2022年11月2日水曜日

汝深淵を覗く者は

(これははてなブログからの引っ越し記事です)

 この度、私は生まれて初めて「金縛り」というものを経験したのである。

 金縛りというと、アレである。あの、眠っている内に気付けば体が動かなくなっていて、大抵足元から何かがやって来て足首を掴んだり、大胆にも胸に乗っかったりしてくるアレである。

 私はホラー小説を耽溺しクズホラー映画を愛憎し怪談を蒐集していたりするくせに、基本的には合理主義かつ懐疑主義であるので、そのようなファンタジックな体験談は話半分で聞いている。体が動かせなくなるのは眠りに落ちる時に生じる睡眠麻痺と呼ばれる一過性の生理現象であるし、何かしらがやって来るように思うのは入眠時幻覚と呼ばれる非常にリアルな夢である。科学である程度確かめられている現象として解釈出来ることを、わざわざウルトラCの理屈をこね回し、先祖だの水子だの地縛霊だのなんだのを引き合いに出して原因を探る意味などないのだ。

 と、ここまでは私の乏しくもゼロではない理性の上での話である。

 よく言われるように、理性と感情は別物であり、しかしながら矛盾もすれば両立もする。その線引きはファジーでまだらであり、何もかもきっぱりと白黒つけられる人間など存在し得ない。私も合理主義を標榜しておきながら、実際のところ、金縛りにかかっている内に覚えた感情として最も適切な表現は「恐怖」であった。

 その日、私は夜半を待たずに寝落ちしたのである。部屋の明かりは煌々と点いたままだったし、窓にカーテンすら引いていなかった。やっと尿意を覚えて起き上がったのが朝5時前だったと記憶している。

 当日は通院の予定があったとはいえ、いくらなんでも5時起きは早すぎる。ゆっくりと風呂に浸かってもまだ時間が余る。だいたい、ゆっくり入浴した後で病院に向かいたい人などいるだろうか。いやおるまい。そうなってしまえば、快適な気温の部屋で足を投げ出してのんびりしたいのが人間のサガである。ついでにアイスクリームなども欲しいところだ。いよいよ通院どころの騒ぎではない。

 トイレに行って部屋に戻ってきた私が選んだのは、無論二度寝であった。目覚まし時計は最初から余裕を見た時刻にセットしてある。

 そもそも私は目覚ましをセットした時刻の1時間ほど前には必ず目が覚めてしまう損な性分なのだが、そこで目覚まし時計を切り二度寝すると絶対に予定の時刻には起きられないので因果な話である。短い社会人生活を送っていた頃から、呆れるほどの正確さを以て、私の睡眠時間は1時間ずつ削られ続けてきたのだ。この場合もおそらくそうなるだろう、と思った私は、目覚ましを1時間遅くした。どうせ予約診療ではないのだ。1時間くらい遅れても何ら問題ない。

 カーテンを引き、布団に潜り込んで明かりを消す。こういう時ほど、遮光カーテンのありがたみを痛感することはない。さっと引くだけで擬似的な夜を作り出せる。私のような無職が、惰眠を貪るのが趣味になるのも無理もない話だろう。

 布団はまだ熱を帯びており、もう朝晩はかなり冷え込むトイレや廊下から戻ってきた私には少し温かすぎた。その中でしばらく右に左に寝返りを打っていたのだが、いよいよ耐えきれなくなって、左半身を下にした状態で左足を曲げ、足の裏を布団から出したその瞬間だった。

 何か甲高い金属音のような音が聞こえたかと思うと、私の体は一切の自由を失った。布団から飛び出した左足の裏だけが涼しい。恥ずかしながら、私が最初に疑ったのは脳梗塞など、そういう類いの疾患である。どうせ日頃の不養生が祟ったのだ。ああ、なんて呆気ない――。

 私はそう遠からぬうちに降りてくるはずの死の帳を待ったが、一向にそれはやってこなかった。代わりに意識だけが鋭敏になっていくのが分かる。体勢上、目を開いたとして見えるものはベッドの左隣に隣接する壁だけであるはずなのだが、果たして私の意識は、ベッドの下からぬぅっと首を伸ばし、布団から突き出た私の左足を凝視する、真っ黒でつるりとした頭の存在を知覚した。

 私はそれを、黒く塗られたプラスチックスプーンのようだ、と思った。諸兄らも、模型趣味の人が塗料の試し塗りとして、プラスチックスプーンの背に塗装しているのを見たことはないだろうか?ああやって黒く塗られたスプーンのようにのっぺらぼうの頭が、ベッドの下から伸びているのである。それが、私の左足のすぐ隣にあるのだ。

 私は左足を引っ込めようと躍起になったが、体はちっとも言うことを聞かない。この段に至って初めて、私はこれが所謂「金縛り」という現象であることに思い至った。

 ほぉー、これがあの金縛りというやつか。本当に体が動かせなくなるんだな。私の眠りに落ちかけていた理性が「金縛り」という単語に反応してモソモソと動き出し、寝ぼけ眼でそんなのんきなことを抜かしている一方で、感情は理性の肩をガクガク揺さぶりながら出川哲朗ばりに「ヤバいよヤバいよ」と繰り返していた。何がヤバいのかといえば、勿論私の左足の裏を凝視する黒い存在である。見ていないのに存在が分かる。悪意を左足の裏で感じる。早く足を布団の中に引き戻さなくてはならないのだ。

 感情は矢継ぎ早にそれらのことを口にする。起き抜けの理性は頭をグワングワン揺らされて若干気持ち悪くなっているので、それらに合理的な反論をする余地がない。下手に口を開けば舌を噛みそうなのだ。その間にも感情はヒートアップしていく。

 いよいよ黒い存在はその頭を垂れて、私の足の裏を舐め回さん勢いである。感情は恐怖のあまり卒倒した。すると、肩を掴んだ腕から解放された理性が、やっとものを言えるようになったのである。理性は一通り、私が上述したようなことを述べた。

 私の体は動き出した。頭は鮮明な夢を見た直後の、実記憶と夢の記憶が渾然となっている状態に近い。左足を布団に引っ込め、寝返りを打って足元を見たが、黒いスプーンは勿論その存在の痕跡すらもない。

 感情も落ち着かせることに成功した私は再び布団を肩まで被り、眠りを貪った。私の理性も感情も、この度は静かに眠りに落ちていった。それを叩き壊したのは、目覚まし時計のベルである。私は布団の中から腕を伸ばしてそれを止め、1時間後にセットし直し、三たび寝た。

 私は都合2時間長く寝たことになるが、そのことに気付くのは再び目覚まし時計に叩き起こされ、時刻を確認したときであった。病院は午前の診療時間ギリギリに滑り込みになってしまい、焦りのあまり保険証を提出し忘れ、明細書を受け取らずに帰ろうとし、処方薬の代金を払わずに薬局を出そうになるなど、その日は細かいポカを山ほど積み上げることになってしまった。

 何もかもが、あの黒スプーン野郎のせいである。あのスプーンの他に誰が責められようか。必死に考えても自分の顔しか出てこないので、スプーンのせいにしなければやっていられない。感情がそう訴えている。理性の方は勿論スプーンのせいではないと知っているが、事実を指摘すれば私自身を責めることになるので感情と一緒になってそう訴えている。こうして金縛りは、先祖だの水子だの地縛霊だのスプーンだのといった、大方体験者の幻覚の中にしか存在していない、ある意味で都合の良い存在に罪科を押し付けて人口に膾炙していくのである。

 私は諸兄らに言いたい。そうやって都合よく濡れ衣を着させ続けていると、そのうち本当に呪われてしまいますよと。本邦は言霊の国である。言葉の力は恐ろしいのである。いわんや私や諸兄らが太刀打ち出来るものではない。「存在しないもの」の上にむやみやたらに積み上げられた罪科は、いずれ崩れて我々の上に降り注いでくることだろう。

 人を呪わば穴二つ。その内訳は勿論、私が入る穴と、諸兄らが落ちる穴である。穴の底で、待ってます――。

2022年10月12日水曜日

無敵のギター弾く人(または、腐敗卵)

(これははてなブログからの引っ越し記事です)

 突然だが、私は自分のことをあまり美化しない。

 こう書いてしまうと、諸兄らはきっと首を捻ることだろう。「自分を美化しない」と言い切る手合いは、大抵「自分が定義する自分」と「実像の自分」との間にあるギャップに気付けないほどの大馬鹿野郎であることが殆どだからだ。

 それであれば、いっそ自分を美化しきっている方がよっぽどよい。美化された自分という自己認識があればこそ、人はその姿を保つ、あるいは近付かんとして努力をするのである。そういう一種のノブレス・オブリージュがあってこそ、人は真に社会的存在たり得るのだ。著名人が社会奉仕をするのも、お笑い芸人が何かにつけ苦労話をするのも、インターネット上の漫画絵描きがすぐに「描かないと人権がなくなる」などとほざくのもその一環であり、詰まるところ第三身分、プロレタリア、消費者、底辺、諸兄ら、などと好きな言葉で呼べばよいが、そのようにノブレスではない者は「はっは、抜かしおる」と鼻でもほじりながら肘枕で寝転がっておればよいのである。

 その点、自分を美化しない人間は厄介である。何といっても担保される自己認識がないので、責務もなければ上昇志向もない。いわば無敵の人である。

 このように、私があまりに上昇志向を捨てきっているのは、何度か書いているように大部分は育ちのせいである。

 私は両親や親戚縁者など、本来であれば身近であるはずの大人たちから、努力そのものを褒められた記憶がない。当世風に言えば、褒められが発生するのは常に「成果」があった時だけであり、どれほど努力しても「成果」が伴わなければ必ず怒られが発生していた。更には両親の教育方針として、例え「成果」が伴ったとて、努力に報酬が支払われることはなかったのである。

 一般によく見られる話のように、テストで何点以上取ればお小遣いが貰えるとか、欲しかったものをひとつ買ってもらえるとかいった現物報酬は、規模の大小を問わず、我が家には一切発生していなかった。無論、勉強は小遣いや物欲を満たすためにするものではない。勉強は自分自身のためにすることであって、そこに外的動機付けを必要とするのはおかしな話である。それは全く正論であるし、その厳しくも公正な姿勢を20年弱に亘って貫いた両親の胆力には賞賛を送るものであるが、それはそれとして、一般にガキというものは、そこらの犬畜生よりも堪え性において劣る存在だということを、どうも我が親愛なる両親は知らなかったらしい。

 私は何度となく、ありとあらゆる交渉材料を用いて月々の小遣いアップを目論んだものだが、それらは両親という大蔵省の前では全て蟷螂の斧に過ぎなかった。

 努力しようがしまいが給料が変わらないとなれば、人は一体どのように振る舞うか?勿論、これは歴史が証明していることであるのでここでは子細を述べないが、それと全く同じ現象が我が家でも起こっていた。両親は私が可愛いあまり、私が彼らの子供である以前に人間である事を失念していたのである。

 共産主義はいつだって正しい。間違っているのは常に人間である。だから、人類は共産主義の敵なのである。共産主義の理想に殉じたければ、人類を敵に回して闘争するより他にないのである。かといって共産主義が殉死者に微笑み返してくれることなどない。悲しいなあ。

 さて、以上が今回の枕だが、既に冗長であるし、なんだかひがみっぽい。ちなみに、私が嫌いな言葉は「自己責任」である。言うまでもないが、こちらには常に自己責任からの自己批判からの自己逮捕からの自己刑死をする覚悟があるのだ。そこな並み居る凡骨どもとは気位が違う。共産主義も喜んで私を手駒にすることだろう。

 この度、ずっと以前に作ったギターを押し入れから引っ張り出してきたのだ。

 この雑文置き場でしか私を知らない諸兄ら(などというものが殆ど存在していないのは勿論知っているが、存在していないからといって説明を省けばそれは内輪ネタに伍してしまうのだぞ)には初耳かも知れないが、実は私はエレキギターやエレキベースを一通り製作出来るだけの教育と実習を受けている。それらの内容には大抵のリペア作業も含まれており、自宅にそれが出来るだけの設備や工具を買い集めることをしていたりもする。このギターは、その教育の過程で私が作った十数本の内の1本だ。

 ここで少しシビアな話をすれば、実際のところ、自分で作ったギターが使い物になることはそう多くない。きちんとしたテンプレートと工作機械を使い、規格立てて作業を行える環境であればまだしも、実習の一環なのだから、大体は毎回のように異なった仕様のギターを、基本的な工作機械と手工具で製作することになる。

 ギターというのは事実上精密工芸品であり、その設計も、一部でも仕様が異なれば全体の改設計を余儀なくされる場合もある程度には繊細である。つまり、同じギターという楽器を作っているようでも、要求されるスキルは毎回多少なり異なるのだ。

 これでは、何本何本も全く同じギターを作る、というちょっと現実的でない選択肢以外で、年限の限られた実習期間のうちに技術を習熟することは望めない。また、基本的にたったひとりの手で製作しているため、クオリティの向上にも限度がある。提出の締め切りだって設定されているのだ。勿論、作業自体に得手不得手の濃淡も存在する。

 その結果、大方の場合において出来上がってくるのは、ギターの形をした死んだ木なのである。素材にはきょうび個人で取引することは難しくなってしまった木材なども含まれていたりするのだが、彼らがその本懐を遂げているとは言いがたい。木材マニアが見れば泣いて地団駄を踏み、ついでに馬謖もKILLすることだろう。諸葛亮だって馬謖をKILLするときは半笑いだったと思う。

 しかしながら、本当に時折(工作機械に全面的に頼り製作の手間を極力惜しむという私の巧みな設計手腕によって)、少々まともな出来になるギターがある。それがこのギターだったというわけだ。

 ここは読み飛ばして貰っても構わないが、ちょっとギターに詳しい諸兄らのためプレイアビリティに関わる部分だけ説明してみると、メイプル平行段付き、フェンダーで言うところのCグリップのデタッチャブルネックに9″Rのロングスケール22F指板、フレットはミディアムジャンボでボディ材はマホガニー極薄塗装、ブリッジはハードテイルでPUはハム2発、という完全にヘヴィ系の音楽をやる仕様になっている。

 このギター、提出後の評価も相応にめでたかったと記憶している。実際ボディシェイプやプレイアビリティの高さも気に入っており、機会があればいずれ同じような仕様でもう1本……と思っているギターのうちのひとつだ。

 転居などもありしまい込んでいたのだが、ひょんなことから存在を思い出し、埃と黴にまみれたギターケースの中から引っ張り出したのである。先述のように塗装が薄いため、ギターケースを覆う黴に気付いた時はかなり焦ったが、内側には侵食しておらず一安心であった。ギターケースは無論捨てた。

 さて、いざ調整をして弾いてみると……これが思いの外良くはないのである。弦が死んでいるせいかと思い新しいものに張り替えたが、それでもだめなのである。様々試した結果、これはフレットのすり合わせが必要だという結論に達した。

 フレットのすり合わせという作業がどのようなものかは諸兄らが各位で検索でもしてもらうとして、これはあまり簡単な作業とは言えない。手間もかかるし、やり直しのきかないシビアな作業である。こればかりは経験値がものを言う。

 私にも一応、経験値というものは存在している。この数年、すり合わせを行うための工具や環境も整えてきた。万一やり過ぎてしまっても、フレットを打ち直すことが出来る環境すらある。

 それらを十分に勘案した結果、私は素直に外注することにした。つまり、リペアショップに持ち込むことにしたのである。

 諸兄らは問うだろう。何故己で落とし前をつけぬのかと。それはそれは口汚く罵るのだろうね、この私を。分かってますよ。

 何故自分でやらないかといえば、それはひとえに私が自分のことを美化せぬ無敵の人だからである。私は己の知らざると、足らざるを知っている。具体的には、慎重さと丁寧さと頭の中身が足りていない。うるさいよ。

 勿論、かつてこのギターを作ったのも知らぬ足らぬの私である。更には口も減らぬので三重苦である。さて、物作りなどをする諸兄らにはまだ理解の余地が残されているものと信じるが、物作りの現場において、往々にして最も信用ならぬのは自分自身である。ギター作りの三重苦を抱えた私が作ったギターなど、到底信じられたものではない。先述した仕様ですら、本当に正しいかどうか分からないのである。なお、少なくとも塗装の薄さだけは事実である。レンチを滑らせて目立つ傷をつけたからだ。

 私が贔屓にしているリペアショップはそう遠くなく、アクセスも悪くない。技術も確かだと知っている。そして、諸兄らが見ているインターネットでは到底言えないような、まさに価格破壊と言って差し支えない工賃で大抵の作業を引き受けてくれることも。

 私はリペアショップに直行した。リペアマンにギターを引き渡す際、これを自分が作ったという事実は伏せておいた。どのような形であれ、軽蔑を差し向けられるのは好まない。私がギター作りを学んでおきながら、すり合わせひとつ面倒くさがってやらないような輩なのだという軽蔑に、私は耐えられない。事実の指摘は時に人を傷付けるのだぞ。諸兄らは知らないかもしれないが。

 すり合わせは1晩で済んだ。リペアショップから返ってきたギターは、もう見違えたように弾きやすいものとなった。

 何においてもまず頼るべきはプロの腕である。私はプロになりそこなった、腐乱した卵に過ぎないのだから。腕が(頭も)足りないこと自体は、決して恥ずかしいことではないはずだ。腹を括って、素直に他者を頼ればよいのである。諸兄らもくだらない意地を張っている暇があるなら、さっさと開き直って楽になった方がよい。私はそうした。

 自分を美化せずに生きることの、何と都合のよいことか。ついた嘘を覚えておく必要こそあれど、その他は全く気楽なものだ。尤も、その嘘の重さが私を苛むことも多少なりあるのだが。諸兄らも、是非この底辺の気楽さを体験してみて欲しい。

2022年10月4日火曜日

台所の宇宙

(これははてなブログからの引っ越し記事です)

 今日、畑をしまった。

 我が家では猫の額ほどの裏庭に、これまた鼠の額ほどの菜園を作って野菜を育てているのだが、天気予報が気温の急落を告げたため、今年の野菜たちを始末することにしたのである。

 思えば今年は我が家史上最も収穫量に恵まれた年であった。初夏にはサラダカブや二十日大根などがゴロゴロと穫れたし、盆前にはハラペーニョとナスがなり始め、盆過ぎにはイタリアントマトが大量に赤い実をつけた。ミツバと大葉、バジルとパセリは時期を問わず、使いたい時にすぐもいで使えたため大変重宝した。

 一方でミニトマトと中玉トマトはふるわなかったが、生育に肝心な時期と生活が慌ただしかった時期とが重なって適切な管理が出来なかったためであり、こればかりは仕方がなかったと言える。ミニトマトで作るセミドライトマトのオリーブ油漬けが作れなかったのは残念ではあるが。

 さて、畑をしまうにしても、ただ引っこ抜いて捨てればよいというものではない。ナスもトマトもハラペーニョも鈴なり状態であるし、バジルはもう茂るにいいだけ茂っている。これらを食べないという手はない。

 まずバジルである。食用に向かない硬い葉や茎、花茎などを取り除いたのち、片っ端からミキサーに放り込んでパルメザンチーズとオリーブオイルとニンニクと松の実を突っ込んでぶん回し、所謂ジェノバソースを作る。大きめの瓶で2本の量になった。冷蔵庫に入れておけばしばらく保つので、これで食べたい時にジェノベーゼが食べられるという寸法である。ミニトマトとプロセスチーズを豚ロースの薄切り肉で巻いて焼いたものにかけてもうまい。

 次に取りかかったのはハラペーニョだ。私が推す消費方法は湯むきしたトマトとニンニク・タマネギと合わせて作るサルサなのだが、そう毎日サルサをタコスにかけてテキーラを流し込み、ギターを弾いている訳にもいかない。我々は陽気なメキシコ人ではないのである。

 ところで、我々がメキシコ人と言って思い出すのはあのつばの広くて尖った麦わら帽、ソンブレロを被ったステロタイプであるが、実はソンブレロはメキシコの人々にとっても古臭いものであって、実際にはパーティグッズと同格の扱いをされているという。本邦でいうところのちょんまげのヅラのようなものであるな。メキシカン農場主はソンブレロを被ったりなどしないのである。我々も紋付袴にちょんまげで出社したりはしない。勿論その自由はあるが、翌日から机はなくなることだろう。自由には責任が伴うのだぞ、グリンゴ。

 話を戻そう。辛味の弱い品種であるとは言っても、ハラペーニョは立派な唐辛子である。私自身はそのあまりの気高さゆえ、時折内省が行きすぎたあまり自己総括が始まってしまうことがよくあり、そういった場合に一種の自傷行為として辛いものを貪るように食べたくなることがあるのだが、同居する家族はそうでもないため、ハラペーニョ単体を食べる料理はちょっと出すことが出来ない。よって、何に合わせてもいいようにピクルドペッパーを仕込むことにした。なにせ、2本でも十分な量のサルサが作れる唐辛子が20本近くも穫れたのだ。10倍だぞ10倍。

 ハラペーニョはヘタを丁寧にそぎ落とし、さっと湯がいてから爪楊枝で穴を開け、保存瓶に入れて合わせ酢を注ぐ。酢とカプサイシンの効果によって、ちょっとびっくりするくらい日持ちするピクルドペッパーが出来上がる。今回は合わせ酢には極力香り付けを控えたので、漬け上がれば肉に合わせてよし、スパゲッティと合わせてよし、勿論ピザやホットドッグに乗せてよしの万能リフレッシュとなる。

 残すはナスである。大小様々なサイズが15本ばかりあったが、今回は大ぶりなものを選んで夕食のサラダにすることにした。皮を縞目に剥き、適当な厚みの輪切りにしてさっと油通ししたナスを、刻んだタマネギとバジル、酢とオリーブ油などで和えて冷やして食べる。これがまたうまいのである。

 なにせさっきまで土から生えていたのだから、ナスは新鮮そのものである。揚げ油に入れると、その実の緑色がもやの晴れるように濃くなる。その翡翠の如き色があまりに美しく見事であるので、この瞬間の感動はちょっと筆舌に尽くしがたい。油を切り、調味料と合わせると、酢の力で皮の色が鮮やかな茄子紺へと変わり、流れ出た色でタマネギが淡く薄紫に染まる。そこにバジルの濃い緑が散るのである。

 このサラダは、私が作ってきた料理の中でも格段に色の美しいもののひとつだと思う。完成した姿が美しい料理というのは数多くあるが、作っている最中の姿が最も美しい料理というのはなかなか珍しいのではないだろうか。

 私は別に自然派だとか印象派だとかいった手合いの人間ではないが、植物や、大局的に言えば自然が見せる色彩の美しさに時折はっとさせられることがある。また、それそのものが美しいことも無論あるが、人の手が加えらた時に初めて顔を覗かせる美しさというのも確かに存在しているだろうと思うのだ。

 それらの美について考える時、私は究極的に、人間に生まれついたことを感謝する。人類が根源的に持つ、美という得体の知れぬものへの探究心が自身にも流れていたことを感謝する。

 「例え世界が滅んだとて、人間は美を求め、美しいものを作ろうとするはずだ」とは『マッドマックス』を撮ったジョージ・ミラーの言であるが、この盲目的とすら言えかねない人類への賛歌を、私はナスを食べながら実感するのだ。かたや映画であり、かたや台所での一幕であって規模感はまるで違うが、こうした精神的、もはや霊的といってもよい、突然もたらされる感動という現象そのものは全く同じである。

 そしてそういった感動に自覚的であればこそ、世界は我々に長い腕を伸ばして、その内幕を見せてくれるのではないかと思う。美は感動によって見いだされ、そして感動が色褪せても美そのものは不変であると私は信じる。感動をもって世界を解釈することで、我々の眼前には無限の精神の沃野が広がるのである。

 さて、ある程度消費したとはいえ、残りのナスと真っ赤に熟れたハラペーニョ、十数個のトマト達はまだ台所に転がっている。トマトは加熱調理用の品種であるので、すり潰してケチャップを作る予定である。前回トマトを収穫した際に作ったのだが、これが本当にうまいのだ。このケチャップを用意し、卵を焼き、あとはソーセージなどを温めパンを軽くトーストすれば、他にはもう何もいらない食事が出来上がる。あまりにうまいので、一瓶空けるのに数日しかかからなかった。

 感動というのはそこここに物言わず転がっている。または物陰に隠れている。それを拾って集めることが出来るのは、我々が美を追い求め続ける人間だからである。願わくば、それに対して真摯であり続けたいものだ。

2022年8月20日土曜日

恐怖心の解剖

(これははてなブログからの引っ越し記事です)

 いつの間にやら今年も盆を過ぎ、怪談のシーズンである。

 これは主に、ラテ欄に怪談番組がどのくらい登場するかで予測できる怪談の"旬"の話である。やや意外なことに、盆前・盆真っ盛りの間には怪談番組というのはあまり組まれない。これは盆の一連の行事が祖霊信仰に基づくものであるからで、盆真っ盛りの恐怖体験とは、つまるところその近隣に住んだり地縁のある人々のご先祖が引き起こしている確率が高いためである。

 実際旅先で気が大きくなるのはままあることで、ご先祖達も久しぶりの現世にちょっと羽目を外して、そこないけ好かないヤンキーやギャルどもにちょっかいかけてみたくなったりするものだろうから、盆真っ盛りの恐怖体験はご先祖達が引き起こしていると言って全く差し支えないのだが、だからといって高祖のことを悪く言われたくはないのが人情というものだ。

 よって盆が過ぎ、里帰りツアーご一行のご先祖達がナスの高速バスで西方浄土にお帰りになったところで、怪談番組は盛り上がりを見せるのである。あたかもうるさい先生の見回りが終わった修学旅行の夜のようであり、怪談とはそういうノリで語るのが最も適切である事を思い出させてくれる。ちなみに全ての学生時代を通じて私の身の回りには浮いた話のひとつもない輩どもばかりが群れていたため、我々が集まってする話といえば怪談と猥談しかなかった。宿泊研修も修学旅行も飲み会も、全て怪談と猥談で構成されており、恋愛談など差し挟まる余地もなかったことは今更書くまでもない。

 さて、いくら旬だからといって私が再びここで怪談を開陳してしまったのでは、修羅のインターネッツに創造性を疑われてしまう。こいつ困ったら怪談書いてるな、と思われてしまうのだ。実際のところこの雑文にはネタが多くあるわけでもなく、書いているのも天然無能ことこの私ひとりであるので、ストックがそれなりにある怪談の方から優先して書きたい気持ちはあるのだが、ここが怪談サイトだと思われるのは不本意である。

 恐怖とは、言ってしまえば緊張と弛緩のバランスである。怪談サイトの100ある怪談のうちの本当に怖い1話より、日常ブログや雑文サイトの中にある怪談1話の方が怖い。これはひとえにその他とのギャップによるもので、他の話や雑文がくだらなければくだらないほど、たわいなければたわいないほど、たった1話の怪談の異質さが目立ち、そこに恐怖が生まれるのである。

 私は些か文章力が不足しているため、このギャップをあえて作ることにより、読者諸兄が覚える恐怖感の底上げを図っている側面がある。よって、あまり怪談ばかりに頼って記事を書き続けるわけにもいかないのだ。……しかしまあ、ここまで内情を詳らかにする雑文サイトは珍しいのではないか。諸兄らは私の何ら隠し立てしない正直さを賞嘆すべきである。

 話を戻そう。一口に恐怖と言っても、様々な切り口がある。私は基本的に合理主義者かつ懐疑論者であるので、超常的な話に関してはあまり恐怖を覚えない。信仰心もないので、海外ホラー映画のような、困ったら悪魔を持ち出してくる話も願い下げである。土着文化というものが希薄な土地に育ったため、因習とかいったものに対する民俗学的恐怖心というのもあまりない。

 よってやはり一番怖いのは、理屈付けを拒否されることであると言わざるを得ない。話が不可解であれば不可解であるだけ怖い。それは様々なファクターをただ散りばめておけばいいというものではなくて、それらは繋がったり繋がらなかったり、繋がっているはずの部分が実は繋がっていなかったり、と、まるで規格の違うブロック玩具を相互に組み立てるようなもどかしさがあるべきなのである。そこに入るはずのピースが入らない、そういう恐怖こそ最も洗練されていると思う。いつだったか、誰かから聞いた話で、あまりに不可解で私を震え上がらせたものがあるのだが、これに紙幅を割いてしまうとここが完全に怪談サイトになってしまうため今回は割愛する。いずれ機会があれば整理して書こうと思っているので、諸兄らもお楽しみに。

 実際のところ良い文章を書くには、自分が何を好きか、あるいは何を嫌いかをきちんと考えることが必要だ。この場合でいえば、きちんとした怪談を書くためには、私が怖いものは何か、ということを考える必要がある。

 結論から書いてしまえば、私が怖いものといえば、チワワである。そう、あのチワワである。ケンネルクラブに登記された犬の中で最も小さい犬である。本邦ではかつて消費者金融のCMに登場して一大ブームを築いたあの犬である。

 犬が嫌いなのかといえばそうではない。世の中に犬の類いは多くあるが、大体どの犬もそれなりに愛らしいと思える程度には博愛主義である。また、一部の人が怖がる大型犬も別に嫌いではない。実際に飼う場合にどうかは別として、犬は大きければ大きいほどいいと思っているきらいすらある。小型犬が嫌いなわけでもなく、シーズーや狆などとは仲良く戯れたこともある。もっと言ってしまえば、別にチワワが嫌いなわけではない。ただ、怖いのである。

 私はよくその恐怖を説明するために「深夜、道の真ん中に牙を剥いたチワワが仁王立ちしてたら怖いでしょ」などと言うのだが、よく考えてみれば、深夜に1対1で遭遇すれば大抵の犬は怖い。それが牙を剥いていれば尚のことである。それがドーベルマンやウルフハウンドだった場合、おそらく我々は助からない。

 しかしながら、私にはそれがチワワであった場合の方が怖いのだ。何故なのか。後学のために少し考えてみよう。

 まずひとつはその大きさである。前述のように、チワワは地球上で最も小さい犬である。体高にして25cm程度、重さにして3kg以下に過ぎない。万一襲われても、成人の力であればなんとかなるかも知れない相手と言えよう。しかし裏を返せば、それは成人はチワワが襲うには分の悪い相手だということである。

 次に言えるのは、その気性である。チワワの気性は一般に荒い。飼い主以外には非常に攻撃的であるとされる。その上、図体が小さいくせに物怖じせず、何にでも立ち向かうのだから始末に負えない。それは最早勇敢を通り越して蛮勇である。

 さて、このような冒険主義の犬が深夜の路上で、よりにもよって人間の内でも割とトロい部類である私などと渡り合った場合、一体何が起こりうるか。

 チワワが私に襲いかかり、私がそれをただ受けることしか出来なかったとしよう。おそらく私は咄嗟にはチワワをどうにもすることが出来ず、腕や足などを噛まれながら必死でそれを払いのけようとするだろう。しかし反撃らしい反撃を加えられるわけではないので、チワワは私を執拗に追ってくる。なにせ犬には逃げるものを追いかけるという本能があるのだ。

 もうこの時点で私は指の1、2本は食いちぎられておるかも知れぬ。ステータスとしては同じになったが、私はムツゴロウではない。象と仲良くなろうとして近付いたら踏まれそうになったのでスコップを持って象に襲いかかろうとした世界一強い男ムツゴロウではないのである。私はいずれ息が上がり、立ち止まることになる。するとまたチワワがその白い牙を剥き出して飛びかかってくるのである。

 私が喚けど騒げど、誰も助けには来ない。畜生。こんなことなら鞄の中に呼び込み君でも忍ばせておくのだった。呼び込み君さえあれば、深夜の住宅街に鳴り響く脳天気な音楽につられて、欲の皮の突っ張った主婦の皆々様などが家を飛び出して来たかもしれない。しかしながら呼び込み君は末端価格で1体2万5千円ほどするガジェットであり、一介の無職が気軽に持ち歩くには少々高価であると言える。畜生。何もかも資本主義が悪いのだ――そんなことを考えている間に、チワワは私の喉笛を噛み切りに来るだろう。

 さて、ここでまたチワワの特徴がひとつ、恐怖のファクターとして働くことになる。チワワはその大きさゆえに、おそらく人ひとりをきちんと殺してくれないのではないかヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ、という点である。喉笛だってしっかりとは噛み切ってくれはしまい。チワワにしたって仕方がないもんだからちくちくちくちく私の身体中を噛みまくり、その上で失血死するのではあまりにむごい死に様ではないか。チワワによる失血死はジュネーブ協定で禁止されるべきである。

 ……ここまで耐えてきた諸兄らももうお分かりのように、私が恐怖しているのは"苦痛に満ちた死"であることが分かった。

 この病んだ時代に、誰しもが死を夢見ながら、選択的死の方法にその実それほどバリエーションがないのは、苦痛に満ちた死を迎えたくないからだ。誰しも苦痛に満ちた死を選びたくはないからこそ、ドアノブで首を括ったり、練炭を焚いたりするのである。残念ながらそのどちらも失敗すると大変な苦痛を伴ってこの世に暇乞いをすることになるわけだが、なるべく苦痛の少ない方法で暇乞いをしたいという気持ちはどうやら人類の通奏低音であるようだ。

 私は合理主義者である。超常現象が人に死をもたらすとは思えない。しかしながら、動物が人に死をもたらすことは往々にしてあり得る。そしてそれは、"殺しの下手な"生き物たちによる行為である可能性が高い。なぜなら人を一撃で死に至らしめることの出来るような類いの動物は、その分管理も厳重であることが殆どだからだ。

 人間は世界に自身の理想を投影して生きている。実際にそうなるかどうかは別問題として、私は突き詰めてしまうと、「私が勝てるかも知れない生き物」か「私をひと思いに殺してくれる生き物」しか安心して愛玩することが出来ないような気がする。勿論、クマやチワワなどはその範疇から外れているのである。

 彼らに仏心を期待するのは間違いだ。そこには苦痛に満ちた死のみが待っている。そして人間の苦痛に満ちた死に対する恐怖心のことを考えれば、それを迎えた者の魂がそこらに浮遊しているとしてもなんら不思議ではないのかも知れない。ヤンキーにちょっかいをかけるのはご先祖達、と決めつけたのは、些か早計であったかも知れぬ。その場合空間を漂っているのは苦痛に満ちた死に対する純粋な恐怖であって、恐怖が恐怖を呼ぶ連鎖があったとて何もおかしくはないのである。

2022年8月11日木曜日

オペレーション・クラークフォビア

(これははてなブログからの引っ越し記事です)

 服を買いに行ったのである。実に8ヶ月ぶりのことであった。

 というのも、私ほど無職が板についていると、気付かぬうちに服がボロボロになるのである。そのプロセスについて、もしかすると無職ではないかもしれない諸兄らのため、分かりやすく解説してみよう。

 まず、無職は無職であるので、背広やワイシャツの類いは生活の中にほぼ出番がない。実際のところ、学生時代の求職活動以外のシーンでこれらを着用したのは、祖父の葬儀の際だけだった。学生という身分を返上してからいくつか短期・長期を問わず職にありついたが、そのいずれでも背広を着用したことはない。大抵は作業着か、適当なパーカーなどを着用していた。つまりはそういう職業である。

 このように、無職が普段着用するのは、オンとオフを問わず所謂カジュアルスタイルであることが殆どである。私の場合はジーンズとTシャツ、その上に適当なパーカーやミリタリーブルゾンを羽織っていることが多い。

 この構成は学生時代から何ひとつ変わっていないわけだが、私は少々特殊な学生生活を送っていたので、足を保護するための長ズボン、作業性を高めるためのスニーカー、学校に置いてある作業着と着替えやすいパーカー、気温によって調整が出来るよう半袖のシャツ、というコンポーネントそのものが事実上学校によって指定されていた。それに則って生活をしていたので、これ以外の構成をしなくなってしまった側面は大きい。

 話を元に戻そう。無職はその経済的事情ゆえ、就寝専用の寝間着を持っていないことが大半だと思われる。私もご多分に漏れず、「ちょっとこれを外で着るのは憚られるな」と思う程度にはくたびれたTシャツを寝間着に転用することで、これまで凌いできたのである。加えて、無職は如何せん無職であるので、実際のところ1日の大半を寝間着で過ごしている。

 ところがである。諸兄らも心当たりがあるだろうが、人は寝ている間に意外なほど動くらしく、寝間着は殊の外傷みが早いのだ。

 外で着られるTシャツの数にも限りがある。無尽蔵に寝間着におろしていく訳にはいかない。しかし寝間着は次々と死んでいく。襟ぐりが伸びきる。縫い目がほつれる。どこからか長い糸が出る。脇腹や裾に穴が開く。袖が脱落する。それでもそれを着るより他にないから着るのである。そして一度着たからには洗濯をせねばならないので、穴やほつれは更に大きくなっていくのである。

 こうなってくると、もうみすぼらしいなどというレベルではない。格好だけで言えば、嵩山の洞窟で9年間壁に向かって座禅を組んでいた達磨大師と同じか、それ以上すごいことになっているであろう。達磨大師も座禅を終えた後、追われるように洛陽近辺の服屋に行ったはずである。

 私もこの度ちょっとした臨時収入を得たので、丁度いい機会だと思って最初から寝間着用にTシャツを数枚買うことにした。本当はギター関連機材か本などに費やしたかったのだが、外でギリギリ着られる服を数枚でも保っておくことは、文明人に強いられる必須の投資である。何しろ、道を歩けば犬猫の類いですらパリッと糊のきいたおべべを着ておる時代なのだ。人間様がズタ袋同然の粗末な布を身に纏って歩いていれば、問答無用で通報されるのがオチである。勿論私が文明人であるかどうかについては議論の余地があろうが、服さえ着ていれば、とりあえず社会という共同体の範囲にギリギリ収まるものとして扱われるのである。

 私は残念ながらブランドというものには興味がない上に、予算も限られている。よっていつもの薄利多売系服屋に向かった。適当なTシャツとジャージズボンをそれぞれ2、3枚ずつ見繕ってレジに向かうと、会計をする店員が「こちらのシャツ、5枚お買い上げになれば5千円になりますが」と言ったのである。

 コミュニケーション能力に難のある読者諸兄らには勿論理解して貰えると思うが、服屋というのはどのような形態であれアウェイである。我々は店員の目を盗んで入店し、その気配に細心の注意を配りながら服を見繕い、真っ直ぐにレジに向かって逃げるように退店するのだ。勿論、その過程で店員に話しかけられてしまえばゲームオーバー、どんなに気に入らなかろうと何かひとつは買わなければ生きて店を出ることは叶わない。服の選定にも細心の注意を要する。なぜなら、試着などしようもんなら責任を取ってその服を買わねばならないからだ。よって、サイズ間違いなど絶対に許されない。達磨大師もおそらく洛陽の服屋ではそういう行いをしたはずだ。何と言っても、壁に向かって9年も座禅をするような人物なのだから。

 そのような神経をすり減らすミッションをこなし、もう少しで退店出来る……と緊張の糸が緩んでいた私に、この発言は全くの不意打ち、死角から飛んでくる鋭い右フックであった。あの時の私は、それはそれは哀れなほど取り乱していたと思う。

 アッソウナンデスカ、ヘェ~ジャアアレダ、アノ、エート、モウチョットミテキテモイイデスカ?とヘリウムガスを飲んだバルタン星人のような声で言うと、私は回れ右してTシャツ売り場へともつれる足で駆け込み、目についたシャツを3枚ひっつかんでレジに戻ったのである。

 会計を終え、全身の骨がゴムになったかのような足取りで店を後にし、速度超過気味に家に帰ってきてから、私はまた大変なことに気付いた。購入したTシャツの中に、殆ど白と言ってもいい色味のものが混じっていたのである。追加したシャツのうちの1枚であろう。

 私はこういう自意識の持ち主である以上、彩度や明度の高い服を好まない。そういう服を着ていると、街中で必要以上に目立っている気がしてしまうのだ。勿論そんなことはないし、己の無価値は己が一番理解しているが、着ているだけでそう思ってしまうのだから、それならばいっそ着ないほうがずっと精神の安定によいことは理解していただけると思う。

 今回購入したのは寝間着としてのTシャツであり、基本的にこれを着たまま出歩くことはないわけだが、着ることになる人間は同じ私なので、着用によるスリップダメージは変わらず通ってしまう。さながらのろいのそうびである。なんということだ。これは手痛い失敗である。失敗したからといって、まさか返品など出来るわけがない。そんなことが出来るなら、前述のようにステルスゲームのような買い物の仕方はしないのだ。

 結局その後数回そのTシャツを着たが、ふとした拍子に裾や袖が目に入り、その度に「白だ!」と衝撃を受けるので本当に精神衛生によくない。私ともあろう者が、寝ても覚めても白いTシャツを着ている。とてもつらい。

 それに加えて、もっとつらい事実がある。実はこのTシャツ、5枚5千円のセールの対象外だったのだ。それに気付かないほど動転していた私も私だが、紛らわしい陳列をしていた店も店だ。5枚セットが成立しなかったため、私は満額を支払い4枚のTシャツと1枚の白いTシャツを買ったことになるが、それを指摘しなかった店員は一体何なのだ。人の心がないのか。それとも、服屋に来る人間は皆いついかなる時でも冷静で、加減乗除の四則演算は完璧だとでも言いたいのか。残念ながら私は九九もおぼつかぬほど数に見放された人間であるぞ。

 やはり服屋とは一瞬たりとも気の抜けない、純然たる敵地である。次はぴっちりとしたステルススーツに身を包み、ダンボールに入って入店することにしよう。

2022年7月22日金曜日

ある書店の死(または、記憶)

(これははてなブログからの引っ越し記事です)

 一昨日、本当にひょんなことから、ある書店の閉店を知ったのである。

 そして今日、私はあるホームセンターの駐車場で、買った洗剤を車に積み込みながらそれを思い出したのだ。昼過ぎとはいえ、日はまだ高かった。今日は夕食の準備を急ぐ必要もない。私はまだ7月だというのに異様な暑さの屋外や、冷房もなく風もあまり抜けない自宅にいるよりは、エアコンの効いた車の中にいた方がまだしも快適だと思って、その書店へと向かったのである。

 その書店というのは、かつてはどこの町にもあった、中規模程度のものを想像して頂ければ、概ね実態と相違ない。

 それなりに広い平屋建てで、ごちゃごちゃと本の並ぶ書架の壁を過ぎると、これまた乱雑に陳列された文房具や紙類、白地図などが客の往来を妨げんばかりに配置されている。これが書店部分で、建物全体の半分強を占めていた。

 もう半分は何だったのかというと、かつてはレンタルビデオ店だったのだが、こちらはいつの頃からか形骸化していて、今は空の棚が並んでいるだけの空間である。

 もとより書店部分とレンタルビデオ店部分の間に、壁や間仕切りは一切ない作りだ。今は虎縞の棒が渡されたカラーコーンが立ち並んでいるが、かつてはその間の線引きは非常に曖昧だった。レンタルビデオ店のレジで文房具が買えたくらいである。しかし書店のレジではレンタルビデオを借りることは出来なかった。

 駐車場に車を停め、蝶番が痛んでいるのかいつでも扉が半開きになる玄関を通ると、すぐ横にくじ引きとクレーンゲームが一体になっているタイプのプライズゲームが白々しい蛍光灯を灯していた。

 私はクレーンゲームというのが苦手で、この筐体で遊んだことはないのだが、私の記憶にある限り、陳列されている景品の中で最も価値の高かろうと思われるもの(それは主に、その時々の最新型のゲーム機であることが多かった)が排出されているのを3回目撃している。縁日のテキ屋のスピードくじよりは、よっぽど良心的なシステムだったらしい。

 ところで私がテキ屋のくじで当てたものと言えば、どこかの国でおそらく違法にコピーされたタミヤのミニ四駆のパチモンくらいである。このパチモンというのがもう、外箱から中身から、あまりにもツッコミどころの多い代物だったのだが――この話は本題から逸脱するので割愛する。またいずれ機会があれば書くかも知れない。

 店に入ると、割合あっさりとした閉店の告知と、文房具3割引の閉店セール告知が掲示されていた。私は何か、そんな値引きやセールを期待して訪れたわけではないのだ――と誰かに言いわけでもするような心持ちになりながら、それでも文房具の棚へと足を向けた。

 文房具ほど、個人の好みがはっきりと細分化される道具というのもそうないだろう。シャープペンシルひとつとっても、文房具売り場の棚には数多のバリエーションがずらりと並んでいる。長いの短いの、太いの細いの……と、過剰なのではないかと思えるほど、細分化された道具が並んでいるというのは、一種異様な光景でもある。

 そういう私は中学生の時分から、横ノック式のシャープペンシルを愛用している。私は文房具マニアではないので、不正確な、あくまで印象の上での話となるのだが、現在横ノック式のシャープペンシルは販売されていない(と思う)。オーソドックスな上ノック式や振り子ノック式、そもそもノックのいらない自動給芯式など、ありとあらゆる給芯方式が店頭に並ぶ中で、横ノック式は淘汰されてしまっている。

 またこれも印象の上での話となってしまって心苦しいのだが、シャープペンシルの給芯方式が多様化する中で、最後まで横ノック式を生産していたのはぺんてる社だったと思う。というのも、私が今使っているのもぺんてる社のシャープペンシルだからだ。

 当時高校生だった私は、このシャープペンシルの使い心地に文字通り熱狂した。だからこそこのシャープペンシルを売る店がひとつふたつと減り始め、生産終了の気配を感じ取ったと同時に、店頭にあった在庫をごっそり買い占めるに至ったのだ。

 校則でアルバイトは禁止されていたので、少ない小遣いを叩いて、シャープペンシルを37本買ったのである。青春まっただ中の高校生が行う消費行動にしては、何と夢も希望もない話だろうか。しかしながらこの時大量に買い込んだおかげで、その後の学生生活、短い社会人生活を通じ、シャープペンシルに困ることはなかったのだ。これは英断だったと今でも思っている。

 その私がシャープペンシルを37本買った店というのが、他でもないこの書店だった。

 そんなこともあったなと思いながらシャープペンシルの売り場を抜けて、白地図の売り場を突き当たり、左を見ると、カラーコーンの向こうにかつてレンタルビデオ店だった空間があり、その隅には棚で囲まれた区画があった。

 読者諸兄はお分かりのこと、それはかつてアダルトビデオを陳列していたコーナーの名残である。あの薄っぺらいサテン地の暖簾こそもうかかっていないが、棚にはメーカーやジャンルのインデックスが残っていた。

 実はこの店は、私が通っていた高校から最も近くに位置する商店だったのである。

 私が通っていたのは住宅街のど真ん中に建つ高校で、自慢ではないが中途半端なバカが多く入ってくることで有名だった。どいつもこいつも突き抜けたバカではないので面白青春グラフィティとは一切縁がなく、かといって頭が良いわけでもないので理知的なユーモアを楽しむことも出来ない、中途半端な構造の中途半端な15歳が中途半端な顔をして入学してくる、そういう高校だったのである。勿論そんな中途半端な奴らを集める中途半端な学力レベルであるので、半期に一度はベネッセの社員が講演にやってきて、「受験は団体戦だ!」と熱くぶち上げていた。

 そんな高校であるわけだから周囲の環境も中途半端で、付近に駅はなく、バス乗り場も遠く、遊べる場所と言えば児童公園とジジババの集うゲートボール場しかなく、飲食店も含めて周囲に商店と呼べるものがこの書店しかなかったのだから、今考えてもすごい環境である。勿論、校内に購買などというステキ施設はなく、うっかり弁当を忘れて家を出ようものならすなわち餓死が待っていた。その代わりなのか、「午後の紅茶」のみを売る自販機だけは設置されていたので、脱水症状は免れることが出来たのである。生かさず殺さずを地で行く作りである。運営側がそんな発想だから、高校のくせにアルバイトが全面禁止なのである。

 今さらりと書いてしまったが、校内に購買がないということは、ノートを忘れたり筆箱を忘れたりした際もかなり恐ろしいことになるのはお分かりいただけると思う。友達を頼ろうにも、いつでもそのアテがあるわけではない。そもそも友達と呼べる人間がいない場合もあろう。よって、昼休みに玄関側に面した窓から外を眺めていると、弾かれたように自転車で爆走する生徒が時折見られた。無論昼休みに無断で校外に出るのは校則違反であるが、彼らにとってはノートや筆記具がないことの方が恐ろしかったのだろう。

 近いとは書いたが、書店まではそれなりに距離がある。交通量が多く、なかなか変わってくれない信号も道中にある。よって彼らが必死に自転車を駆ってノートや筆記具を贖って帰ってきたとて、校内に入れなくなるリスクは常につきまとっていた。昼休みが終わると玄関は施錠されてしまうのである。たった1冊のノートを掴み、汗だくのまま施錠された玄関の前に立ち尽くす姿は、想像するだに恐ろしい。

 こんな環境でなぜ購買が設置されなかったのか未だに疑問なのだが、とにかく我々は「そういうもの」として日々を暮らしていた。だから必然的に、一番近い商店であるこの書店にも我が校の生徒達は結構訪れていたと思う。

 生臭い話で恐縮だが、性欲の鬱屈した男子高校生のやることというのは今も昔も特に変わりはない。週刊誌のグラビアを鼻の下を伸ばして眺め、サテン地の暖簾の隙間や下からアダルトビデオのパッケージを眺めるのである。それでいて成人誌を立ち読みしたり、あの暖簾をくぐったりなどする勇気はないのだから、本当に中途半端であった。

 ある放課後のことである。私が漫画の単行本を買うために書店に入ると、ちょうど漫画誌を立ち読みしていたクラスメイトの田辺が、私の腕を強引に引っ張ってレンタルビデオ店側の隅へと連れて行った。

 田辺は鼻の穴を大きくしながら、「大変なことを知った」と言った。田辺は学年の中では割と突き抜けたバカ側に寄った人物だったので、私はにべもなく「よかったね、おめでとう」と落合博満のような受け答えをしたのだが、田辺が悲しそうな顔をしたので話だけは聞いてやるかと思い先を促した。

 すると田辺は声を潜めながらも心なしか誇らしげに、「高校生でもアダルトビデオが借りられる」と言ったのである。今思えばバカであるなあ。しかしながら、その情報にいきなり首ったけになってしまった私も無論バカであった。

 田辺の語るところによると、例の暖簾のすぐ脇の棚に並んでいる「パロディ」とラベルをつけられた映画は、実質アダルトビデオでありながら、レンタルに年齢制限がないのだという。

 読者諸兄も察しがついたと思うが、これは所謂パロディAVというやつだ。この店では何故かパロディAVを年齢制限なしに貸していた。どちらかと言えば体が資本であるので役者の演技は大根だし、修正はミラーボールかと見紛うばかりに濃いし、タイトルもあまりにバカバカしすぎて、実用目的で借りる者などいないと店側は踏んでいたのかも知れない。

 しかしながら、そこは性欲を滾らせた男子高校生である。なんなら我々はおっぱいの出る映画を片っ端リストアップして共有していたくらいだったのだから、本番がある映像を借りられるなら、その他の瑕疵など気にもとめなかった。

 この田辺の発見は、(一部の)男子の間に瞬く間に広がった。その後パロディコーナーの映画はいつも貸し出し中になっており、結局私が観られたのもこの時に借りた『Mr. & Mrs. エロス』だけだった。これは勿論『Mr. & Mrs. スミス』のパロディだが、元ネタの映画もまあまあ酷い出来であるので、このふたつを比べた時、私は思い入れを加味せずとも『エロス』の方に軍配を上げてしまうかも知れない。だいたい『スミス』の方も、セックスがどうこうする映画である。

 私はかつてパロディAVが並んでいた空っぽの棚を遠巻きに眺めて、急にこの店がなくなってしまうのが惜しいような気がした。それはこの店の閉店を知った時、この店に入って閉店の告知を読んだ時とは比べものにならない強さだった。私の人生よりも長くこの地にある店である。勿論、ここで何かを買ったのも一度や二度ではない。なにしろ、我々にはこの店しかなかったのだから。

 しかしながら、この店に往時の賑わいがないのもまた事実だった。私が卒業してから数年後、高校のすぐ近くにコンビニが建ったため、わざわざ遠いこの店を選んで週刊誌のグラビアを見に来る生徒は減ってしまっただろう。レンタルビデオ店が廃業しているのも既に書いた通りである。がらんとした空間に立ち並ぶ黒いスチールの棚は、この店を蝕む癌細胞であるかのように思われた。半分が既に死んでいるなかで、遺された半分は必死に生きながらえようとしてきたのである。

 その努力も仄暗い死の影を振り払うことは能わず、今や完全な死がこの店に訪れようとしている。そう思うと胸が締め付けられるような気がして、私はこの店の記憶を保つために何かを買わねばならないと決意した。

 本は一度読めば二度と読み返さない。よしんばいずれ読み返すとしても、普段は部屋を埋める蔵書の中で迷子になっているだろう。それではこの店の記憶も、本の内容の記憶と共に次第に薄れていってしまう気がした。やはり生活の中で手に触れるもの、目に映るものが相応しい。それは何かしらの文房具、あるいは道具に外ならない。

 筆記具はどのような形であれ、いずれ書けなくなってしまう。そうすれば廃棄せざるを得なくなる。ノートもスケッチブックも、いずれ一杯になってしまうだろう。見返さないものでは、記憶を保っておける自信がなかった。

 私は困ってしまった。絵や作曲などの創作活動をほぼデジタル環境に移行してしまった今、紙とペンという原始的な道具で何かを行う機会は激減している。それに、今現在私は無職である。残念ながらあまり高いものも買うことは出来ない。

 私はぐるぐると文房具売り場を歩き回り、児童文具のコーナーで乱雑に置かれていた1本150円のピンセットを先直、先曲の2本掴んだ。これも長らく売れていないと見えて、包みにはうっすら埃が被っていたし、そもそもピンセットそのものの在庫が3本しかなかった。

 ピンセットは前々から、ビスを磨いたりするなどの細かい作業のために欲しいと思っていた。ギターを弾いたり修理したりしている限り、この作業は定期的に発生する。今のこの店において、これ以外の選択肢は存在し得なかった。残念ながら、私は種々の文房具と触れあう時期を既に過ぎてしまっている。その事実もまた私を悲しくさせた。私はレジに向かい、律儀に3割引になっている代金を支払って、店を後にした。

 そして今、私の目の前には2本のピンセットが包みも破られないまま転がっている。チープなフィルムにチープな2色刷で書かれた「高級ピンセット」の文字が子供だましじみていて、あの店のどこか垢抜けない、おおらかな雰囲気をそのまま形にしたかのようだ。

 私は次回ビスを磨く必要が生まれるまで、この包みは破らないでおこうと決めた。記憶にはそれを思い出すためのトリガーが必要だ。些細なものでもトリガーとなり得るものを手元に置いておかねば、記憶を思い出すことはなくなり、いずれその存在は完全に忘却され、この世から消えることになる。

 人間は忘れる生き物だ。それと同時に、思い出すことが出来る生き物でもあると思う。そのためにはトリガーがいるのである。人間があの世に持って行けるのは記憶だけだ、と言ってものを処分したがる人がいるが、それは違う。記憶をあの世に持っていくために、我々にはものが必要なのである。

 今後ビスを磨く度に、きっと私はあの書店のことを思い出すのだろう。

2022年7月8日金曜日

打鍵する人間愛の天然無能

(これははてなブログからの引っ越し記事です)

 大変なのである。

 何が大変なのかというとこれである。

AIのべりすと 

 耳の早い諸兄らは既に知っているだろうが、これは極めて高いレベルで日本語を出力する人工知能である。重苦しい私小説やインターネットが無限のフロンティアだった頃の雑文、果ては昭和軽薄体まで何でもござれのハイスペックで、何回か使ってみた限り、数百文字程度の短文では殆ど破綻しない。お前は重松清か!と言いたくなる。

 これは恐ろしいことである。私は先だってこんなことを書いていた。

代筆といえば、私の文章は一見、流行りの人工知能というものにも執筆できそうであるが、私という天然無能の思考回路を再現するのは逆に難しいはずだ。人工知能というのは、シェイクスピアやダンテやトルストイや谷崎潤一郎などのきら星の如き作家達を読んで文章を学ぶのだから、筒井康隆やしりあがり寿や夢野久作を読んだ上でエログロナンセンス以外を出力している私の文章に近づくことすら出来ないだろう。
打鍵するチンパンジーの人工知能 - 雑記日記 分店

 なーにが近づくことすら出来ないだ。

 まあ、論より証拠である。先日書いた雑文(本の回虫 - 雑記日記 分店)の冒頭2行のみを入力して続きを書かせてみたのがこちらだ。うっかりブラウザで出力してしまったので非常に画角がアレゲなことになっているが、目をこらして読んでもらいたい。

 ……どうだろうか。私がまず驚いたのは、人工知能の頭の良さである。"つまり私の労働意欲は空転しっぱなしなのである"というくだりなど、最高にデカダンがキマっており、しびれる。似たような文章は乱歩か太宰か芥川だったかで読んだ記憶があるが、この際そんなことはどうでもよい。

 加えて、この出力された文章をよく読んでみると、「分かりきったことを持って回って説明するように書く」という私の雑文の癖がしっかり転写されている。たった2行からこの癖が転写されるのだからすごい。

 ちなみに、私の説明がくどくなるのは大抵冗談を言っているときである。金魚の糞のようにキレの悪い冗談を延々言うので、飲み会では煙たがられておる。かなり盛り上がっている飲み会の席上、冗談を他の参加者に「もういいから」と懇願されて中断した経験のある者がどれほどいようか。

 私も私で、クソのキレが悪いことを「切れないナイフで四肢を切断するようなジョーク」と自嘲のふりをして気取ったりするのでタチが悪いのである。だいたい、切れないナイフで四肢を切断するという描写そのものが人を選ぶ。なるほどと膝を打ってくれるのは、殆どが『SAW』シリーズを全編見たとかいう異常者のみだ。私はやや意外にも異常者の類いは得意ではないので、彼らと仲良く語らうことは出来ればご遠慮願いたいところではある。

 しかし、すごい時代になったものだ。そのうち、人間に許されるのは人工知能の良き編集者たり得ることだけになるだろう。おっそろしいねえ。やはり人工知能が天下を取る前に、我々はBMWで公衆便所に突っ込んでおくべきなのだ。……分からない人はもう結構!

 その一方で、この人工知能の弱点というのも少し見えてきた。この人工知能、常体・敬体の違いを判別して地の文の運びをどこに着地するか見極めているような雰囲気があるのだが、それ故に私小説の如き重苦しい文体で始まった文を笑い話に着地させられないのである。これは面白い発見だった。

 諸兄らのうちにも異論はあろうが、私の雑文は基本的に常体で書かれており、扱っているものはユーモアとナンセンス(あるいはホラー)である。これは某かの作家を参考にしたとかいうことではなく、かつての"雑文書き"達がみな常体で文章を書いていたことと、私がナンセンスを扱う以外に作文法を知らないからである。

 ではいつからナンセンス以外書けないのか?というと小学生時分からで、卒業文集に載せる作文を全編会話文で書いて提出し、こっぴどく叱られたことがある。当時の私はご多分に漏れずスレたガキであり、小学校を卒業する程度のことに何の感慨も持てなかったため、奇行に走ったのである。それに加えて既に希死念慮というか頽廃的自我が芽生えており、「将来の夢」というテーマのスピーチで大真面目に「世界の終焉の可能性」と「そのような時代に何かを期待することの空しさ」を語り、聴衆の父兄らを絶句させたこともあった。書いていて恥ずかしくなってきたな。

 実際のところ、ここ十数年の間、世界は終末時計の針を押しとどめることに必死であるのだから、将来に何かを期待することが間違っているのは自明である。自明であるが、そんなことを小学生の口から聞かされたくはないと思う。私自身ですらそう思う。

 人は誰しも、必死で見て見ぬふりをしているものというのがある。私の場合は履歴書の空白だが、健全なホモサピエンスにとっては社会、ひいては世界の崩壊こそ直視したくないものだろう。その前提が分かっておらず、また手心を加えることもしなかったのだから、私は幼かった。今となってはリカちゃんのお靴並みに苦い思い出である。

 そもそもの話、作文という課題は元々表現力を必要とされていない。既に起こったことに対して、自分がその時何を思ったかを書けばいいのである。そこに筆者の葛藤や人生観、読者へのサービスなどが介在する必要は全くない。どんなに作文が苦手なお子様も、数種類の例文から選択して巧く繋げば、そこそこの作文が書けてしまうのだ。

 これに対して常々考えていたのだが、どうも私という人間は空っぽ、がらんどうであるようで、何もかもが私を素通りしていってしまうのである。

 自分という器の中に信条だとか美学だとか、何かそういった筋や梁のようなものが通っていれば、外部から入ってくる物事はそれにぶつかったり引っかかったりもするし、それらを消化すれば何かを思うこともあるだろう。

 ところが私には信条や美学といった骨組みが一切なく、「まあ、そういうこともあらぁな」という諦観に似た自若さだけが横たわっていたため、消化すべき引っかかりも起こらず、結果として感情が浮かばなかったのである。よく言えば泰然、悪く言えばでくのぼうである。私は小さい頃から本の虫だったので、覚えた感情を説明しうる語彙が足りなかったという訳ではない。説明するべき感情が起こらなかったのだ。

 そんな奴には「何を思ったか」だけを問う作文という課題は酷である。当然だが、何も思っていないのだから何も書けない。ない袖は振れぬのだ。心はいつもノースリーブである。見苦しいほどノースリーブである。まだしもランニングのほうが露骨なぶん見られる。ノースリーブの中途半端さが人は恥ずかしいのである。冗談はさておき、私はそのために作話を覚えた部分がある。苦し紛れに嘘をついてばかりの人生であるな。

 よって、時たま何かの事象ではなく自分自身について書けと言われると、如何せん自分の中にちゃんと横たわっているのが諦観のみであるが故に、先に書いたようなエスカタロジストはだしの文言をぶち上げてしまったりしていたのだ。はっきり言えば異常である。

 ……あまり育ちのせいにしてばかりいると夢枕に祖父と茨木のり子と泉谷しげるが立ちそうなのでこのくらいにするが、つまるところ私がナンセンス以外書けないのは、他に何も語るべきことがないからである。幸いにして、ナンセンスの名の下には、私のようなピンポン球の如き存在も何かを語ることを許されるのだ。

 実際のところ、ナンセンス以外を語ろうとすると、いつか馬脚を現すのではないかと思って不安で仕方がない。私が他に語れるものといったら希死念慮と仙台で買うキャベツのまずさくらいのもんであるが、そのどちらもあまり人に聞かせるべきものでもないので自重している。それにしてもまずいったらないんだよ、仙台のキャベツ……おっと。

 つまり、私がここでナンセンスを語るのは、消去法によるものとはいえ大いなるサービス精神と人間愛の表れであり、天よりも広く海よりも深い私の心だからこそなせる術である事を強調しておきたい。分かったら、諸兄らは「ここで笑って欲しいんだろうな」という部分を察知した場合すぐさま笑うべきである。笑えって言ってんだよこの野郎ッ。

 更にはフォントカラーやボールドを極力使わないのも人間愛である。なかなか更新しないのも人間愛である。更新したらしたで冗長な文を書くのも人間愛である。そう考えると、私とは何もかもが人間愛で出来ている。そろそろこの暴走する人間愛を少しでも昇華するために、南米あたりに土地を買って、諸兄らと集団移住して町を作るべきかも知れぬ。王様は僕だ、家来は君だ。

 諸兄らも気付いているだろうが、人間愛とはつまるところ、厭世のなせる業なのだよ。