。

「本当に怖いのは人だよ」とうそぶくホラー映画マニアも、なまじ間違ったことは言っていないのだろう。我々こそが恐怖である。別にアンゴルモアの大王とか、マヤ暦とかを持ち出すまでもない。

 そのことに自覚的に生きたいものだ、ただの存在として……。

2022年4月16日土曜日

うどん屋と国際色とBMW

 (これははてなブログからの引っ越し記事です)

 私はうどんを食べていた。

 昼下がりから買い物に出て洗車まで済ませると流石に夕食の準備が面倒になって、家からは少し遠いものの、割と好んで訪れるうどん屋に今日も来ていたのである。

 ここのうどんは所謂讃岐タイプに代表されるようなマッチョなうどんではなく、滑らかで柔らかく、長い。とにかく長いのである。おそらく1本が50cm以上ある。ざるうどんなどの「うどんを別添えのつけだれに浸して食べる」タイプのメニューを頼むと、腕をどこまで上げてもうどんが途切れず、地獄を見る。だから私は基本的に啜ればいいだけの温かいうどんばかり注文するのだが、それはそれで啜れども啜れども熱々のうどんが延々と続き、場合によっては別種の地獄である。

 しかしながら市井のうどん屋としては比較的珍しいタイプのうどんが食べられるので、案外重宝している。それに、きょうび讃岐タイプのマッチョうどんはどこでも食べられるようになった。マッチョうどんもそれはそれでうまいが、私はどちらかと言えば柔らかいうどんのほうが好きなので、この店を好んでいるのである。

 話を戻そう。私はうどんを食べていた。今日は何の気まぐれか、いつも頼むちゃんぽん風うどんではなく、辛ちゃんぽん風うどんを注文していた。

 ふつう我々が想像するちゃんぽんと言えば、長崎のちゃんぽんであろう。野菜やかまぼこを鶏ガラスープや豚骨スープで炒め煮にしたあれである。あれは実際に長崎市内の中華料理店が発祥であるそうだから、所謂狭義の中華料理と言って差し支えないだろう。厳密には長崎市内の業者が製造する「唐灰汁」と呼ばれる独特のかん水(一般的なかん水よりも炭酸ナトリウムの割合が高いものらしい)を利用して製麺されたものが、長崎ちゃんぽんと呼称することを許されるそうである。

 しかしながら、この店のちゃんぽん風うどんはおそらく和風出汁ベースの塩味スープで野菜と肉を煮込んであるもので、これがうどんとよく馴染みうまいのである。調べてみると、福岡や北九州などで「福岡ちゃんぽんうどん」と呼称しよく似た料理を提供する店があるようだ。その系譜なのかも知れない。

 辛ちゃんぽん風うどんはそれに辛味を足したもので、割としっかり辛い。大衆店がレギュラーメニューとして出すにはギリギリの辛さだと思うが、これもうまい。

 私がうどんに舌鼓を打っていると、隣のボックス席にいる家族連れの会話が耳に入ってきた。夫婦と姉弟に見える4人組だ。

 盗み聞きなど悪いと思いつつ、私の耳は意識して声を聞き分けることが出来ない代わりに、意識して聞かないようにすることも出来ないので、なんとなく耳をそばだてつつうどんを啜っていた。

 なぜ私の散漫な意識が隣の家族の会話に向いたかと言えば、それが中国語だったからである。私は浅学にして中国語を解する能力はないのであるが、何度聞いても日本語には聞こえず、抑揚や声調なども中国語に酷似していたので、おそらくではあるものの中国語だったと思う。厳密には違うのかも知れないが、とにかく日本語ではなかったのだ。ここでは中国語ということにしておいてもらいたい。

 声の調子から察するに、その主は姉と思しき少女であった。父親と思しき男性と、息子と思しき少年は普通に日本語で話していたので、余計におや、と思ったのである。まあきょうび国際結婚など珍しくもないし、そのような家庭では両親とはそれぞれの母国の言語で会話する子供たちもいるという話は聞いたことがあるので、この家庭もそうなのだろうと思ったまでだった。

 しかし、姉が話しているのはどう見聞きしても残った母親らしき女性なのだが、その母親は、その中国語に日本語で応答していたのである。適当を言っているようなそぶりもない。会話は十分に成立しているように聞こえた。

 私は感動した。これはフィクションにおいて、設定上異邦人のはずのキャラクターとスッと話が通じる、あのシチュエーションを観察しているようなものではないか。

 小説や漫画などでは、当たり前に存在するはずの言語の壁を殊更描写することは、それそのものに特別な意図がない限り面倒なことである。フィクションの中の登場人物達の間では会話が成立しているのだとすればいいが、それを読む読者の言語学への造詣までは作者も担保できない。もしポアロが突然本当にフランス語で話し始めたら、我々はもうお手上げである。第一、フランス語には例外が多すぎる。例外と辞書で引いたらフランス語が載っている。ナポレオンも不可能という言葉はフランス的でない、フランス的とはすなわち例外であると言っている。これは勿論嘘である。ポアロの口をつくフランス語は一言で、しかもルビに過ぎないのだからこそ、我々のつるつるプリンの如き安直なピンクの脳細胞はギリギリ理解できるのだ。

 あるいは映画やアニメなどでは、異邦人はスッと日本語を喋り始めたり、吹き替えのように日本語がインサートで乗っかってきたりもする。その方が鑑賞者にも理解がしやすいからだが、しかし現実とは映画ではないので、普通2者が何か会話をしようとすれば、2人の間には共通した言語が交わされるものである。英語なら英語、日本語なら日本語というように。それぞれの母語以外に何か共通の言語があれば、それを用いることもあるだろう。しかしながら、その2者がそれぞれ別の言語を話しながら意思の疎通が図れているという構図は、実際に目の当たりにするとかなりシュールなものであった。

 俗にバイリンガルと呼ばれるタイプの人々はこうやって会話することも可能なのだろうか。まあわざわざ違う言語を用いて話をするメリットはほぼゼロだろうから実際にはそういうシチュエーションは起こらないのだろうが、できることはできるのであろう。

 2つ以上の言語を解し話すことができるというのはどういう感覚だろう。私は6年間学んだ英語を「そこそこ聞け、そこそこ読めるが、話せない」程度でしか理解していないため、残念ながらその境地には至ることができない。しかしながら空耳アワーが楽しめなくなるのは困るので、実際今くらいの理解でいいのかも知れない。

 大体、こんにちの機械翻訳の質の向上も目覚ましいものがあるしな。困ったら機械に頼ればよいのだ。軽率に機械を過信して公衆便所にBMWで突っ込むのはドイツ人の悲しきサガだ。勿論私はドイツ人ではないが、ソーセージとじゃがいもとザワークラウトとビールが大好きなので、ドイツのことは好きだ。ドイツが好きな者であれば、やはりBMWで公衆便所に突っ込むところまでは様式美と言えるだろう。勿論そんなことはない。

 私がそんなことを考えている間に、いつの間にか隣の家族は退店していた。家族の素性については、当たり前ながら全く分からなかった。まあ、うどん屋で隣に座っただけの客にあれこれ詮索されるのも心外であろう。

 その時私はうどんとセットのミニカツ丼に取りかかるタイミングだった。以前まで3切れ乗っていたカツは、2切れに減っていた。

 まったく世知辛い世の中である。耄碌した老人のおっぱじめた下らぬ戦役のために何もかも値上がりしておる。今後機械が更に発展して『ターミネーター』の如く人類を脅かしかねないとしても、人類は機械に滅ぼされるまでもなく、機械を過信して勝手に滅んでいくのだろう。

 その前にBMWで公衆便所に突っ込むことができるのは、実は今だけかも知れない。機械は機械を過信しないので、自動運転車が公衆便所に突っ込むことはないのだ。もはや公衆便所に突っ込むことはドイツ人とドイツ好き人の、いや人類の尊厳である気がしてきた。あなたも公衆便所に突っ込みたくなってきたのではないか。公衆便所に突っ込んで人類の尊厳を取り戻そう。耄碌した老人だって隣国に突っ込まず、戦車で公衆便所にでも突っ込んでいればよろしいのである。戦争をやめろ。便所に突っ込め。

 私は泣いているのだ。それはミニカツ丼のカツが減っているからではない。断じてないのである。

2022年4月15日金曜日

耳と受話器の話

(これははてなブログからの引っ越し記事です)

 私は耳がいい。

 きょうびこんなことを書くと修羅のインターネッツには自慢だと受け取られ、音楽や楽器関連の趣味や仕事を持つ人間、すなわち日本人のほぼ全てから夜道で刺されそうであるが、この「いい」というのは別に教養があるとか、絶対音感があるとかいったことではない。単純に、小さな音も大きく聞こえるということである。

 これもまた補聴器もどきの耳かけ式集音器の軟派なテレビCMみたいなセンテンスであり、小さな音が聞こえなくなった壮年熟年層から刺されそうであるが、老人性難聴は50歳頃から見られるものの、顕著に増加するのは大体65歳頃からと言われており、その割合は年齢によって異なるがざっと平均を取ればおそらく5割くらいだと思われるので、65歳以上の人口のおよそ半分である1810万7千人に気をつけていればよくなるのである。これは日本の総人口のおよそ15%程度に満たない数字であり、私が夜道でブスリとやられる心配も85%の大幅減を実現するのだ。

 ちなみにこの数字の出典は総務省統計局ホームページの人口推計(令和3年10月確定値)を参照している。まさか統計局もこんなくだらない雑文に引用されると思ってはおるまい。どうだ参ったか。ケケケ。

 冗長かつ妙に数字に細かい冗談はさておき、私は耳がよすぎて困るのである。たとえば、未だに18kHz程度のモスキート音なら聞こえてしまうし、映画やライブ、果てはクラシックのコンサートですら長く聴き続けていると気分が悪くなる。血管に血が流れる音が耳につき、自分の鼓動がうるさくて眠れなくなることもある。そんなときは扉を隔てた時計の秒針や、自室の壁に掛かっている連続秒針の音ですら気になってくるのだからたまったものではない。枕元の携帯の急速充電器も非常に高い音で唸っていたりする。

 こんな経験をしている人はあまり多くないようだ、という体感によってのみ私は自身の耳がピーキーな性能であると結論付けるわけだが、世の人の大半がこんな調子であるならば是非ご指摘を賜りたい。ついでにどうやって生きているかも教えてもらいたい。

 というのも、上で私の耳は小さな音も大きく聞こえると書いたように、私の耳には指向性らしきものが存在しないようなのである。

 ふつう、人は人混みなどの騒がしい場所においても、自分が聞きたいと思った音に集中することができるらしい。これをカクテルパーティ効果と呼ぶそうだが、私にはこれが少々難しい。聞こえる音は全て一定の音量を保ち続けており、その中から特定の声だけを聞こうとするのは骨の折れる行為なのである。なんとなくの抑揚やジェスチャー、果ては表情や目線の動きなどから言っていることを類推することしか出来ない場合もあり、よって私は騒がしい場所で話をすることをあまり好まない。酒に酔うと殊更声が大きくなるのだが、これは酔っぱらうと声以外の部分からの類推がうまく出来なくなるため、相手も大きな声で話してくれるように促している側面もある。

 このように、耳がいいというのも困った話なのである。自分ではどうしようもないのでもっと困るのである。実のところ一番困るのは自身が弾くギターのビビリやビレやフィンガーノイズにどこまでも神経質になってしまうことだったりするのだが、この場合は「アンプを通して聞こえなければ問題なし」という明確な線引きがあるので分かりやすい。

 そういえば私は電話も苦手である。受話器から聞こえる音と、受話器を当てていない側の耳から聞こえる音が混じり合って、話を聞き取れないのである。

 世の家電メーカーはヘッドフォン型の受話器を標準搭載してほしい。勿論ノイズキャンセリング機能付きである。電話が鳴れば、受け手はスチャッとヘッドフォンを装着して外部の音をシャットアウトするのだ。理想的だ。全く理想の受話器だ。

 大体、なぜ人類は受話器は片耳だけでいいと思っているのだ。考えられる可能性としては、電話で誰かと話しながら、その上で外部の音を聞く必要があるということである。しかし、それは我々が日常で電話を使う上では、かなり特殊なシチュエーションであると言えよう。

 たとえば、戦場であればそうだろう。のんきに前線司令部とヘッドフォンで電話していたら、敵の接近にも吶喊の号令にも気付けないではないか。

 あるいは、手術中の医師などもそうであろう。手術中に患者の心臓が止まって警報音が鳴っても、医師は気付かずヘッドフォンで実家の母と帰省の予定などを話し合っている。母ちゃん今年も帰れそうにないよ、などとのたまっておる。我が国の医師の激務ぶりには大変痛み入るが、なにも今そんな話をしなくてもよかろう。えーい静まれ静まれ、患者一匹が死にかけておるのだぞ。三島由紀夫ならそう言って自決したであろう。というわけで医師が実家の母と談笑している間に、死体が2つ出来上がるという寸法である。いやそもそも手術中の医師が電話に出ている場合か。これは電話の構造より運用体制を見直すべきである。

 そもそもついでに言ってしまえば、こんなことはそもそも起こらないのである。こんなシチュエーションなど私がテキーラを3杯ショットで飲んだために生まれてきただけであって、本当はないのである。それに三島由紀夫はもう墓の下である。ではなおさら、家電メーカーは電話の受話器をノイズキャンセル付きヘッドフォンにするべきではないか。

 勿論、携帯電話ではだめだ。道を歩きながら話をすることも多かろう。会話に夢中で車に轢かれたり自転車に轢かれたり、穴に落ちたり山に登ったりしてしまうに違いあるまい。何しろ歩きながら通話をしているときの我々のIQはウシガエル並みにまで下がっていると言われているので、ウシガエルよろしくアスファルトの上で平たくのされてしまうのがオチである。そんなことはない。ねんのため。

 となればやはり固定電話こそ、受話器をヘッドフォン型にするべきである。固定電話を持ち歩いて通話する馬鹿は、世界広しといえどもおるまい。道で固定電話を持ち歩きながら通話している人がいるとすれば、それはいつもの小道具を家に忘れた平野ノラだけである。

 なぜヘッドフォン型受話器は普及していないのか。これは相当なビッグビジネスの予感がする――と酒の勢いでここまで書いてきたところで、BGM代わりに点けていたテレビの通販番組が「30分間オペレーターを増やしてお待ちしております」などと抜かしていた。コールセンターらしき場所で、にこやかに対応する妙齢の女性の耳には、ヘッドフォン。

 忘れていた。ヘッドフォン型の受話器は既に存在するのである。ざっと調べてみたところ出るわ出るわ、普通の固定電話に直に差せるヘッドフォン型受話器のオンパレードである。主に30分間だけ増員される類いのオペレーター達には人気のようである。

 願わくは、これがあの不格好な受話器を駆逐して、世界標準になってもらえまいか。今のところその気配は全くない。やはり、30分間だけ増員される、という特殊な形態の雇用では、社会の中で存在感を持つことなど出来ないのだろうか。

 あるときは私立探偵、またあるときは片目の運転手、またあるときはインドの魔術師、果たしてその正体は――30分間だけ増員されるコールセンターのオペレーターである。これは冴えないなあ。こんな多羅尾伴内ではチャンバラ禁止にあえぐ東映を救えはしなかったはずで、すなわちヘッドフォン型受話器の天下も遠いのである。