2022年12月27日火曜日

"ガイジン"サイズのギターで

 実のところを言えば、ここもほんの繋ぎ程度にしか考えていないのである。

「雑記日記」がこの世に出現したのは、2年ほど前の11月のことである。あまりにも唐突な始まりで、その出だしから、私自身は唐突な始まりというものが好きではないこと、しかしながらそうでもしなければド大層な能書きを垂れ流し、勝手にハードルを上げ過ぎて日記というものを次第に書けなくなるのではないかということを書いている。 

 実際には日記の記録はそれなりに続いた後で長い休止期間があり、迷走期を経た後このような体系にまとまった。その後1年ほどははてなブログで愚にもつかない雑文をコンテンツとして出力し続けてきたのだが、今年の(おそらく)12月初旬頃から、モバイルブラウザで閲覧した場合、はてなが文中に勝手に広告を貼るようになってしまったことに気付いたため、怒髪天を衝いた私は、一部の記事や再現の難しい記事を除いた雑文にカテゴライズ可能な記事をこちらに(手作業で)ベタ移植した次第である。

 そもそも、我々はただ何も考えず文章を書いているわけではない。与えられたお題から小咄を生成する人工知能とは違うのである。言葉選びのひとつひとつ、漢字の開く開かないにも、程度の濃淡こそあれ、我々のアティテュードというものは反影されている。それは勿論改行、改段落にも及ぶ。勿論、賢明な読者の殆どは広告など固より眼中になく、又はユーザーの知る権利を阻害する広告などはブロックしているものと思うが、勝手に広告を差し挟まれ、予期しない空間を文章中に無理矢理こじ開けられた上に、これをよしとする筆者がどこにいるというのだろうか。

 広告の位置を調整する、ないし一切を排除するために、有料プランを契約するのも馬鹿らしい。これでは敵の術中に嵌まったも同じである。つまるところ、これは我々が今まで出力してきた、またはこれから出力するコンテンツそのものを人質に取った恫喝なのであって、世界がほんの少し愉快な空間になればよい、という慈愛に満ちた無私の奉仕を行う私のような善良なる雑文書きに対する卑劣極まりない行為なのである。

 かような卑々劣々たる行為に、我々が取る対抗手段はいつもひとつである。断固としてテロリストとは交渉しない。はてなよさらば!と椅子を蹴り堂々退場するのだ。

 松岡洋右の如く大見得を切った私がしたことと言えば、後継サービス探しである。往々にして、堂々退場する者は実際には孤立している。今更世界史の例を引くまでもなく、私もきょうび雑文をただ書き連ねるだけのサイトをどこに置くか非常に迷った。

 はてなからの移住先と言えばnoteが一般的だと思うが、私は諸般の事情によりこの運営に対してあまりいい印象を持っておらず、出来れば使いたくはなかった。デザインも非常に「Web2.0が夢の跡」を感じさせる角丸のUIであり、こんにちでは硬派とも言える「本当にテキストだけで構成されたテキストサイト」にはそぐわない。FC2には既にブログを1名義持っており、アカウントを切り替えるのが面倒くさいのでこれは選外である。各種マイクロブログサービスはそもそも長文を書くものではない。有名ブログサービスでありながら触れられていないものがひとつあるが、名前を書くのも億劫なのでそれは諸兄らと私の間の秘密としておこう。

 つまるところ必然的に、ここしか残らなかったのである。実はBloggerにも既にブログを1名義持っていたのだが、他のブログとの切り替えが一瞬で可能である点で他の追随を許さない。はてなブログに比べるとテキスト編集画面で出来ることは限られるし、そもそもデザイン上、長い和文を書くためにも読むためにも作られていないことは明らかではあるが、他を見回してもはてなとBloggerしか手を挙げない状態なのだから選択の余地はない。

 しかし。しかしである。美人は三日で飽きるがブスは三日で慣れる、という本意がどこにあろうときょうび口にするだけでもヒヤヒヤする慣用句があるが、私にはどうもこれが事実だとは思えないのだ。使い勝手の悪いサービスは、三日経ったとて慣れたりはしないのである。私も目の前のブスにかまいもせず、未だ釣り落とした美人のことばかりを考える生活だ。これ以上ブスだの美人だの言うと文脈を読み違えた輩から理不尽に怒られそうなので控えるが、如何せんBloggerの使い勝手は悪い。なまじ本邦の企業が運営する(ほぼ)邦人のためのサービスであったはてなとは違い、こちらには身体に合わない国際規格に無理矢理袖を通しているかのような居心地の悪さがあるのは事実である。

 この居心地の悪さが限界に達した時、私は再び椅子を蹴り、堂々と退場するのだろう。退場した先に安寧がないことは世界史が証明しているが、そもそも我々は流浪の民だったはずである。ひとつどころに定着するから厄介ごとに巻き込まれてしまうのだ。ハンガリーの受難のようであるな。

 ここがほんの腰掛けになるか否かは、私を含めて誰にも分からない。

2022年12月19日月曜日

2分の1忘れちゃってんだ

(これははてなブログからの引っ越し記事です)

 チーズケーキを焼いたのである。

 何を隠そう、私はそこそこ菓子作りが好きなのだ。簡単なケーキや焼き菓子などをちまちまと作っては食べている。これで本当に脇目も振らずハマりこんでしまえば私のクオリティ・オブ・ライフも些か向上するだろうが、それほどドツボにハマるような真似が出来ないからこそ私は未だに無職を続けているのである。尤も、そのようにしてドツボにハマれば私の身体とて(主に横幅が)無事でいられるはずがないので、これくらいでいいという見方も出来るのだが。

 今回焼いたのは、所謂バスク風チーズケーキというやつである。主にフランスとスペインの国境に跨がるバスク地方で作られる、表面をしっかりと焦がしたチーズケーキだ。私が参考にしたレシピには「フランスの伝統菓子」と書かれていたが、バスク地方と呼ばれるエリアはどちらかと言えばスペイン側に偏っており、更にはこのケーキの元祖とされる店はスペインにあるらしく、より厳密に言えばスペイン菓子なのではないかと思うが、この辺りはつつくとろくでもない蛇が飛び出しかねないので、迂闊なことを書く訳にはいかない。私にも失うものというのはあるにはあるのである。

 さて、バスク風チーズケーキの特徴は、何と言ってもその簡素さにある。クリームチーズと砂糖と卵、あとは生クリーム程度しか必要としない。薄力粉やコーンスターチなどの粉類を入れることもあるが、それらを入れたとて片手で足りる構成材料である。

 菓子作りというのは材料の数が少なくなれば少なくなるほど失敗しにくくなる傾向にあり、このバスク風チーズケーキというのもレシピを調べてみると大抵は「簡単!」とか「手軽に!」といったような惹句が並んでいる。それくらい、世間には簡単だと目されているケーキなのである。

 朝早く起き出し、卵と生クリームを常温に戻す。クリームチーズは前日の夜から常温に戻している。ちなみに朝早く起き出して準備をするのは、ケーキを昼前までに焼き上げ、我が家に1台しかないオーブン兼用電子レンジを昼食の準備に使えるようにしておくためである。型などの下準備をして、オーブンの予熱を始める。

 生地の準備は簡単……ではなかった。全卵と卵をすり混ぜ、練って滑らかにしたクリームチーズに混ぜる……混ぜるのだが、このクリームチーズが異様に固かった。とにかく固かったのである。一晩常温に置いておいたとは思えないほどカッチカチである。今回、輸入食品の店でしこたま買い込んだ外国産のクリームチーズを使ったのだが、それがよくなかったのかも知れない。数十秒電子レンジにかけて柔らかくしようかとも思ったが、その頼みの綱の電子レンジは今オーブンとして既に予熱が始まっている。

 泡立て器では埒が明かず、私はゴムべらを手に取った。細い金属で出来た泡立て器より、鉄心の入っているゴムべらの方がまだしも馬力があると踏んだのだ。ゴムべらで切り混ぜ、押し潰すようにしてなんとかクリームチーズを練り混ぜようとするが、クリームチーズはボロボロと細かくなるだけで一向に滑らかになってくれない。

 私は泣きそうになった。少々水気を与えた方が滑らかになるかと思い、卵液を少しだけ入れて混ぜてみたが、混ぜれども混ぜれども完全に分離している。卵液の海に細かなクリームチーズの島が無数に浮いていた。傍らにはクリームチーズの大陸が控えている。手軽で簡単とは何だったのか。

 泡立て器でも駄目、ゴムべらでも駄目、となると、もう私の貧弱な経験と発想から導き出される結論はただひとつである。文明の利器を使うのだ。

 私は電動ハンドミキサーを手に取った。諸兄らは何故最初からそれを使わなかったのかと非難するだろうが、この電動ハンドミキサーは私の祖母の代から使われており、軽く勤続30年を数える大ベテラン選手である。よってあちこちにへたりが来ており、固くて重たいクリームチーズを練り混ぜるのには荷が勝るのだ。当面の間買い換えをするつもりもないため、私の腕っ節でどうにかなる作業であればあまり使いたくはなかったのである。なにせ卵白を泡立ててメレンゲを作る程度の作業でも、周囲にはモーターの焼ける臭いが漂うのだ。

 スイッチを入れると、ハンドミキサーは猛獣のような唸りを上げてクリームチーズに食ってかかった。痩せても枯れても、腐っても鯛である。あれほど固かったクリームチーズはすぐにバラバラにちぎれ、すり潰され、細かくなっていった。安心した私は他の材料を次々と加え、ついに生地は仕上がった。濡らしたオーブンシートを敷き込んだ型に流し、予熱を終えたオーブンで40分ほど焼き上げる。

 オーブンの扉を閉じて、私は椅子になだれ込んでしまった。菓子作りというのは大抵想定外が起こるものだが、これほど簡単だとされるレシピですら想定外に襲われるとは思わなかった。調理台にはその格闘の跡がそのまま放置されている。焼き上がりを待つ間に片付けもしなければならない。

 しかしまあ、このような固いチーズを、電動ハンドミキサーもない時代から人力で練り混ぜ続けてきたバスク地方の人々は一体どれほど怪力なのだろうか。幼少よりクリームチーズを練り混ぜ続けた結果、彼の地の人々は利き腕だけがムキムキになっていてもおかしくはなかろう。諸兄らも彼の地に旅行する際は気をつけて欲しい。うっかり現地の人々と握手をしようものなら、中手骨を粉砕されかねないのだ。

 ……このようなことを書いていると、また怒られが発生してしまう。ケーキ自体はしっかりと焦げた表面が香ばしく、濃厚な味わいに仕上がった。諸兄らも私なんかに目くじらを立てるのをやめて、このチーズケーキを作ってみて、そのうまさを体感しどうか矛を収めてほしい。もしかすると、諸兄らも菓子作りのドツボにハマるかもしれないしな。もしそうなれば、私はクリームチーズの練りすぎで利き腕だけがシオマネキのように膨れ上がった諸兄らを呼んで、私のクリームチーズを練ってもらうことにしよう。

2022年11月20日日曜日

11月20日

(これははてなブログからの引っ越し記事です)

 11月20日である。

 この日が何の日かというと、そうイタリア王妃マルゲリータ・ディ・サヴォイア=ジェノヴァの誕生日である。ちなみに本邦では、その名を冠した料理であるところのピッツァ・マルゲリータと関連付けてピザの日とされている。

 以上は年に一度あるかないかのこよみ雑学であって、今日はこのページを開設してから2周年の節目である。

 いつの間にやら2周年である。休止期間もあったし、内容や方向性も未だ定まっているとは言いがたい当ページであるが、基本的に私には歳を取った以外の変化がないので驚く。

 驚いてばかりもいられないが、実際のところそうなのだから仕方あるまい。当初は純然たる日記としてスタートしたこのページは、運営者たる私が勝手にコンテンツの存在価値に悩み、記事の完成度というハードルを上げたせいで見事に機能不全に陥った。

 何しろ無職の生活は本当に変化というものがない。感情の些末な機微は勿論あるが、無視できるレベルの大きさでしかあり得ない。なので、そんな人間が日記を書いたところで「くそしてねた」以上のものにはなり得ないのである。当たり前の話だ。

 そして以前書いたように、私は特に何も考えることなく日々を生きている。何も考えていないのだから何も書くことがない。これまた当たり前の話である。ない袖は振れぬ。心は今もノースリーブである。

 私は殊勝にもそれではだめだと考えたのだから、インターネットの末席を汚す者としての、その気高さにも似たストーリーテラー的自己認識に一片も疑いの余地がないことは、諸兄らにもお分かりいただけると思う。

 私という店子は、大家たるインターネットにコンテンツを提供することで住所を保てるのである。その代わり、インターネットは店子のことには知らぬ存ぜぬを突き通して極力触れぬし、私とて時には大家の悪口を吹聴する。そこに賃貸契約以外のいかなる関係もない。それが理にかなった陣地確保の仕方である。英国王室とロンドン市民の関係のようなものだ。

 すなわちインターネットにコンテンツを提供出来なければ、我々に与えられる陣地は極小となる。ラッシュアワーの電車よりも酷い。この契約を履行する限り、少々のデメリットがあるのも致し方ないことである。何も大家は、ご近所さん達と仲良く付き合えと強制しているわけではないのだ。気が付けばそこら中の押し入れや床下から知らぬ顔が次々と我が物顔で這い出してくる、『椿三十郎』のワンシーンのような事態になりかねない。

 さて話を元に戻すと、私の高邁な理想を現実のものとする上での問題は、いざひとかどのコンテンツたり得ようとしてみると、あまりに割かねばならないリソースが多かったことである。

 諸兄らも存じているだろうが、一度はギターいじりをコンテンツ化しようとしたことがある。

 言うまでもないことだが、ギターをいじるためには元手がいる。パーツだって買えば高い。ネジが10本で1000円ほどもする狂気の世界である。まあ、ネジくらいならそこらのホームセンターを根気よく探せば同等品が(1/10ほどの値段で)買えてしまうが、ブリッジやピックアップなどのハードウェアではそうはいかない。

 それに、きちんと記事にするためには作業の前後や経過などの写真が不可欠である。このブログサービスにもデータの上限というものが存在する以上、あまりバカ丁寧に写真を添えることも出来ない。いちいち見苦しいものや諸般の事情でお見せできないものを画角から外して撮影することも手間である。そんなセッティングをしている時間があるなら、さっさと作業を終えてしまいたいのが人情というものだ。

 分かりやすい写真やキャプションのことを考えるあまり、手元がおろそかになり作業途中にギターに傷をつけたので、私はこれをコンテンツ化することを見限った。だいたい、本職のリペアマンでもない人物(一応専門教育は受けているが)が行ったギターの改造記録など、誰が読むというのだろう?私以外にそんな奇特な人物がいるとは到底思えない。

 次に私が考えたのは、映画評をコンテンツ化することだった。幸いにして、私の好む映画というのは限局されており、かつニッチである。名作と呼ばれる映画を網羅的に観ていなくても、ニッチなジャンルばかりを挙げ連ねておけば、あとは量を書きさえすればコンテンツたり得るだろうと思ったのだ。

 しかしながら、いざ映画評を書いてみると、これがなかなか難しいのである。簡易的に映画のあらすじとツッコミどころを併記した文章では、ほどよく軽妙に書けても字数が稼げない。映画の時系列に沿って丹念にツッコミどころや解説を書くと、これはもう完全にネタバレであるし、第一冗長である。

 字数が多ければいいとか、ネタバレにはあくまで配慮すべきとか、そういうことは私自身は全く考えたことはないのだが、このふたつはインターネット上のコンテンツにおいて試金石のような扱いを受けているファクターであるので、一応考慮に入れざるを得ない。マスに受けたければマスと同じ感性を持て、とはかの藤子・F・不二雄御大の言である。

 実際のところ私自身は、映画評というのは短かろうと長かろうと、ネタバレを含もうと含まざると、本当ならば読んでいて面白いのが一番いいというスタンスであるが、インターネットに渡すショバ代としてのコンテンツたり得るためには、そう表立ってマスのことを蔑ろには出来ないものだ。私の一存で、読んでいて面白いのが一番、といったある種の売り上げ至上主義に走ってしまうのも、映画そのものに誠実ではない気がしてきた――というか、インターネットにそう突っ込まれても何ら反論できないな、と思った――のもある。

 また、映画評を書いてそれなりに話題性を持たせるためには、新作映画の批評なども行う必要がある。私は過去一度だけそれをやったが、これはかなり散々な経験となった。

 何しろ、きょうび映画館というのはどこにでもかしこにでもあるものではない。封切り館となれば尚更である。本邦の一般的な諸都市においては、都心部のミニシアターか、かなり郊外に位置するシネコン以外に選択肢がないというのもザラだろう。私の住む町も例外ではなく、私はバスと電車とまたバスを乗り継いでこの近辺では1軒だけになったシネコンに向かい、満額料金で映画を1本観る羽目になったのである。

 その結果、私は帰りの運賃を除けば素寒貧、全くのオケラと化し、飲み物やスナックすら買うことが出来ず、映画評を書くための手がかりになるパンフレットも買えないために、上映時間中瞬きすら惜しむようにして映画の1分1秒を記憶することに努める羽目になった。

 今思えば鑑賞中にメモくらい取れば良かったのかも知れないが、いくらスクリーンの光があるとはいえ暗い中で取ったメモが後から読めるとは限らず、携帯などを開くのは無論マナー違反になるため、こうするより他になかったのである。

 これはかなりつらい経験だった。言ってしまえば貶すためだけに観ている映画のために私は数千円を失い、書いた映画評は8400字以上の冗長記事になって、そしてそれほどの話題性はなかった(尤も、このページのコンテンツの中では有意にアクセス数が多い記事ではある)。

 私はこの映画評を書いた後で自問した。映画館に払う金というのは、その殆どが「映画館で映画を観る」という体験に対する対価ではないのか。2時間の上映中、飲み物もなく、帰ってからどんな風に感想をまとめるかだけを必死に考えながら、帰りのバスの時間に尻を焦がされながら観ている映画は、体験としてはあまりに貧しいものではなかったか。

 そもそもの話、私はあまり封切り映画に興味はない。私が好むタイプの映画というのは近年公開数が減ってきており、ビデオスルーになることのほうが多いのが実情だ。それに封切り映画の批評を書いてもそれほど話題性がないなら、尚更興味を持つ意味が薄いのである。近年の邦画には観るべきものは全くなく、私の住む田舎の町で上映されるような洋画も、ガキ好みのケレンをCGでベタベタに塗り固めただけの同工異曲に過ぎない。

 封切り映画に払う数千円があれば、近所のレンタルビデオ店で旧作を数十本借りられるのである。得るべき体験をスポイルしながら封切り映画を観るよりも、かつての話題作や映画史に残る名作、ビデオ直行便になったへなちょこ映画を好きなだけ繰り返し観られるほうがよっぽど有意義だと思うのは、私の心根が賤しいからばかりではあるまい。

 こうして限られた資金を有意義に使うべく、私の映画評は旧作に偏ることになったわけだが、今度は再びコンテンツとしての存在意義に疑問符がつくことになった。

 映画評は、それが新作だから意味をなす側面が少なからずある。批評や感想を数本読んでから、その映画を観るかどうか決める、という人も決して少なくはないはずだ。ましてや1本観るごとに数千円が飛ぶのなら尚更である。私だって出来ればそうしたい。

 対して、旧作の映画を借りる前に批評を読む、という人は殆どいないだろう。たかだかほんの数百円で借りられるのだから、映画評を読んで意志決定をするより先にいっそ観てしまったほうがよい。旧作映画を観る前に批評を読むような人は、おそらくその映画をあえて観たりはしない。

 つまるところ、旧作の映画評には「同じ映画を観た人が何を思ったかを知りたい」という下世話な野次馬根性的需要しかないのであって、その分インターネット事故のリスクが大きいのである。

 人は理不尽にも、自分と違う感想や解釈を目の当たりにすると、得てして腹が立つものだ。自分から探して読んでおいて「それは違う」と吹っ掛けてくるとは随分と虫のいい話もあったもんだが、実際のところ我々はインターネットにショバ代を払っているという意味で同類であるので、その辺りに拡張した自意識の履き違いがあるのも、致し方ないことである。

 先に書いたように、映画評を1本書くのもなかなかどうして難しい。ともすれば電子の海の彼方から、履き違えた自意識という浮遊機雷や誘導魚雷が流れ着かないとも限らない。かといって「どうせこれを読むのはこの映画を観た奴だろうから……」という姿勢を見せることは、私としては少し抵抗がある。事実上内輪ノリで回っているこのページに、別種とはいえ更なる内輪ノリを追加して内輪ノリの濃度を上げるのは心苦しいのだ。インターネットが明るく清潔なものへと変貌しようとしている今、内輪ノリは石持て追われる存在である。望むと望まざるとに関わらず、教条主義の潔癖症は世界を席巻しつつあるのだ。

 ギターいじりも駄目、映画評も駄目、そこで私が思いついたのは、かつてのインターネットにいた雑文書き達をリスペクトし、時に拡張した自意識として自虐を入れながら、愚にもつかない雑文を書き連ねることであった。どのみち話題性が確保出来ないなら、私の生活の上で発生する些細な感情の機微を多少針小棒大に書いても誰も困りはしまい。この過程は最初の雑文に書いたので、今更長々と語ることはしない。

 実はこのような更新形態に着地したのは今年の4月のことなので、本当の意味ではまだ1周年すら迎えていないのだが、はてなのダッシュボードを開いて開設年月日が目に入ってしまったのが運の尽き。私は何か書こうと思い立ってしまった。そのためにこよみ雑学も仕入れてしまったのだ。よって、今日の私は冒頭のこよみ雑学を披露した時点でかなり満足してしまっている。

 本来であれば、日付に執着せずとも人間は生きていける。少なくとも私はそうだ。日々更新される生活のタスクの前では日付など無意味である。ましてや根拠の薄弱な占星術や六曜を意識することなど不要なのだ。生活は続くのである。逃げても逃げても、朝はこの窓にやってくるのである。親兄弟の誕生日すら覚えていないのも、そういう理由だということにしておこう。実を言えば自分の誕生日すら危うい。

 しかしながら、日付に執着するのがマスの行いというものである。繰り返すが、インターネットにショバ代を納める以上、マスの行いを通り一遍はなぞっておくべきだ。いくら社会不適合者とはいえ、別に好き好んで社会から落伍しているわけではない。勿論マスに受けたいと思っているのではないが、マスから排斥されたくもないのである。そうでなければ長々と5000字以上もぶち上げた意味がない。

 そんなわけで、3年目はこの殆どが蛇足で構成された冗長記事で幕を開けることになる。願わくば、3周年も無益に浪費したいものであるな。

2022年11月15日火曜日

石橋を渡る冒険主義

(これははてなブログからの引っ越し記事です)

 基本に立ち返る。いい言葉である。

 我々はついつい基本をおろそかにして、痛い目に遭うのである。いわんや、私や諸兄らという荒涼たる砂漠の上に何かしらを立てようと思うのであれば、真っ先にやるべきことは基礎固めだ。エジプトはギザの大ピラミッドもサハラ砂漠の砂の上に鎮座しているわけではなく、元々あった岩盤をある程度整地し、その上に切り出した岩のブロックを積み上げて建築されていることが分かっている。

 つまり何が言いたいかというと、基礎をしっかりと固めた面積と、その上に積み上げられる事物の高さとは、概ね正比例するのである。高みを目指すなら、まずやるべきはしっかりと基礎を固めることなのだ。諸兄らもマインクラフトで無益に山をひとつ切り崩し、だだっ広い平地を作ったりしているだろう。同じことである。

 尤も、イマジネーションとクリエイティビティに難がある私や諸兄らのことであるので、平地に立ち並ぶのは極めて無個性なお豆腐建築ばかりであり、地方都市のベッドタウンのような有様になるのが関の山だ。そのうち、住処の山を追われたひつじさんやぶたさんやおおかみさんが化けてプレイヤーに復讐を仕掛けるであろう。

 令和中立mob合戦の様相を呈するゲームの話はさておき、我々は基礎・基本の大切さを勿論頭では理解しているというのに、それでも失敗するのだから始末に負えない。人生というクソゲーが所謂オワタ式になって久しい昨今、誰しもが失敗することに対しピリピリしているのにも関わらずである。

 さて、私は先日、かなり久しぶりに、車で自分ひとりのためだけに用事を足しに行ったのだった。具体的には古道具屋巡りである。古道具屋で自分の趣味やニーズに合致するものを探し当てた時の喜びはなかなか他では得がたい体験であり、往々にして節約にもなるので、私は時折このように古道具屋を巡らねばどうしようもなくなる程度には、古道具屋を覗くことを好む。

 古道具屋や中古楽器店をはしごしながら私が住んでいる町の反対側までやって来たところで、時計は午後1時を打っていた。そろそろ昼食を摂っておかないと、その後の予定に差し支える。というわけで私はラーメン屋に入ったのであった。

 それは近頃私の住む町にも勢力を拡大しつつある、所謂横浜家系と呼ばれる類いのラーメン屋だった。私が仙台で学生をやっていた頃、学校の近所に(やや特殊ではあったが)家系の系列に連なる類いのラーメン屋があり、そこに足繁く通っていたため勝手が分かっているというのも選択の決め手であった。私ほど堂に入った社会不適合者は、食券制の店でなければ安心して好きなものを注文することも出来ないのである。

 なお、例え食券制の店であっても、私が短いインターバルでやって来ては判で押したように毎度同じものを注文するために顔を覚えられてしまい、食券を出すより先に店員さんに「あっ、いつものやつですね」などと言われてしまったことがある。その際、私は恥ずかしさのあまりその店に3ヶ月もの間近付けなくなってしまった。これは提言なのだが、飲食店の運営に関わる人はあまり客の顔を覚えない方がいい。覚えていても、それを態度に表さずにいるべきである。さもなくば、太客をみすみす逃すことになるのだ。

 さて、私は食券を買い、席についてそれを店員さんに渡した。お味は?醤油で。濃さは?普通で。麺は?硬めで。うむ、ここまでは完璧な流れである。別段不自然ではない。通い慣れているように見えるとまではいかなくとも、最低限セオリーを知っているように見えるはずだ。しかしながら、私のささやかな「人間に擬態出来ている」という安心は、店員さんの次の一言でぶち壊されてしまった。

 大盛り無料ですが。

 お、お、お、大盛り?見れば壁には「ランチタイム大盛り無料」の文字が。しまった。見逃していた。

 アッ、エット、アノ、ジャア、ソノ、オオモリデオネガイシマス……。

 私は傍目にも哀れなほど動転していたと思う。いつものようにヘリウムガスを飲んだバルタン星人のような声になりながらやっとの思いで答え、私は深々と椅子に沈み込んだ。

 全く、私という輩はどうしてこうも想定外に弱いのだろう。何かあればすぐに鍍金が剥げてしまう。安ギターのパーツくらいすぐ鍍金が剥げる。どうしてラーメンの大盛りくらいスパッと頼めないのだろうか。ああ、井之頭五郎になりたい。出先で見つけた店に何の躊躇もなくガラリと入店し、好きなものを好きなように食べ、時にはぼやきながら、またある時には店主にアームロックをかけながら、昼間から銀座で寿司を食える生活を、そしてそれを是と出来る強さを持ちたい。

 私が私の生まれ出づる悩みについて煩悶していると、果たしてラーメンがやって来た。家系らしくこってりとしたスープに、太い麺が浮いている……否、それは浮いているのではなかった。麺はそのあまりの量にスープに沈みきれず、表層でとぐろを巻いていたのである。その異常な量こそが、この店の「大盛り」であった。

 昼時もやや過ぎ、腹はそれなりに減っていたとはいえ、これは今日の昼食に割り振られたキャパシティより明らかに多い。私は私の穀潰し度合いに関してはそれなりに自信を持っているが、うっかりサイドメニューのミニチャーシュー丼も注文してしまっていた。そして今私の目の前にあるのが、大量の麺と米というわけである。

 私は仕方なく、胃の容量を気にしながら、あるいは食べきれなかった場合どうなるかを想像して震えながら、その大量の麺と米を消費した。結論から言えばなんとか完食出来たのだが、スープにはほぼ手をつけられなかったし、食べ放題の米をもらうことなど出来るはずがなかった。私は頭が少しでも下を向いてしまえば吐きそうになるのをこらえながら店を後にした。完全に食べ過ぎである。

 初めて入る店だったのだから、冒険は禁物であった。注文時に流されず、「並盛りで」と言っておけば、勿論食べ過ぎることはなかったのである。しかしながら、私は別に冒険主義にかぶれたのではない。パニックになったのだ。パニックになって、愚かにも自ら墓穴をせっせと掘ったのである。

 私は失敗した。「初めて入る店では冒険しない」という基本中の基本をおろそかにしたためである。しかしながら、気が動転した状態で正しい選択を行える人が、一体この世にどれほどいるというのだろう。そこには確率論以上のものは横たわっていないのではないだろうか。確かに、二択問題を外すのは却って難しかろう。世の中の大抵の決断といのは、二択ではないから難しいのだ。だからといって、二択を当てるのが簡単だということにはなるまい。確率で言えば五分と五分であるのだ。

 ……かように「普通の人間はラーメン屋の注文ひとつでパニックになったりはしない」という大前提を無視したままごちゃごちゃと屁理屈をこねる私は、今後も洒落にならない失敗を犯し続けるのだろう。全くおかしくなっちゃいそうであるな。

 今後もし私のインターネット上のアクティビティが急に途絶えるようなことがあった時は、諸兄らは「ああ、フェータルな失敗を犯して東京湾にでも沈められたんだな」と理解していただければ概ね実態と相違ないものと思う。その際は私こと、哀れで愚かな鍍金細工のバルタン星人のことを思い出して、ちょっと涙してくれてもバチは当たらないのではないか。

2022年11月2日水曜日

汝深淵を覗く者は

(これははてなブログからの引っ越し記事です)

 この度、私は生まれて初めて「金縛り」というものを経験したのである。

 金縛りというと、アレである。あの、眠っている内に気付けば体が動かなくなっていて、大抵足元から何かがやって来て足首を掴んだり、大胆にも胸に乗っかったりしてくるアレである。

 私はホラー小説を耽溺しクズホラー映画を愛憎し怪談を蒐集していたりするくせに、基本的には合理主義かつ懐疑主義であるので、そのようなファンタジックな体験談は話半分で聞いている。体が動かせなくなるのは眠りに落ちる時に生じる睡眠麻痺と呼ばれる一過性の生理現象であるし、何かしらがやって来るように思うのは入眠時幻覚と呼ばれる非常にリアルな夢である。科学である程度確かめられている現象として解釈出来ることを、わざわざウルトラCの理屈をこね回し、先祖だの水子だの地縛霊だのなんだのを引き合いに出して原因を探る意味などないのだ。

 と、ここまでは私の乏しくもゼロではない理性の上での話である。

 よく言われるように、理性と感情は別物であり、しかしながら矛盾もすれば両立もする。その線引きはファジーでまだらであり、何もかもきっぱりと白黒つけられる人間など存在し得ない。私も合理主義を標榜しておきながら、実際のところ、金縛りにかかっている内に覚えた感情として最も適切な表現は「恐怖」であった。

 その日、私は夜半を待たずに寝落ちしたのである。部屋の明かりは煌々と点いたままだったし、窓にカーテンすら引いていなかった。やっと尿意を覚えて起き上がったのが朝5時前だったと記憶している。

 当日は通院の予定があったとはいえ、いくらなんでも5時起きは早すぎる。ゆっくりと風呂に浸かってもまだ時間が余る。だいたい、ゆっくり入浴した後で病院に向かいたい人などいるだろうか。いやおるまい。そうなってしまえば、快適な気温の部屋で足を投げ出してのんびりしたいのが人間のサガである。ついでにアイスクリームなども欲しいところだ。いよいよ通院どころの騒ぎではない。

 トイレに行って部屋に戻ってきた私が選んだのは、無論二度寝であった。目覚まし時計は最初から余裕を見た時刻にセットしてある。

 そもそも私は目覚ましをセットした時刻の1時間ほど前には必ず目が覚めてしまう損な性分なのだが、そこで目覚まし時計を切り二度寝すると絶対に予定の時刻には起きられないので因果な話である。短い社会人生活を送っていた頃から、呆れるほどの正確さを以て、私の睡眠時間は1時間ずつ削られ続けてきたのだ。この場合もおそらくそうなるだろう、と思った私は、目覚ましを1時間遅くした。どうせ予約診療ではないのだ。1時間くらい遅れても何ら問題ない。

 カーテンを引き、布団に潜り込んで明かりを消す。こういう時ほど、遮光カーテンのありがたみを痛感することはない。さっと引くだけで擬似的な夜を作り出せる。私のような無職が、惰眠を貪るのが趣味になるのも無理もない話だろう。

 布団はまだ熱を帯びており、もう朝晩はかなり冷え込むトイレや廊下から戻ってきた私には少し温かすぎた。その中でしばらく右に左に寝返りを打っていたのだが、いよいよ耐えきれなくなって、左半身を下にした状態で左足を曲げ、足の裏を布団から出したその瞬間だった。

 何か甲高い金属音のような音が聞こえたかと思うと、私の体は一切の自由を失った。布団から飛び出した左足の裏だけが涼しい。恥ずかしながら、私が最初に疑ったのは脳梗塞など、そういう類いの疾患である。どうせ日頃の不養生が祟ったのだ。ああ、なんて呆気ない――。

 私はそう遠からぬうちに降りてくるはずの死の帳を待ったが、一向にそれはやってこなかった。代わりに意識だけが鋭敏になっていくのが分かる。体勢上、目を開いたとして見えるものはベッドの左隣に隣接する壁だけであるはずなのだが、果たして私の意識は、ベッドの下からぬぅっと首を伸ばし、布団から突き出た私の左足を凝視する、真っ黒でつるりとした頭の存在を知覚した。

 私はそれを、黒く塗られたプラスチックスプーンのようだ、と思った。諸兄らも、模型趣味の人が塗料の試し塗りとして、プラスチックスプーンの背に塗装しているのを見たことはないだろうか?ああやって黒く塗られたスプーンのようにのっぺらぼうの頭が、ベッドの下から伸びているのである。それが、私の左足のすぐ隣にあるのだ。

 私は左足を引っ込めようと躍起になったが、体はちっとも言うことを聞かない。この段に至って初めて、私はこれが所謂「金縛り」という現象であることに思い至った。

 ほぉー、これがあの金縛りというやつか。本当に体が動かせなくなるんだな。私の眠りに落ちかけていた理性が「金縛り」という単語に反応してモソモソと動き出し、寝ぼけ眼でそんなのんきなことを抜かしている一方で、感情は理性の肩をガクガク揺さぶりながら出川哲朗ばりに「ヤバいよヤバいよ」と繰り返していた。何がヤバいのかといえば、勿論私の左足の裏を凝視する黒い存在である。見ていないのに存在が分かる。悪意を左足の裏で感じる。早く足を布団の中に引き戻さなくてはならないのだ。

 感情は矢継ぎ早にそれらのことを口にする。起き抜けの理性は頭をグワングワン揺らされて若干気持ち悪くなっているので、それらに合理的な反論をする余地がない。下手に口を開けば舌を噛みそうなのだ。その間にも感情はヒートアップしていく。

 いよいよ黒い存在はその頭を垂れて、私の足の裏を舐め回さん勢いである。感情は恐怖のあまり卒倒した。すると、肩を掴んだ腕から解放された理性が、やっとものを言えるようになったのである。理性は一通り、私が上述したようなことを述べた。

 私の体は動き出した。頭は鮮明な夢を見た直後の、実記憶と夢の記憶が渾然となっている状態に近い。左足を布団に引っ込め、寝返りを打って足元を見たが、黒いスプーンは勿論その存在の痕跡すらもない。

 感情も落ち着かせることに成功した私は再び布団を肩まで被り、眠りを貪った。私の理性も感情も、この度は静かに眠りに落ちていった。それを叩き壊したのは、目覚まし時計のベルである。私は布団の中から腕を伸ばしてそれを止め、1時間後にセットし直し、三たび寝た。

 私は都合2時間長く寝たことになるが、そのことに気付くのは再び目覚まし時計に叩き起こされ、時刻を確認したときであった。病院は午前の診療時間ギリギリに滑り込みになってしまい、焦りのあまり保険証を提出し忘れ、明細書を受け取らずに帰ろうとし、処方薬の代金を払わずに薬局を出そうになるなど、その日は細かいポカを山ほど積み上げることになってしまった。

 何もかもが、あの黒スプーン野郎のせいである。あのスプーンの他に誰が責められようか。必死に考えても自分の顔しか出てこないので、スプーンのせいにしなければやっていられない。感情がそう訴えている。理性の方は勿論スプーンのせいではないと知っているが、事実を指摘すれば私自身を責めることになるので感情と一緒になってそう訴えている。こうして金縛りは、先祖だの水子だの地縛霊だのスプーンだのといった、大方体験者の幻覚の中にしか存在していない、ある意味で都合の良い存在に罪科を押し付けて人口に膾炙していくのである。

 私は諸兄らに言いたい。そうやって都合よく濡れ衣を着させ続けていると、そのうち本当に呪われてしまいますよと。本邦は言霊の国である。言葉の力は恐ろしいのである。いわんや私や諸兄らが太刀打ち出来るものではない。「存在しないもの」の上にむやみやたらに積み上げられた罪科は、いずれ崩れて我々の上に降り注いでくることだろう。

 人を呪わば穴二つ。その内訳は勿論、私が入る穴と、諸兄らが落ちる穴である。穴の底で、待ってます――。

2022年10月12日水曜日

無敵のギター弾く人(または、腐敗卵)

(これははてなブログからの引っ越し記事です)

 突然だが、私は自分のことをあまり美化しない。

 こう書いてしまうと、諸兄らはきっと首を捻ることだろう。「自分を美化しない」と言い切る手合いは、大抵「自分が定義する自分」と「実像の自分」との間にあるギャップに気付けないほどの大馬鹿野郎であることが殆どだからだ。

 それであれば、いっそ自分を美化しきっている方がよっぽどよい。美化された自分という自己認識があればこそ、人はその姿を保つ、あるいは近付かんとして努力をするのである。そういう一種のノブレス・オブリージュがあってこそ、人は真に社会的存在たり得るのだ。著名人が社会奉仕をするのも、お笑い芸人が何かにつけ苦労話をするのも、インターネット上の漫画絵描きがすぐに「描かないと人権がなくなる」などとほざくのもその一環であり、詰まるところ第三身分、プロレタリア、消費者、底辺、諸兄ら、などと好きな言葉で呼べばよいが、そのようにノブレスではない者は「はっは、抜かしおる」と鼻でもほじりながら肘枕で寝転がっておればよいのである。

 その点、自分を美化しない人間は厄介である。何といっても担保される自己認識がないので、責務もなければ上昇志向もない。いわば無敵の人である。

 このように、私があまりに上昇志向を捨てきっているのは、何度か書いているように大部分は育ちのせいである。

 私は両親や親戚縁者など、本来であれば身近であるはずの大人たちから、努力そのものを褒められた記憶がない。当世風に言えば、褒められが発生するのは常に「成果」があった時だけであり、どれほど努力しても「成果」が伴わなければ必ず怒られが発生していた。更には両親の教育方針として、例え「成果」が伴ったとて、努力に報酬が支払われることはなかったのである。

 一般によく見られる話のように、テストで何点以上取ればお小遣いが貰えるとか、欲しかったものをひとつ買ってもらえるとかいった現物報酬は、規模の大小を問わず、我が家には一切発生していなかった。無論、勉強は小遣いや物欲を満たすためにするものではない。勉強は自分自身のためにすることであって、そこに外的動機付けを必要とするのはおかしな話である。それは全く正論であるし、その厳しくも公正な姿勢を20年弱に亘って貫いた両親の胆力には賞賛を送るものであるが、それはそれとして、一般にガキというものは、そこらの犬畜生よりも堪え性において劣る存在だということを、どうも我が親愛なる両親は知らなかったらしい。

 私は何度となく、ありとあらゆる交渉材料を用いて月々の小遣いアップを目論んだものだが、それらは両親という大蔵省の前では全て蟷螂の斧に過ぎなかった。

 努力しようがしまいが給料が変わらないとなれば、人は一体どのように振る舞うか?勿論、これは歴史が証明していることであるのでここでは子細を述べないが、それと全く同じ現象が我が家でも起こっていた。両親は私が可愛いあまり、私が彼らの子供である以前に人間である事を失念していたのである。

 共産主義はいつだって正しい。間違っているのは常に人間である。だから、人類は共産主義の敵なのである。共産主義の理想に殉じたければ、人類を敵に回して闘争するより他にないのである。かといって共産主義が殉死者に微笑み返してくれることなどない。悲しいなあ。

 さて、以上が今回の枕だが、既に冗長であるし、なんだかひがみっぽい。ちなみに、私が嫌いな言葉は「自己責任」である。言うまでもないが、こちらには常に自己責任からの自己批判からの自己逮捕からの自己刑死をする覚悟があるのだ。そこな並み居る凡骨どもとは気位が違う。共産主義も喜んで私を手駒にすることだろう。

 この度、ずっと以前に作ったギターを押し入れから引っ張り出してきたのだ。

 この雑文置き場でしか私を知らない諸兄ら(などというものが殆ど存在していないのは勿論知っているが、存在していないからといって説明を省けばそれは内輪ネタに伍してしまうのだぞ)には初耳かも知れないが、実は私はエレキギターやエレキベースを一通り製作出来るだけの教育と実習を受けている。それらの内容には大抵のリペア作業も含まれており、自宅にそれが出来るだけの設備や工具を買い集めることをしていたりもする。このギターは、その教育の過程で私が作った十数本の内の1本だ。

 ここで少しシビアな話をすれば、実際のところ、自分で作ったギターが使い物になることはそう多くない。きちんとしたテンプレートと工作機械を使い、規格立てて作業を行える環境であればまだしも、実習の一環なのだから、大体は毎回のように異なった仕様のギターを、基本的な工作機械と手工具で製作することになる。

 ギターというのは事実上精密工芸品であり、その設計も、一部でも仕様が異なれば全体の改設計を余儀なくされる場合もある程度には繊細である。つまり、同じギターという楽器を作っているようでも、要求されるスキルは毎回多少なり異なるのだ。

 これでは、何本何本も全く同じギターを作る、というちょっと現実的でない選択肢以外で、年限の限られた実習期間のうちに技術を習熟することは望めない。また、基本的にたったひとりの手で製作しているため、クオリティの向上にも限度がある。提出の締め切りだって設定されているのだ。勿論、作業自体に得手不得手の濃淡も存在する。

 その結果、大方の場合において出来上がってくるのは、ギターの形をした死んだ木なのである。素材にはきょうび個人で取引することは難しくなってしまった木材なども含まれていたりするのだが、彼らがその本懐を遂げているとは言いがたい。木材マニアが見れば泣いて地団駄を踏み、ついでに馬謖もKILLすることだろう。諸葛亮だって馬謖をKILLするときは半笑いだったと思う。

 しかしながら、本当に時折(工作機械に全面的に頼り製作の手間を極力惜しむという私の巧みな設計手腕によって)、少々まともな出来になるギターがある。それがこのギターだったというわけだ。

 ここは読み飛ばして貰っても構わないが、ちょっとギターに詳しい諸兄らのためプレイアビリティに関わる部分だけ説明してみると、メイプル平行段付き、フェンダーで言うところのCグリップのデタッチャブルネックに9″Rのロングスケール22F指板、フレットはミディアムジャンボでボディ材はマホガニー極薄塗装、ブリッジはハードテイルでPUはハム2発、という完全にヘヴィ系の音楽をやる仕様になっている。

 このギター、提出後の評価も相応にめでたかったと記憶している。実際ボディシェイプやプレイアビリティの高さも気に入っており、機会があればいずれ同じような仕様でもう1本……と思っているギターのうちのひとつだ。

 転居などもありしまい込んでいたのだが、ひょんなことから存在を思い出し、埃と黴にまみれたギターケースの中から引っ張り出したのである。先述のように塗装が薄いため、ギターケースを覆う黴に気付いた時はかなり焦ったが、内側には侵食しておらず一安心であった。ギターケースは無論捨てた。

 さて、いざ調整をして弾いてみると……これが思いの外良くはないのである。弦が死んでいるせいかと思い新しいものに張り替えたが、それでもだめなのである。様々試した結果、これはフレットのすり合わせが必要だという結論に達した。

 フレットのすり合わせという作業がどのようなものかは諸兄らが各位で検索でもしてもらうとして、これはあまり簡単な作業とは言えない。手間もかかるし、やり直しのきかないシビアな作業である。こればかりは経験値がものを言う。

 私にも一応、経験値というものは存在している。この数年、すり合わせを行うための工具や環境も整えてきた。万一やり過ぎてしまっても、フレットを打ち直すことが出来る環境すらある。

 それらを十分に勘案した結果、私は素直に外注することにした。つまり、リペアショップに持ち込むことにしたのである。

 諸兄らは問うだろう。何故己で落とし前をつけぬのかと。それはそれは口汚く罵るのだろうね、この私を。分かってますよ。

 何故自分でやらないかといえば、それはひとえに私が自分のことを美化せぬ無敵の人だからである。私は己の知らざると、足らざるを知っている。具体的には、慎重さと丁寧さと頭の中身が足りていない。うるさいよ。

 勿論、かつてこのギターを作ったのも知らぬ足らぬの私である。更には口も減らぬので三重苦である。さて、物作りなどをする諸兄らにはまだ理解の余地が残されているものと信じるが、物作りの現場において、往々にして最も信用ならぬのは自分自身である。ギター作りの三重苦を抱えた私が作ったギターなど、到底信じられたものではない。先述した仕様ですら、本当に正しいかどうか分からないのである。なお、少なくとも塗装の薄さだけは事実である。レンチを滑らせて目立つ傷をつけたからだ。

 私が贔屓にしているリペアショップはそう遠くなく、アクセスも悪くない。技術も確かだと知っている。そして、諸兄らが見ているインターネットでは到底言えないような、まさに価格破壊と言って差し支えない工賃で大抵の作業を引き受けてくれることも。

 私はリペアショップに直行した。リペアマンにギターを引き渡す際、これを自分が作ったという事実は伏せておいた。どのような形であれ、軽蔑を差し向けられるのは好まない。私がギター作りを学んでおきながら、すり合わせひとつ面倒くさがってやらないような輩なのだという軽蔑に、私は耐えられない。事実の指摘は時に人を傷付けるのだぞ。諸兄らは知らないかもしれないが。

 すり合わせは1晩で済んだ。リペアショップから返ってきたギターは、もう見違えたように弾きやすいものとなった。

 何においてもまず頼るべきはプロの腕である。私はプロになりそこなった、腐乱した卵に過ぎないのだから。腕が(頭も)足りないこと自体は、決して恥ずかしいことではないはずだ。腹を括って、素直に他者を頼ればよいのである。諸兄らもくだらない意地を張っている暇があるなら、さっさと開き直って楽になった方がよい。私はそうした。

 自分を美化せずに生きることの、何と都合のよいことか。ついた嘘を覚えておく必要こそあれど、その他は全く気楽なものだ。尤も、その嘘の重さが私を苛むことも多少なりあるのだが。諸兄らも、是非この底辺の気楽さを体験してみて欲しい。

2022年10月4日火曜日

台所の宇宙

(これははてなブログからの引っ越し記事です)

 今日、畑をしまった。

 我が家では猫の額ほどの裏庭に、これまた鼠の額ほどの菜園を作って野菜を育てているのだが、天気予報が気温の急落を告げたため、今年の野菜たちを始末することにしたのである。

 思えば今年は我が家史上最も収穫量に恵まれた年であった。初夏にはサラダカブや二十日大根などがゴロゴロと穫れたし、盆前にはハラペーニョとナスがなり始め、盆過ぎにはイタリアントマトが大量に赤い実をつけた。ミツバと大葉、バジルとパセリは時期を問わず、使いたい時にすぐもいで使えたため大変重宝した。

 一方でミニトマトと中玉トマトはふるわなかったが、生育に肝心な時期と生活が慌ただしかった時期とが重なって適切な管理が出来なかったためであり、こればかりは仕方がなかったと言える。ミニトマトで作るセミドライトマトのオリーブ油漬けが作れなかったのは残念ではあるが。

 さて、畑をしまうにしても、ただ引っこ抜いて捨てればよいというものではない。ナスもトマトもハラペーニョも鈴なり状態であるし、バジルはもう茂るにいいだけ茂っている。これらを食べないという手はない。

 まずバジルである。食用に向かない硬い葉や茎、花茎などを取り除いたのち、片っ端からミキサーに放り込んでパルメザンチーズとオリーブオイルとニンニクと松の実を突っ込んでぶん回し、所謂ジェノバソースを作る。大きめの瓶で2本の量になった。冷蔵庫に入れておけばしばらく保つので、これで食べたい時にジェノベーゼが食べられるという寸法である。ミニトマトとプロセスチーズを豚ロースの薄切り肉で巻いて焼いたものにかけてもうまい。

 次に取りかかったのはハラペーニョだ。私が推す消費方法は湯むきしたトマトとニンニク・タマネギと合わせて作るサルサなのだが、そう毎日サルサをタコスにかけてテキーラを流し込み、ギターを弾いている訳にもいかない。我々は陽気なメキシコ人ではないのである。

 ところで、我々がメキシコ人と言って思い出すのはあのつばの広くて尖った麦わら帽、ソンブレロを被ったステロタイプであるが、実はソンブレロはメキシコの人々にとっても古臭いものであって、実際にはパーティグッズと同格の扱いをされているという。本邦でいうところのちょんまげのヅラのようなものであるな。メキシカン農場主はソンブレロを被ったりなどしないのである。我々も紋付袴にちょんまげで出社したりはしない。勿論その自由はあるが、翌日から机はなくなることだろう。自由には責任が伴うのだぞ、グリンゴ。

 話を戻そう。辛味の弱い品種であるとは言っても、ハラペーニョは立派な唐辛子である。私自身はそのあまりの気高さゆえ、時折内省が行きすぎたあまり自己総括が始まってしまうことがよくあり、そういった場合に一種の自傷行為として辛いものを貪るように食べたくなることがあるのだが、同居する家族はそうでもないため、ハラペーニョ単体を食べる料理はちょっと出すことが出来ない。よって、何に合わせてもいいようにピクルドペッパーを仕込むことにした。なにせ、2本でも十分な量のサルサが作れる唐辛子が20本近くも穫れたのだ。10倍だぞ10倍。

 ハラペーニョはヘタを丁寧にそぎ落とし、さっと湯がいてから爪楊枝で穴を開け、保存瓶に入れて合わせ酢を注ぐ。酢とカプサイシンの効果によって、ちょっとびっくりするくらい日持ちするピクルドペッパーが出来上がる。今回は合わせ酢には極力香り付けを控えたので、漬け上がれば肉に合わせてよし、スパゲッティと合わせてよし、勿論ピザやホットドッグに乗せてよしの万能リフレッシュとなる。

 残すはナスである。大小様々なサイズが15本ばかりあったが、今回は大ぶりなものを選んで夕食のサラダにすることにした。皮を縞目に剥き、適当な厚みの輪切りにしてさっと油通ししたナスを、刻んだタマネギとバジル、酢とオリーブ油などで和えて冷やして食べる。これがまたうまいのである。

 なにせさっきまで土から生えていたのだから、ナスは新鮮そのものである。揚げ油に入れると、その実の緑色がもやの晴れるように濃くなる。その翡翠の如き色があまりに美しく見事であるので、この瞬間の感動はちょっと筆舌に尽くしがたい。油を切り、調味料と合わせると、酢の力で皮の色が鮮やかな茄子紺へと変わり、流れ出た色でタマネギが淡く薄紫に染まる。そこにバジルの濃い緑が散るのである。

 このサラダは、私が作ってきた料理の中でも格段に色の美しいもののひとつだと思う。完成した姿が美しい料理というのは数多くあるが、作っている最中の姿が最も美しい料理というのはなかなか珍しいのではないだろうか。

 私は別に自然派だとか印象派だとかいった手合いの人間ではないが、植物や、大局的に言えば自然が見せる色彩の美しさに時折はっとさせられることがある。また、それそのものが美しいことも無論あるが、人の手が加えらた時に初めて顔を覗かせる美しさというのも確かに存在しているだろうと思うのだ。

 それらの美について考える時、私は究極的に、人間に生まれついたことを感謝する。人類が根源的に持つ、美という得体の知れぬものへの探究心が自身にも流れていたことを感謝する。

 「例え世界が滅んだとて、人間は美を求め、美しいものを作ろうとするはずだ」とは『マッドマックス』を撮ったジョージ・ミラーの言であるが、この盲目的とすら言えかねない人類への賛歌を、私はナスを食べながら実感するのだ。かたや映画であり、かたや台所での一幕であって規模感はまるで違うが、こうした精神的、もはや霊的といってもよい、突然もたらされる感動という現象そのものは全く同じである。

 そしてそういった感動に自覚的であればこそ、世界は我々に長い腕を伸ばして、その内幕を見せてくれるのではないかと思う。美は感動によって見いだされ、そして感動が色褪せても美そのものは不変であると私は信じる。感動をもって世界を解釈することで、我々の眼前には無限の精神の沃野が広がるのである。

 さて、ある程度消費したとはいえ、残りのナスと真っ赤に熟れたハラペーニョ、十数個のトマト達はまだ台所に転がっている。トマトは加熱調理用の品種であるので、すり潰してケチャップを作る予定である。前回トマトを収穫した際に作ったのだが、これが本当にうまいのだ。このケチャップを用意し、卵を焼き、あとはソーセージなどを温めパンを軽くトーストすれば、他にはもう何もいらない食事が出来上がる。あまりにうまいので、一瓶空けるのに数日しかかからなかった。

 感動というのはそこここに物言わず転がっている。または物陰に隠れている。それを拾って集めることが出来るのは、我々が美を追い求め続ける人間だからである。願わくば、それに対して真摯であり続けたいものだ。

2022年8月20日土曜日

恐怖心の解剖

(これははてなブログからの引っ越し記事です)

 いつの間にやら今年も盆を過ぎ、怪談のシーズンである。

 これは主に、ラテ欄に怪談番組がどのくらい登場するかで予測できる怪談の"旬"の話である。やや意外なことに、盆前・盆真っ盛りの間には怪談番組というのはあまり組まれない。これは盆の一連の行事が祖霊信仰に基づくものであるからで、盆真っ盛りの恐怖体験とは、つまるところその近隣に住んだり地縁のある人々のご先祖が引き起こしている確率が高いためである。

 実際旅先で気が大きくなるのはままあることで、ご先祖達も久しぶりの現世にちょっと羽目を外して、そこないけ好かないヤンキーやギャルどもにちょっかいかけてみたくなったりするものだろうから、盆真っ盛りの恐怖体験はご先祖達が引き起こしていると言って全く差し支えないのだが、だからといって高祖のことを悪く言われたくはないのが人情というものだ。

 よって盆が過ぎ、里帰りツアーご一行のご先祖達がナスの高速バスで西方浄土にお帰りになったところで、怪談番組は盛り上がりを見せるのである。あたかもうるさい先生の見回りが終わった修学旅行の夜のようであり、怪談とはそういうノリで語るのが最も適切である事を思い出させてくれる。ちなみに全ての学生時代を通じて私の身の回りには浮いた話のひとつもない輩どもばかりが群れていたため、我々が集まってする話といえば怪談と猥談しかなかった。宿泊研修も修学旅行も飲み会も、全て怪談と猥談で構成されており、恋愛談など差し挟まる余地もなかったことは今更書くまでもない。

 さて、いくら旬だからといって私が再びここで怪談を開陳してしまったのでは、修羅のインターネッツに創造性を疑われてしまう。こいつ困ったら怪談書いてるな、と思われてしまうのだ。実際のところこの雑文にはネタが多くあるわけでもなく、書いているのも天然無能ことこの私ひとりであるので、ストックがそれなりにある怪談の方から優先して書きたい気持ちはあるのだが、ここが怪談サイトだと思われるのは不本意である。

 恐怖とは、言ってしまえば緊張と弛緩のバランスである。怪談サイトの100ある怪談のうちの本当に怖い1話より、日常ブログや雑文サイトの中にある怪談1話の方が怖い。これはひとえにその他とのギャップによるもので、他の話や雑文がくだらなければくだらないほど、たわいなければたわいないほど、たった1話の怪談の異質さが目立ち、そこに恐怖が生まれるのである。

 私は些か文章力が不足しているため、このギャップをあえて作ることにより、読者諸兄が覚える恐怖感の底上げを図っている側面がある。よって、あまり怪談ばかりに頼って記事を書き続けるわけにもいかないのだ。……しかしまあ、ここまで内情を詳らかにする雑文サイトは珍しいのではないか。諸兄らは私の何ら隠し立てしない正直さを賞嘆すべきである。

 話を戻そう。一口に恐怖と言っても、様々な切り口がある。私は基本的に合理主義者かつ懐疑論者であるので、超常的な話に関してはあまり恐怖を覚えない。信仰心もないので、海外ホラー映画のような、困ったら悪魔を持ち出してくる話も願い下げである。土着文化というものが希薄な土地に育ったため、因習とかいったものに対する民俗学的恐怖心というのもあまりない。

 よってやはり一番怖いのは、理屈付けを拒否されることであると言わざるを得ない。話が不可解であれば不可解であるだけ怖い。それは様々なファクターをただ散りばめておけばいいというものではなくて、それらは繋がったり繋がらなかったり、繋がっているはずの部分が実は繋がっていなかったり、と、まるで規格の違うブロック玩具を相互に組み立てるようなもどかしさがあるべきなのである。そこに入るはずのピースが入らない、そういう恐怖こそ最も洗練されていると思う。いつだったか、誰かから聞いた話で、あまりに不可解で私を震え上がらせたものがあるのだが、これに紙幅を割いてしまうとここが完全に怪談サイトになってしまうため今回は割愛する。いずれ機会があれば整理して書こうと思っているので、諸兄らもお楽しみに。

 実際のところ良い文章を書くには、自分が何を好きか、あるいは何を嫌いかをきちんと考えることが必要だ。この場合でいえば、きちんとした怪談を書くためには、私が怖いものは何か、ということを考える必要がある。

 結論から書いてしまえば、私が怖いものといえば、チワワである。そう、あのチワワである。ケンネルクラブに登記された犬の中で最も小さい犬である。本邦ではかつて消費者金融のCMに登場して一大ブームを築いたあの犬である。

 犬が嫌いなのかといえばそうではない。世の中に犬の類いは多くあるが、大体どの犬もそれなりに愛らしいと思える程度には博愛主義である。また、一部の人が怖がる大型犬も別に嫌いではない。実際に飼う場合にどうかは別として、犬は大きければ大きいほどいいと思っているきらいすらある。小型犬が嫌いなわけでもなく、シーズーや狆などとは仲良く戯れたこともある。もっと言ってしまえば、別にチワワが嫌いなわけではない。ただ、怖いのである。

 私はよくその恐怖を説明するために「深夜、道の真ん中に牙を剥いたチワワが仁王立ちしてたら怖いでしょ」などと言うのだが、よく考えてみれば、深夜に1対1で遭遇すれば大抵の犬は怖い。それが牙を剥いていれば尚のことである。それがドーベルマンやウルフハウンドだった場合、おそらく我々は助からない。

 しかしながら、私にはそれがチワワであった場合の方が怖いのだ。何故なのか。後学のために少し考えてみよう。

 まずひとつはその大きさである。前述のように、チワワは地球上で最も小さい犬である。体高にして25cm程度、重さにして3kg以下に過ぎない。万一襲われても、成人の力であればなんとかなるかも知れない相手と言えよう。しかし裏を返せば、それは成人はチワワが襲うには分の悪い相手だということである。

 次に言えるのは、その気性である。チワワの気性は一般に荒い。飼い主以外には非常に攻撃的であるとされる。その上、図体が小さいくせに物怖じせず、何にでも立ち向かうのだから始末に負えない。それは最早勇敢を通り越して蛮勇である。

 さて、このような冒険主義の犬が深夜の路上で、よりにもよって人間の内でも割とトロい部類である私などと渡り合った場合、一体何が起こりうるか。

 チワワが私に襲いかかり、私がそれをただ受けることしか出来なかったとしよう。おそらく私は咄嗟にはチワワをどうにもすることが出来ず、腕や足などを噛まれながら必死でそれを払いのけようとするだろう。しかし反撃らしい反撃を加えられるわけではないので、チワワは私を執拗に追ってくる。なにせ犬には逃げるものを追いかけるという本能があるのだ。

 もうこの時点で私は指の1、2本は食いちぎられておるかも知れぬ。ステータスとしては同じになったが、私はムツゴロウではない。象と仲良くなろうとして近付いたら踏まれそうになったのでスコップを持って象に襲いかかろうとした世界一強い男ムツゴロウではないのである。私はいずれ息が上がり、立ち止まることになる。するとまたチワワがその白い牙を剥き出して飛びかかってくるのである。

 私が喚けど騒げど、誰も助けには来ない。畜生。こんなことなら鞄の中に呼び込み君でも忍ばせておくのだった。呼び込み君さえあれば、深夜の住宅街に鳴り響く脳天気な音楽につられて、欲の皮の突っ張った主婦の皆々様などが家を飛び出して来たかもしれない。しかしながら呼び込み君は末端価格で1体2万5千円ほどするガジェットであり、一介の無職が気軽に持ち歩くには少々高価であると言える。畜生。何もかも資本主義が悪いのだ――そんなことを考えている間に、チワワは私の喉笛を噛み切りに来るだろう。

 さて、ここでまたチワワの特徴がひとつ、恐怖のファクターとして働くことになる。チワワはその大きさゆえに、おそらく人ひとりをきちんと殺してくれないのではないかヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ、という点である。喉笛だってしっかりとは噛み切ってくれはしまい。チワワにしたって仕方がないもんだからちくちくちくちく私の身体中を噛みまくり、その上で失血死するのではあまりにむごい死に様ではないか。チワワによる失血死はジュネーブ協定で禁止されるべきである。

 ……ここまで耐えてきた諸兄らももうお分かりのように、私が恐怖しているのは"苦痛に満ちた死"であることが分かった。

 この病んだ時代に、誰しもが死を夢見ながら、選択的死の方法にその実それほどバリエーションがないのは、苦痛に満ちた死を迎えたくないからだ。誰しも苦痛に満ちた死を選びたくはないからこそ、ドアノブで首を括ったり、練炭を焚いたりするのである。残念ながらそのどちらも失敗すると大変な苦痛を伴ってこの世に暇乞いをすることになるわけだが、なるべく苦痛の少ない方法で暇乞いをしたいという気持ちはどうやら人類の通奏低音であるようだ。

 私は合理主義者である。超常現象が人に死をもたらすとは思えない。しかしながら、動物が人に死をもたらすことは往々にしてあり得る。そしてそれは、"殺しの下手な"生き物たちによる行為である可能性が高い。なぜなら人を一撃で死に至らしめることの出来るような類いの動物は、その分管理も厳重であることが殆どだからだ。

 人間は世界に自身の理想を投影して生きている。実際にそうなるかどうかは別問題として、私は突き詰めてしまうと、「私が勝てるかも知れない生き物」か「私をひと思いに殺してくれる生き物」しか安心して愛玩することが出来ないような気がする。勿論、クマやチワワなどはその範疇から外れているのである。

 彼らに仏心を期待するのは間違いだ。そこには苦痛に満ちた死のみが待っている。そして人間の苦痛に満ちた死に対する恐怖心のことを考えれば、それを迎えた者の魂がそこらに浮遊しているとしてもなんら不思議ではないのかも知れない。ヤンキーにちょっかいをかけるのはご先祖達、と決めつけたのは、些か早計であったかも知れぬ。その場合空間を漂っているのは苦痛に満ちた死に対する純粋な恐怖であって、恐怖が恐怖を呼ぶ連鎖があったとて何もおかしくはないのである。

2022年8月11日木曜日

オペレーション・クラークフォビア

(これははてなブログからの引っ越し記事です)

 服を買いに行ったのである。実に8ヶ月ぶりのことであった。

 というのも、私ほど無職が板についていると、気付かぬうちに服がボロボロになるのである。そのプロセスについて、もしかすると無職ではないかもしれない諸兄らのため、分かりやすく解説してみよう。

 まず、無職は無職であるので、背広やワイシャツの類いは生活の中にほぼ出番がない。実際のところ、学生時代の求職活動以外のシーンでこれらを着用したのは、祖父の葬儀の際だけだった。学生という身分を返上してからいくつか短期・長期を問わず職にありついたが、そのいずれでも背広を着用したことはない。大抵は作業着か、適当なパーカーなどを着用していた。つまりはそういう職業である。

 このように、無職が普段着用するのは、オンとオフを問わず所謂カジュアルスタイルであることが殆どである。私の場合はジーンズとTシャツ、その上に適当なパーカーやミリタリーブルゾンを羽織っていることが多い。

 この構成は学生時代から何ひとつ変わっていないわけだが、私は少々特殊な学生生活を送っていたので、足を保護するための長ズボン、作業性を高めるためのスニーカー、学校に置いてある作業着と着替えやすいパーカー、気温によって調整が出来るよう半袖のシャツ、というコンポーネントそのものが事実上学校によって指定されていた。それに則って生活をしていたので、これ以外の構成をしなくなってしまった側面は大きい。

 話を元に戻そう。無職はその経済的事情ゆえ、就寝専用の寝間着を持っていないことが大半だと思われる。私もご多分に漏れず、「ちょっとこれを外で着るのは憚られるな」と思う程度にはくたびれたTシャツを寝間着に転用することで、これまで凌いできたのである。加えて、無職は如何せん無職であるので、実際のところ1日の大半を寝間着で過ごしている。

 ところがである。諸兄らも心当たりがあるだろうが、人は寝ている間に意外なほど動くらしく、寝間着は殊の外傷みが早いのだ。

 外で着られるTシャツの数にも限りがある。無尽蔵に寝間着におろしていく訳にはいかない。しかし寝間着は次々と死んでいく。襟ぐりが伸びきる。縫い目がほつれる。どこからか長い糸が出る。脇腹や裾に穴が開く。袖が脱落する。それでもそれを着るより他にないから着るのである。そして一度着たからには洗濯をせねばならないので、穴やほつれは更に大きくなっていくのである。

 こうなってくると、もうみすぼらしいなどというレベルではない。格好だけで言えば、嵩山の洞窟で9年間壁に向かって座禅を組んでいた達磨大師と同じか、それ以上すごいことになっているであろう。達磨大師も座禅を終えた後、追われるように洛陽近辺の服屋に行ったはずである。

 私もこの度ちょっとした臨時収入を得たので、丁度いい機会だと思って最初から寝間着用にTシャツを数枚買うことにした。本当はギター関連機材か本などに費やしたかったのだが、外でギリギリ着られる服を数枚でも保っておくことは、文明人に強いられる必須の投資である。何しろ、道を歩けば犬猫の類いですらパリッと糊のきいたおべべを着ておる時代なのだ。人間様がズタ袋同然の粗末な布を身に纏って歩いていれば、問答無用で通報されるのがオチである。勿論私が文明人であるかどうかについては議論の余地があろうが、服さえ着ていれば、とりあえず社会という共同体の範囲にギリギリ収まるものとして扱われるのである。

 私は残念ながらブランドというものには興味がない上に、予算も限られている。よっていつもの薄利多売系服屋に向かった。適当なTシャツとジャージズボンをそれぞれ2、3枚ずつ見繕ってレジに向かうと、会計をする店員が「こちらのシャツ、5枚お買い上げになれば5千円になりますが」と言ったのである。

 コミュニケーション能力に難のある読者諸兄らには勿論理解して貰えると思うが、服屋というのはどのような形態であれアウェイである。我々は店員の目を盗んで入店し、その気配に細心の注意を配りながら服を見繕い、真っ直ぐにレジに向かって逃げるように退店するのだ。勿論、その過程で店員に話しかけられてしまえばゲームオーバー、どんなに気に入らなかろうと何かひとつは買わなければ生きて店を出ることは叶わない。服の選定にも細心の注意を要する。なぜなら、試着などしようもんなら責任を取ってその服を買わねばならないからだ。よって、サイズ間違いなど絶対に許されない。達磨大師もおそらく洛陽の服屋ではそういう行いをしたはずだ。何と言っても、壁に向かって9年も座禅をするような人物なのだから。

 そのような神経をすり減らすミッションをこなし、もう少しで退店出来る……と緊張の糸が緩んでいた私に、この発言は全くの不意打ち、死角から飛んでくる鋭い右フックであった。あの時の私は、それはそれは哀れなほど取り乱していたと思う。

 アッソウナンデスカ、ヘェ~ジャアアレダ、アノ、エート、モウチョットミテキテモイイデスカ?とヘリウムガスを飲んだバルタン星人のような声で言うと、私は回れ右してTシャツ売り場へともつれる足で駆け込み、目についたシャツを3枚ひっつかんでレジに戻ったのである。

 会計を終え、全身の骨がゴムになったかのような足取りで店を後にし、速度超過気味に家に帰ってきてから、私はまた大変なことに気付いた。購入したTシャツの中に、殆ど白と言ってもいい色味のものが混じっていたのである。追加したシャツのうちの1枚であろう。

 私はこういう自意識の持ち主である以上、彩度や明度の高い服を好まない。そういう服を着ていると、街中で必要以上に目立っている気がしてしまうのだ。勿論そんなことはないし、己の無価値は己が一番理解しているが、着ているだけでそう思ってしまうのだから、それならばいっそ着ないほうがずっと精神の安定によいことは理解していただけると思う。

 今回購入したのは寝間着としてのTシャツであり、基本的にこれを着たまま出歩くことはないわけだが、着ることになる人間は同じ私なので、着用によるスリップダメージは変わらず通ってしまう。さながらのろいのそうびである。なんということだ。これは手痛い失敗である。失敗したからといって、まさか返品など出来るわけがない。そんなことが出来るなら、前述のようにステルスゲームのような買い物の仕方はしないのだ。

 結局その後数回そのTシャツを着たが、ふとした拍子に裾や袖が目に入り、その度に「白だ!」と衝撃を受けるので本当に精神衛生によくない。私ともあろう者が、寝ても覚めても白いTシャツを着ている。とてもつらい。

 それに加えて、もっとつらい事実がある。実はこのTシャツ、5枚5千円のセールの対象外だったのだ。それに気付かないほど動転していた私も私だが、紛らわしい陳列をしていた店も店だ。5枚セットが成立しなかったため、私は満額を支払い4枚のTシャツと1枚の白いTシャツを買ったことになるが、それを指摘しなかった店員は一体何なのだ。人の心がないのか。それとも、服屋に来る人間は皆いついかなる時でも冷静で、加減乗除の四則演算は完璧だとでも言いたいのか。残念ながら私は九九もおぼつかぬほど数に見放された人間であるぞ。

 やはり服屋とは一瞬たりとも気の抜けない、純然たる敵地である。次はぴっちりとしたステルススーツに身を包み、ダンボールに入って入店することにしよう。

2022年7月22日金曜日

ある書店の死(または、記憶)

(これははてなブログからの引っ越し記事です)

 一昨日、本当にひょんなことから、ある書店の閉店を知ったのである。

 そして今日、私はあるホームセンターの駐車場で、買った洗剤を車に積み込みながらそれを思い出したのだ。昼過ぎとはいえ、日はまだ高かった。今日は夕食の準備を急ぐ必要もない。私はまだ7月だというのに異様な暑さの屋外や、冷房もなく風もあまり抜けない自宅にいるよりは、エアコンの効いた車の中にいた方がまだしも快適だと思って、その書店へと向かったのである。

 その書店というのは、かつてはどこの町にもあった、中規模程度のものを想像して頂ければ、概ね実態と相違ない。

 それなりに広い平屋建てで、ごちゃごちゃと本の並ぶ書架の壁を過ぎると、これまた乱雑に陳列された文房具や紙類、白地図などが客の往来を妨げんばかりに配置されている。これが書店部分で、建物全体の半分強を占めていた。

 もう半分は何だったのかというと、かつてはレンタルビデオ店だったのだが、こちらはいつの頃からか形骸化していて、今は空の棚が並んでいるだけの空間である。

 もとより書店部分とレンタルビデオ店部分の間に、壁や間仕切りは一切ない作りだ。今は虎縞の棒が渡されたカラーコーンが立ち並んでいるが、かつてはその間の線引きは非常に曖昧だった。レンタルビデオ店のレジで文房具が買えたくらいである。しかし書店のレジではレンタルビデオを借りることは出来なかった。

 駐車場に車を停め、蝶番が痛んでいるのかいつでも扉が半開きになる玄関を通ると、すぐ横にくじ引きとクレーンゲームが一体になっているタイプのプライズゲームが白々しい蛍光灯を灯していた。

 私はクレーンゲームというのが苦手で、この筐体で遊んだことはないのだが、私の記憶にある限り、陳列されている景品の中で最も価値の高かろうと思われるもの(それは主に、その時々の最新型のゲーム機であることが多かった)が排出されているのを3回目撃している。縁日のテキ屋のスピードくじよりは、よっぽど良心的なシステムだったらしい。

 ところで私がテキ屋のくじで当てたものと言えば、どこかの国でおそらく違法にコピーされたタミヤのミニ四駆のパチモンくらいである。このパチモンというのがもう、外箱から中身から、あまりにもツッコミどころの多い代物だったのだが――この話は本題から逸脱するので割愛する。またいずれ機会があれば書くかも知れない。

 店に入ると、割合あっさりとした閉店の告知と、文房具3割引の閉店セール告知が掲示されていた。私は何か、そんな値引きやセールを期待して訪れたわけではないのだ――と誰かに言いわけでもするような心持ちになりながら、それでも文房具の棚へと足を向けた。

 文房具ほど、個人の好みがはっきりと細分化される道具というのもそうないだろう。シャープペンシルひとつとっても、文房具売り場の棚には数多のバリエーションがずらりと並んでいる。長いの短いの、太いの細いの……と、過剰なのではないかと思えるほど、細分化された道具が並んでいるというのは、一種異様な光景でもある。

 そういう私は中学生の時分から、横ノック式のシャープペンシルを愛用している。私は文房具マニアではないので、不正確な、あくまで印象の上での話となるのだが、現在横ノック式のシャープペンシルは販売されていない(と思う)。オーソドックスな上ノック式や振り子ノック式、そもそもノックのいらない自動給芯式など、ありとあらゆる給芯方式が店頭に並ぶ中で、横ノック式は淘汰されてしまっている。

 またこれも印象の上での話となってしまって心苦しいのだが、シャープペンシルの給芯方式が多様化する中で、最後まで横ノック式を生産していたのはぺんてる社だったと思う。というのも、私が今使っているのもぺんてる社のシャープペンシルだからだ。

 当時高校生だった私は、このシャープペンシルの使い心地に文字通り熱狂した。だからこそこのシャープペンシルを売る店がひとつふたつと減り始め、生産終了の気配を感じ取ったと同時に、店頭にあった在庫をごっそり買い占めるに至ったのだ。

 校則でアルバイトは禁止されていたので、少ない小遣いを叩いて、シャープペンシルを37本買ったのである。青春まっただ中の高校生が行う消費行動にしては、何と夢も希望もない話だろうか。しかしながらこの時大量に買い込んだおかげで、その後の学生生活、短い社会人生活を通じ、シャープペンシルに困ることはなかったのだ。これは英断だったと今でも思っている。

 その私がシャープペンシルを37本買った店というのが、他でもないこの書店だった。

 そんなこともあったなと思いながらシャープペンシルの売り場を抜けて、白地図の売り場を突き当たり、左を見ると、カラーコーンの向こうにかつてレンタルビデオ店だった空間があり、その隅には棚で囲まれた区画があった。

 読者諸兄はお分かりのこと、それはかつてアダルトビデオを陳列していたコーナーの名残である。あの薄っぺらいサテン地の暖簾こそもうかかっていないが、棚にはメーカーやジャンルのインデックスが残っていた。

 実はこの店は、私が通っていた高校から最も近くに位置する商店だったのである。

 私が通っていたのは住宅街のど真ん中に建つ高校で、自慢ではないが中途半端なバカが多く入ってくることで有名だった。どいつもこいつも突き抜けたバカではないので面白青春グラフィティとは一切縁がなく、かといって頭が良いわけでもないので理知的なユーモアを楽しむことも出来ない、中途半端な構造の中途半端な15歳が中途半端な顔をして入学してくる、そういう高校だったのである。勿論そんな中途半端な奴らを集める中途半端な学力レベルであるので、半期に一度はベネッセの社員が講演にやってきて、「受験は団体戦だ!」と熱くぶち上げていた。

 そんな高校であるわけだから周囲の環境も中途半端で、付近に駅はなく、バス乗り場も遠く、遊べる場所と言えば児童公園とジジババの集うゲートボール場しかなく、飲食店も含めて周囲に商店と呼べるものがこの書店しかなかったのだから、今考えてもすごい環境である。勿論、校内に購買などというステキ施設はなく、うっかり弁当を忘れて家を出ようものならすなわち餓死が待っていた。その代わりなのか、「午後の紅茶」のみを売る自販機だけは設置されていたので、脱水症状は免れることが出来たのである。生かさず殺さずを地で行く作りである。運営側がそんな発想だから、高校のくせにアルバイトが全面禁止なのである。

 今さらりと書いてしまったが、校内に購買がないということは、ノートを忘れたり筆箱を忘れたりした際もかなり恐ろしいことになるのはお分かりいただけると思う。友達を頼ろうにも、いつでもそのアテがあるわけではない。そもそも友達と呼べる人間がいない場合もあろう。よって、昼休みに玄関側に面した窓から外を眺めていると、弾かれたように自転車で爆走する生徒が時折見られた。無論昼休みに無断で校外に出るのは校則違反であるが、彼らにとってはノートや筆記具がないことの方が恐ろしかったのだろう。

 近いとは書いたが、書店まではそれなりに距離がある。交通量が多く、なかなか変わってくれない信号も道中にある。よって彼らが必死に自転車を駆ってノートや筆記具を贖って帰ってきたとて、校内に入れなくなるリスクは常につきまとっていた。昼休みが終わると玄関は施錠されてしまうのである。たった1冊のノートを掴み、汗だくのまま施錠された玄関の前に立ち尽くす姿は、想像するだに恐ろしい。

 こんな環境でなぜ購買が設置されなかったのか未だに疑問なのだが、とにかく我々は「そういうもの」として日々を暮らしていた。だから必然的に、一番近い商店であるこの書店にも我が校の生徒達は結構訪れていたと思う。

 生臭い話で恐縮だが、性欲の鬱屈した男子高校生のやることというのは今も昔も特に変わりはない。週刊誌のグラビアを鼻の下を伸ばして眺め、サテン地の暖簾の隙間や下からアダルトビデオのパッケージを眺めるのである。それでいて成人誌を立ち読みしたり、あの暖簾をくぐったりなどする勇気はないのだから、本当に中途半端であった。

 ある放課後のことである。私が漫画の単行本を買うために書店に入ると、ちょうど漫画誌を立ち読みしていたクラスメイトの田辺が、私の腕を強引に引っ張ってレンタルビデオ店側の隅へと連れて行った。

 田辺は鼻の穴を大きくしながら、「大変なことを知った」と言った。田辺は学年の中では割と突き抜けたバカ側に寄った人物だったので、私はにべもなく「よかったね、おめでとう」と落合博満のような受け答えをしたのだが、田辺が悲しそうな顔をしたので話だけは聞いてやるかと思い先を促した。

 すると田辺は声を潜めながらも心なしか誇らしげに、「高校生でもアダルトビデオが借りられる」と言ったのである。今思えばバカであるなあ。しかしながら、その情報にいきなり首ったけになってしまった私も無論バカであった。

 田辺の語るところによると、例の暖簾のすぐ脇の棚に並んでいる「パロディ」とラベルをつけられた映画は、実質アダルトビデオでありながら、レンタルに年齢制限がないのだという。

 読者諸兄も察しがついたと思うが、これは所謂パロディAVというやつだ。この店では何故かパロディAVを年齢制限なしに貸していた。どちらかと言えば体が資本であるので役者の演技は大根だし、修正はミラーボールかと見紛うばかりに濃いし、タイトルもあまりにバカバカしすぎて、実用目的で借りる者などいないと店側は踏んでいたのかも知れない。

 しかしながら、そこは性欲を滾らせた男子高校生である。なんなら我々はおっぱいの出る映画を片っ端リストアップして共有していたくらいだったのだから、本番がある映像を借りられるなら、その他の瑕疵など気にもとめなかった。

 この田辺の発見は、(一部の)男子の間に瞬く間に広がった。その後パロディコーナーの映画はいつも貸し出し中になっており、結局私が観られたのもこの時に借りた『Mr. & Mrs. エロス』だけだった。これは勿論『Mr. & Mrs. スミス』のパロディだが、元ネタの映画もまあまあ酷い出来であるので、このふたつを比べた時、私は思い入れを加味せずとも『エロス』の方に軍配を上げてしまうかも知れない。だいたい『スミス』の方も、セックスがどうこうする映画である。

 私はかつてパロディAVが並んでいた空っぽの棚を遠巻きに眺めて、急にこの店がなくなってしまうのが惜しいような気がした。それはこの店の閉店を知った時、この店に入って閉店の告知を読んだ時とは比べものにならない強さだった。私の人生よりも長くこの地にある店である。勿論、ここで何かを買ったのも一度や二度ではない。なにしろ、我々にはこの店しかなかったのだから。

 しかしながら、この店に往時の賑わいがないのもまた事実だった。私が卒業してから数年後、高校のすぐ近くにコンビニが建ったため、わざわざ遠いこの店を選んで週刊誌のグラビアを見に来る生徒は減ってしまっただろう。レンタルビデオ店が廃業しているのも既に書いた通りである。がらんとした空間に立ち並ぶ黒いスチールの棚は、この店を蝕む癌細胞であるかのように思われた。半分が既に死んでいるなかで、遺された半分は必死に生きながらえようとしてきたのである。

 その努力も仄暗い死の影を振り払うことは能わず、今や完全な死がこの店に訪れようとしている。そう思うと胸が締め付けられるような気がして、私はこの店の記憶を保つために何かを買わねばならないと決意した。

 本は一度読めば二度と読み返さない。よしんばいずれ読み返すとしても、普段は部屋を埋める蔵書の中で迷子になっているだろう。それではこの店の記憶も、本の内容の記憶と共に次第に薄れていってしまう気がした。やはり生活の中で手に触れるもの、目に映るものが相応しい。それは何かしらの文房具、あるいは道具に外ならない。

 筆記具はどのような形であれ、いずれ書けなくなってしまう。そうすれば廃棄せざるを得なくなる。ノートもスケッチブックも、いずれ一杯になってしまうだろう。見返さないものでは、記憶を保っておける自信がなかった。

 私は困ってしまった。絵や作曲などの創作活動をほぼデジタル環境に移行してしまった今、紙とペンという原始的な道具で何かを行う機会は激減している。それに、今現在私は無職である。残念ながらあまり高いものも買うことは出来ない。

 私はぐるぐると文房具売り場を歩き回り、児童文具のコーナーで乱雑に置かれていた1本150円のピンセットを先直、先曲の2本掴んだ。これも長らく売れていないと見えて、包みにはうっすら埃が被っていたし、そもそもピンセットそのものの在庫が3本しかなかった。

 ピンセットは前々から、ビスを磨いたりするなどの細かい作業のために欲しいと思っていた。ギターを弾いたり修理したりしている限り、この作業は定期的に発生する。今のこの店において、これ以外の選択肢は存在し得なかった。残念ながら、私は種々の文房具と触れあう時期を既に過ぎてしまっている。その事実もまた私を悲しくさせた。私はレジに向かい、律儀に3割引になっている代金を支払って、店を後にした。

 そして今、私の目の前には2本のピンセットが包みも破られないまま転がっている。チープなフィルムにチープな2色刷で書かれた「高級ピンセット」の文字が子供だましじみていて、あの店のどこか垢抜けない、おおらかな雰囲気をそのまま形にしたかのようだ。

 私は次回ビスを磨く必要が生まれるまで、この包みは破らないでおこうと決めた。記憶にはそれを思い出すためのトリガーが必要だ。些細なものでもトリガーとなり得るものを手元に置いておかねば、記憶を思い出すことはなくなり、いずれその存在は完全に忘却され、この世から消えることになる。

 人間は忘れる生き物だ。それと同時に、思い出すことが出来る生き物でもあると思う。そのためにはトリガーがいるのである。人間があの世に持って行けるのは記憶だけだ、と言ってものを処分したがる人がいるが、それは違う。記憶をあの世に持っていくために、我々にはものが必要なのである。

 今後ビスを磨く度に、きっと私はあの書店のことを思い出すのだろう。

2022年7月8日金曜日

打鍵する人間愛の天然無能

(これははてなブログからの引っ越し記事です)

 大変なのである。

 何が大変なのかというとこれである。

AIのべりすと 

 耳の早い諸兄らは既に知っているだろうが、これは極めて高いレベルで日本語を出力する人工知能である。重苦しい私小説やインターネットが無限のフロンティアだった頃の雑文、果ては昭和軽薄体まで何でもござれのハイスペックで、何回か使ってみた限り、数百文字程度の短文では殆ど破綻しない。お前は重松清か!と言いたくなる。

 これは恐ろしいことである。私は先だってこんなことを書いていた。

代筆といえば、私の文章は一見、流行りの人工知能というものにも執筆できそうであるが、私という天然無能の思考回路を再現するのは逆に難しいはずだ。人工知能というのは、シェイクスピアやダンテやトルストイや谷崎潤一郎などのきら星の如き作家達を読んで文章を学ぶのだから、筒井康隆やしりあがり寿や夢野久作を読んだ上でエログロナンセンス以外を出力している私の文章に近づくことすら出来ないだろう。
打鍵するチンパンジーの人工知能 - 雑記日記 分店

 なーにが近づくことすら出来ないだ。

 まあ、論より証拠である。先日書いた雑文(本の回虫 - 雑記日記 分店)の冒頭2行のみを入力して続きを書かせてみたのがこちらだ。うっかりブラウザで出力してしまったので非常に画角がアレゲなことになっているが、目をこらして読んでもらいたい。

 ……どうだろうか。私がまず驚いたのは、人工知能の頭の良さである。"つまり私の労働意欲は空転しっぱなしなのである"というくだりなど、最高にデカダンがキマっており、しびれる。似たような文章は乱歩か太宰か芥川だったかで読んだ記憶があるが、この際そんなことはどうでもよい。

 加えて、この出力された文章をよく読んでみると、「分かりきったことを持って回って説明するように書く」という私の雑文の癖がしっかり転写されている。たった2行からこの癖が転写されるのだからすごい。

 ちなみに、私の説明がくどくなるのは大抵冗談を言っているときである。金魚の糞のようにキレの悪い冗談を延々言うので、飲み会では煙たがられておる。かなり盛り上がっている飲み会の席上、冗談を他の参加者に「もういいから」と懇願されて中断した経験のある者がどれほどいようか。

 私も私で、クソのキレが悪いことを「切れないナイフで四肢を切断するようなジョーク」と自嘲のふりをして気取ったりするのでタチが悪いのである。だいたい、切れないナイフで四肢を切断するという描写そのものが人を選ぶ。なるほどと膝を打ってくれるのは、殆どが『SAW』シリーズを全編見たとかいう異常者のみだ。私はやや意外にも異常者の類いは得意ではないので、彼らと仲良く語らうことは出来ればご遠慮願いたいところではある。

 しかし、すごい時代になったものだ。そのうち、人間に許されるのは人工知能の良き編集者たり得ることだけになるだろう。おっそろしいねえ。やはり人工知能が天下を取る前に、我々はBMWで公衆便所に突っ込んでおくべきなのだ。……分からない人はもう結構!

 その一方で、この人工知能の弱点というのも少し見えてきた。この人工知能、常体・敬体の違いを判別して地の文の運びをどこに着地するか見極めているような雰囲気があるのだが、それ故に私小説の如き重苦しい文体で始まった文を笑い話に着地させられないのである。これは面白い発見だった。

 諸兄らのうちにも異論はあろうが、私の雑文は基本的に常体で書かれており、扱っているものはユーモアとナンセンス(あるいはホラー)である。これは某かの作家を参考にしたとかいうことではなく、かつての"雑文書き"達がみな常体で文章を書いていたことと、私がナンセンスを扱う以外に作文法を知らないからである。

 ではいつからナンセンス以外書けないのか?というと小学生時分からで、卒業文集に載せる作文を全編会話文で書いて提出し、こっぴどく叱られたことがある。当時の私はご多分に漏れずスレたガキであり、小学校を卒業する程度のことに何の感慨も持てなかったため、奇行に走ったのである。それに加えて既に希死念慮というか頽廃的自我が芽生えており、「将来の夢」というテーマのスピーチで大真面目に「世界の終焉の可能性」と「そのような時代に何かを期待することの空しさ」を語り、聴衆の父兄らを絶句させたこともあった。書いていて恥ずかしくなってきたな。

 実際のところ、ここ十数年の間、世界は終末時計の針を押しとどめることに必死であるのだから、将来に何かを期待することが間違っているのは自明である。自明であるが、そんなことを小学生の口から聞かされたくはないと思う。私自身ですらそう思う。

 人は誰しも、必死で見て見ぬふりをしているものというのがある。私の場合は履歴書の空白だが、健全なホモサピエンスにとっては社会、ひいては世界の崩壊こそ直視したくないものだろう。その前提が分かっておらず、また手心を加えることもしなかったのだから、私は幼かった。今となってはリカちゃんのお靴並みに苦い思い出である。

 そもそもの話、作文という課題は元々表現力を必要とされていない。既に起こったことに対して、自分がその時何を思ったかを書けばいいのである。そこに筆者の葛藤や人生観、読者へのサービスなどが介在する必要は全くない。どんなに作文が苦手なお子様も、数種類の例文から選択して巧く繋げば、そこそこの作文が書けてしまうのだ。

 これに対して常々考えていたのだが、どうも私という人間は空っぽ、がらんどうであるようで、何もかもが私を素通りしていってしまうのである。

 自分という器の中に信条だとか美学だとか、何かそういった筋や梁のようなものが通っていれば、外部から入ってくる物事はそれにぶつかったり引っかかったりもするし、それらを消化すれば何かを思うこともあるだろう。

 ところが私には信条や美学といった骨組みが一切なく、「まあ、そういうこともあらぁな」という諦観に似た自若さだけが横たわっていたため、消化すべき引っかかりも起こらず、結果として感情が浮かばなかったのである。よく言えば泰然、悪く言えばでくのぼうである。私は小さい頃から本の虫だったので、覚えた感情を説明しうる語彙が足りなかったという訳ではない。説明するべき感情が起こらなかったのだ。

 そんな奴には「何を思ったか」だけを問う作文という課題は酷である。当然だが、何も思っていないのだから何も書けない。ない袖は振れぬのだ。心はいつもノースリーブである。見苦しいほどノースリーブである。まだしもランニングのほうが露骨なぶん見られる。ノースリーブの中途半端さが人は恥ずかしいのである。冗談はさておき、私はそのために作話を覚えた部分がある。苦し紛れに嘘をついてばかりの人生であるな。

 よって、時たま何かの事象ではなく自分自身について書けと言われると、如何せん自分の中にちゃんと横たわっているのが諦観のみであるが故に、先に書いたようなエスカタロジストはだしの文言をぶち上げてしまったりしていたのだ。はっきり言えば異常である。

 ……あまり育ちのせいにしてばかりいると夢枕に祖父と茨木のり子と泉谷しげるが立ちそうなのでこのくらいにするが、つまるところ私がナンセンス以外書けないのは、他に何も語るべきことがないからである。幸いにして、ナンセンスの名の下には、私のようなピンポン球の如き存在も何かを語ることを許されるのだ。

 実際のところ、ナンセンス以外を語ろうとすると、いつか馬脚を現すのではないかと思って不安で仕方がない。私が他に語れるものといったら希死念慮と仙台で買うキャベツのまずさくらいのもんであるが、そのどちらもあまり人に聞かせるべきものでもないので自重している。それにしてもまずいったらないんだよ、仙台のキャベツ……おっと。

 つまり、私がここでナンセンスを語るのは、消去法によるものとはいえ大いなるサービス精神と人間愛の表れであり、天よりも広く海よりも深い私の心だからこそなせる術である事を強調しておきたい。分かったら、諸兄らは「ここで笑って欲しいんだろうな」という部分を察知した場合すぐさま笑うべきである。笑えって言ってんだよこの野郎ッ。

 更にはフォントカラーやボールドを極力使わないのも人間愛である。なかなか更新しないのも人間愛である。更新したらしたで冗長な文を書くのも人間愛である。そう考えると、私とは何もかもが人間愛で出来ている。そろそろこの暴走する人間愛を少しでも昇華するために、南米あたりに土地を買って、諸兄らと集団移住して町を作るべきかも知れぬ。王様は僕だ、家来は君だ。

 諸兄らも気付いているだろうが、人間愛とはつまるところ、厭世のなせる業なのだよ。

2022年6月26日日曜日

『事故物件 恐い間取り』映画評

 (これははてなブログからの引っ越し記事です)

『事故物件 恐い間取り』(2020年/松竹)

得点…46/100

 亀梨和也(KAT-TUN)主演|映画『事故物件 恐い間取り』Blu-ray&DVDが2021年2月10日発売 - TOWER RECORDS  ONLINE

 "事故物件住みます芸人"こと松原タニシ氏のノンフィクション『事故物件怪談 恐い間取り』を原作としたホラー映画である。

 ノンフィクションが原作というと、ニューヨーク州はアミティビル、オーシャン・アベニュー112番地で起こったデフォー一家殺害事件とその後の騒動に題を採った『アミティビルの恐怖』(ジェイ・アンソン)を原作とした映画『悪魔の棲む家』(1979年/AIP)を思い出すが、ロジャー・コーマン御大が去った後のAIPの映画には見るべきものがなく、この映画とて例外でないので諸兄らは観なくてもよい。ちなみにジェイ・アンソンによる原作はかなり誇張されて書かれているらしいので、ノンフィクション物件ホラーなど基本的に眉唾なのだと言える。

 クズホラー愛憎家としては、原作の時点で「かなり怪しい題材を選んできたな」という懸念があったのだが、こちらの映画も残念ながらこの懸念を裏切ってくれるものとはならなかった。ちなみにこちらの原作であるルポもかなり、いや相当にテケレッツのパァな出来なので、諸兄らは読まなくてもよい。

 以下、本文中の著名人の敬称は省略する。勿論、ネタバレにも一切配慮していないので留意されたい。

 

 映画は売れない芸人・山野ヤマメ(亀梨和也)が、ある日相方の中井大佐(瀬戸康史)にコンビ解散を告げられるところから始まる。

 中井はコネで放送作家の卵となったものの、ネタも書けない山野は路頭に迷う日々。中井も中井で提出した企画が全て没を食らい、苦し紛れに出した案が「事故物件に住んでみる」というものだった。山野は半ばとばっちりを食らう形で、その企画を実行することになる。

 鑑賞を始めてまず最初に気にかかったのは、亀梨和也の眉がバッチリ決まりすぎていることだ。まあ一応は演じる役も人前に出るキャラクターであるし、当人はアイドルなのだから、もしかすると事務所の意向なのかも知れないが、ホラーの主人公には生活感というか、一種の隙のようなものが必要なのである。その描写が巧ければ、主人公が怪異に巻き込まれていく蓋然性というのも理解しやすくなり、鑑賞者は主人公と一心同体となる。

 細かい話かもしれないが、神は細部に宿るのですよ。ノンフィクション・実話怪談を標榜するのならば、細かなリアリティというのはなお蔑ろにしてはいけない部分ではないか。事務所の顔色を窺わなければならなかったのだとすれば、これはミスキャストだと言える。

 ちなみに、山野・中井のコンビ(ジョナサンズ)の当て馬としてブレイク中の芸人コンビというのが出てくるのだが、この片割れが加藤諒なので私は笑ってしまった。瀬戸康史と合わせてNHK Eテレ欲張りセットの如きキャスティングである。

 山野が事故物件に住み始め、最初の怪奇現象を録画するまでは特に特筆することもない。丁寧でもないが杜撰でもない、当たり障りのない展開である。

 ただし、「女が殺された」という触れ込みの部屋で、電話口から女の"笑い声"が聞こえるという怪奇現象が起こるのは、感情的に言えばやや矛盾している気がする。この些細な矛盾を更に積み重ねれば、より怪奇現象は解釈や理解を拒絶していき、恐怖を演出するのに一役買ったと思うのだが、これ以降特に(感情的に理解しがたい)怪奇現象が起こることはない。

 つまりこの挿話は、原作にあった電話にまつわる怪現象(よく分からない言語で捲し立てる留守電が入る)を映画にも突っ込みたいが故に創作された部分だというわけだ。そうなると鑑賞者には妙な引っかかりと居心地の悪さだけが残ってしまう。

 この時録画された映像(白い布のようなものが映り込んでいる)が、視聴率低下にあえぐバラエティ番組の1コーナーで放映されるとたちまち話題となり、山野の知名度も大きく上がることになる。中井は苦し紛れとはいえ自分の提出した企画が番組プロデューサーにかっさらわれる形になり、他の企画が通らない故に番組企画を外され、心中穏やかではいられず、山野の部屋に転がり込んで怪奇現象を録画する手伝いをすることを決めた。

 この成功の後、ジョナサンズ時代から山野のファンであり、メイクアップ担当見習いとしてTV局に出入りしていた小坂梓(奈緒)を誘い、山野と中井はささやかな祝賀会を開く。大阪らしくお好み焼きを食べながら、山野は自分が芸人を目指したきっかけを語る……のだが、この挿話が今後特に活かされたりしないのが残念だ。その内容も端的に言えば「人を笑わせたいから」以外のものはなく、芸人を目指す人間なら100人中101人は同じことを思ってるだろう、としか思えないのがよくない。最近の芸人達が何かにつけ語りたがる、判で押したように似たり寄ったりの苦労話を聞かされているようで、見え透いたお涙頂戴感が鑑賞者を醒めさせる。

 温かな食事は生の象徴であり、死や恐怖との落差を作るため、ホラー映画では殊の外多用される演出である。スラッシャーの古典『悪魔のいけにえ』(1974年/ブライアンストン・ピクチャーズ)では夕餉の食卓そのものが恐怖の現場になっていたし、同じ中田秀夫監督作品では、あのへなちょこサイコホラー『クロユリ団地』(2013年/松竹)でも、穏やかな朝の食卓に違和感をねじ込むことで戦慄を高めていた。このシーンは驚くほどレベルが高いのだが、それと同時に同作の中で唯一褒められる部分なので、時間を無駄にしたくない諸兄らは観なくてもよろしい。

 ところが本作の食事シーンは、"芸人の苦労話"を恥ずかしげもなく開陳する以外には、自然な流れで小坂を山野の部屋へと連れて行くための「つなぎ」としての機能しか持っていない。完全に使い方を間違えているというか、どうせこのシーンを入れなければならないのであれば、もっと作り手や原作者の感情が出ない構成にするべきだった。

 というわけで、中井と小坂の両名は山野と連れだって問題のアパートに来るのだが、ここで小坂が所謂「見える子」ちゃんであることが発覚する。具体的にはアパートの前の駐輪場で黒い人影を、部屋の前の廊下でバールを持った不審者を目撃してしまう。

 昔ながらのカメラワークやアングルの工夫で見せる後者はともかく、ハエがたかっているようなチープなCGで怪異を出してしまう前者は最悪だ。何の恐怖もない。そしてスクリームクイーンであるはずの奈緒の演技は大根そのもので、ホラーというより百面相を観ている気になってくる。演技に緩急がないのだ。最初からフルスロットルなのである。コロッケの顔面モノマネの方がよっぽど緩急がついている。

 ちなみに小坂が見たバールを持った不審者は殺人事件の加害者なのだが、何故加害者まで幽霊になっているのかというと、既に刑死しているからである。そう来たか。一応辻褄は合っているな、一応でしかないが。

 前回以降めぼしい怪奇現象が撮影出来ず焦った山野は、ふとした拍子に小坂が「見える子」ちゃんであることを知り、撮影のアタリをつけるために部屋へと招く。しかし小坂はカメラの前では何も感じ取ることが出来なかった。

 休憩中に小坂は殺人事件当時のシーンを"見て"しまうのだが、ここも演技が大根過ぎるあまり、乾いた笑いしか出てこない始末である。被害者役・加害者役の演技はなかなかいいのだが、如何せんヒロインがこれでは。これ以上奈緒の演技について論っても意味がないので、以下の文ではそれらは全て省略する。

 なんとというかやはりというか、ずっと回していたはずのカメラは途中で録画が途切れており、問題のシーンは一切映っていなかった。その後山野はアパートの駐輪場で、中井はTV局に向かう道すがらで、全く同じ姿をした赤い服の女と遭遇するのだが、この女というのがあまりにも存在感がありすぎて、昼日中に立っているともはやジョークなのである。せめて暗がりに立っていてくれればまだ見られる映像だったと思うのだが、おそらく適したロケーションがなかったのだろうなあ。

 赤い服の女の袖口から血がしたたり落ちるシーンもあるのだが、どんなに音響ではったりを利かせようと肝心の映像に恐怖感がないので、私は以前観た"細かすぎて伝わらないモノマネ"の『何が漏れてんのか知らんけど歌どころじゃない京都のストリートミュージシャン』というネタを思い出してしまった。「何が漏れてんのか知らんけど駐輪場でライブどころじゃない大阪のストリートミュージシャン」というタイトルが脳内で、「ピピン!」という効果音とともに例のフォントで被ってくる。それほどまでに映像に緊張感がないのである。関根勤も笑っているだろう。ちなみにこの後山野と中井は同時に車に轢かれる。

 1ヶ月後、山野はついにバラエティ番組レギュラーの座をもぎ取った。新たな事故物件を探すため、不動産屋に赴いた山野に横水(江口のり子)という社員が対応する。ここは江口のり子の怪演が光るシーンなのだが、亀梨和也の顔をどうしても画角に収めたいカット割りのせいで、平面的で奥行きのない画になってしまっているのが惜しい。そもそも本作は亀梨和也を背中から映すシーンが殆どなく、常にいつでも登場人物を横に並べて喋らせたがるので、それが基底に流れるチープさを補強してしまっている。どのシーンを観ても、書き割りの中で演じているようにしか見えない。いや実際書き割りなのだろうが、それを隠しもしないのではもはやドリフのコントである。我々は映画を観たいのだが……。

 殺人があったという部屋を即決した山野は、早速中井と共に移り住む。部屋に荷物を運び込んだ山野と中井の後ろからは、例の黒い影がぴったりとつけてきていた……のだが、ここではもう完全に黒マントの人物の形をしており、恐怖感は皆無である。しかもそのシーンにわざわざ2カットも使って長々と見せるので、とにかくテンポが悪い。こういうのは一瞬だけ、しかも遠方に見せるから怖くなるのであって、「はいこちら!」と明示してしまうとジョークになってしまう。

 この部屋も部屋で、目に見えるところに血痕が残っていたりして、もう遊園地のお化け屋敷のようなテイストである。事故物件怪談の題材を1軒に絞らない以上、手早く話を進めたいという制作陣の思惑が透けて見えるディテールのツメの甘さがここでも光っている。

 山野はついにルポ本(原作の『事故物件怪談 恐い間取り』のことである)を上梓し、講演も満員で売れっ子芸人の仲間入りを果たす。小坂はその山野の肩にふわふわとまとわりつくような髪の幽霊を見るわけだが、これもあまりにも実体感がありすぎるので怖くもなんともない。その後ジャンプスケア的演出が入るが、これも怖くないので論ずるに値しない。ジャンプスケアでジャンプできないって相当だぞ。

 一方、郷里の母が倒れたという知らせを受けた中井は、撮れ高を焦るあまり小坂を再び部屋に呼ぶことを提案する。山野は仕事の失敗で落ち込んでいる小坂を励ますふりをして部屋に招き撮影を開始するも、小坂は何も感じ取ることが出来ず、その挙げ句風呂場の敷居でこけた山野に押し倒されラッキースケベを食らう始末であった。私にはこのラッキースケベ演出が本当に唐突かつ作劇上必要があるとは到底思えず、もしかすると本作は亀梨和也のファン層に向けた追っかけ映画でしかないのでは?と疑い始めてしまったが、おそらくそれが真相なのだろう。

 山野が電話に出ている間風呂場に取り残された小坂は、この部屋のかつての住人であり、殺人事件の被害者である老婆の霊に、洗面台に顔を押し付けられて殺されかけるのだが……このシーンには複数の問題がある。まず、恐怖演出としてあまりに凡庸すぎるという点。老婆は「振り返ったらいる」というベタすぎる登場をするため、全く怖がれない。タイミングが把握できてしまうのだ。そういうひねりが本作には一切ない。本当に一切だよ。割り切った作りである。次に、奈緒の演技が……いや、この話は全て省略するのだったな。このシーンが特に最悪だとだけ書くに留める。次に進もう。

 山野が情報や状況証拠から推理した殺人のシーンは、被害者・加害者役の役者の怪演もあって鬼気迫るものがあり、正直言ってげんなりする。それはひとえに他のシーンがあまりに凡庸以下であるためで、1から10までこの調子で進んでくれればまだ見応えのある作品となっただろうに……と思わざるを得ない。

 小坂を送って山野が帰ってくると、中井が大急ぎで荷物をまとめていた。実家の工場で火事があり、父が生死の境を彷徨っているという。「誰かが死んでからでは遅い」と事故物件に住み続けることをやめるよう説得する中井に対し、山野は今更やめるわけにはいかない、と言って次の事故物件を探すのだった。

 3軒目は先月首吊りのあった部屋だった。ロフトでごろつく山野を見つめる黒マントの人。もうジョークでしかない。この緊張感のなさはなんとかならんのか。そのうち山野はロフトに上がるはしごの手すりに凹みがあることに気付く。それに触れた瞬間猛烈な頭痛に襲われ、ついには仕事を休んでしまった。ちなみにこのシーンでは再び気でも狂ったかのような音響効果がかかるので、鑑賞者も頭痛を引き起こしそうになる。いや、それ以前にも頭が痛くなるようなもの散々見せつけられましたけど……。

 前後不覚に陥った山野は自分の首に紐を巻き付け首を吊りかけるが、その身を案じ小坂が訪ねてきたことで間一髪救われる。小坂が事故物件公示サイトで調べたところ、この部屋では2人が死んでいたことが分かった。その理由は頭痛。いや、本当に頭痛から逃れるためだったと説明されるのだよ。

 ところで、目の奥や眼球を中心に周期的に激しい痛みの発作が起こり、日常生活に差し支えるほどになる群発頭痛という病気は実在する。海外ではその痛みの酷さ故に"自殺頭痛"とあだ名されることもあるそうだが、現代の医療では予防こそ出来ないものの対症療法は確立されており、適切な治療と服薬を行えば軽減することの出来る病気である。みんな病院行ってくれ。

 山野のコーナーは順調に数字を稼ぎ、ついに番組は全国ネットになることが決まる。山野もそれに伴い東京近郊の事故物件を探したところ、千葉市の2DKのアパートが引っかかってきた。恋人同士が無理心中を図ったのだという。

 小坂は間取り図だけからでも何かを感じられるのか山野を必死に止めようとするが、やっとスターダムへの切符を掴んだ山野には響かず袖にされてしまう。このシーンはメロドラマ崩れの破廉恥なBGMをはじめとした、「邦画のダメなところ」を寄せて集めて煮こごりにしたような出来だ、といえばそれ以上の説明はいらないと思う。中田秀夫のメロドラマ趣味がここで顔を出してしまった。

 上野駅に着いた山野は突然怪しげな男(高田純次)に呼びとめられる。高田純次は山野に悪霊が憑いていると言い、お祓いを勧めてお守りを手渡した。ちなみに700円である。このシーン、高田純次があまりに高田純次なので、私は戸惑ってしまった。ここは笑いどころかも知れないと思ったのだ。笑いどころであれば笑うべきだとも思ったが、それはここまでの低調な演出を笑っていたのとは別種の笑いだ。笑っていいのか悩ましい。まさかホラー映画を観ていて、売れない芸人のコントを観るような心持ちにされるとは思ってもいなかった。

 物件についた山野は、荷ほどきをする間もなく部屋の真ん中で突然倒れてしまう。私は不覚にもここで爆笑した。何もかも高田純次が悪い。高田純次の布石がなかったら、こんなに笑うことはなかったと思う。夜も更けてから、やっとインターホンの音で目覚めた山野は恐る恐る玄関を開けるも、勿論そこには誰もいなかった。

 大阪で仕事を続けている小坂は、中井から山野と縁を切るよう忠告される。中井は事故死した父の後を継ぐべく、放送作家の仕事を辞め、実家の工場に帰るのだという。そう忠告されたのにも拘わらず、なお小坂が山野の事故物件生配信を観ていると、画面の山野の顔が黒く歪んで映った。ここでも奈緒の演技が……いや、やめようこの話は。

 数日後、帰宅した山野が眠ろうとしていると、部屋の明かりが消え、何者かに足を掴まれる。見れば痩せこけた老人で、驚いて振り返れば、備え付けの冷蔵庫の中で太った女がバターを食っている。天井裏からサラリーマンが這い出し、押し入れから包丁を持った女が飛び出して板間にいる男を刺す……特に前触れらしいものは何もなく、いきなり百鬼夜行が始まってしまうのである。ここまで緩急の付け方がおかしいホラー映画は久しぶりに観た。勿論幽霊の皆様は極めて実体感がある。

 取り囲まれた山野が必死に高田純次から700円で買ったお守りをかざすと、幽霊の皆様はかき消すようにいなくなってしまう。すげえな高田純次。たった700円ですげえ効き目だな高田純次。スピリチュアル界のバルサンみてえだな高田純次。勿論このシーンでも私が失笑してしまったことは言うまでもない。

 その後は満を持して、黒マントの人の登場である。バルサン高田のお守りも粉砕されてしまう。すげえな黒マントの人。酸欠の金魚のように口をパクパクさせるだけの山野の耳に、インターホンと小坂の声が響く。……ここまで来たら、もう少しひねりがあるかと思った私がバカだった。ホラーの終盤で聞こえる声は偽物だと相場が決まっているぞ、と私は思っていたのだが、小坂は本当に来ちゃってるのである。本当に扉バンバン叩いて、最初に山野に会ったときに貰ったコントの小道具の傘で、窓を突き破って突入してくるのである。全くひねりがない。すごいでしょう?この割り切った作り。

 黒マントの人も負けじと山野と小坂を何らかのパワーで操り、無理心中を図った先住者になぞらえて互いを殺させようとする。このシーンの亀梨和也の大根っぷりも特筆に値するが、こんな映画出来れば観て欲しくはないのでおすすめはしない。

 そんな中、部屋に飛び込んできたのは中井だった。お前も来るんかい。割ともっさりした動きで2人を引き剥がそうとする中井。その間待っていてくれる黒マントの人。やさしい。

 中井は持参した魔除けグッズを黒マントの人にぶつけるが、どれも蛙の面に水である。中井は電話越しに横水の助言を聞きながら、線香の束に火をつけて真言を唱えその火を吹く。すると火花が飛び散り、黒マントの人を取り囲んだ。黒マントの人の動きが止まった間に、山野と小坂も正気に戻る。激おこ黒マントの人、一瞬隙が出来た中井をメンチビームで吹き飛ばす。中井が必死に火花を飛ばすも、黒マントの人はそれを周囲にため込んで弾き返そうとしてきた。……言い忘れていたが、このアパートは木造である。燃えるよアパート。黒マントの人の攻撃を、小坂が持ってきた傘で更に弾き返す山野。虚を突かれてぐにゃあっ……(©福本伸行)となる黒マントの人。

 ……うーん、これアレだ。ハリー・ポッターだ。さあ皆さんご一緒に、エクスペクト・パトローナーーーーーーーーーーーーーーム!!!!!!!!……観る側もこんなテンションでなければやってられないんだよ、この映画。

 なんとか脱出に成功した山野らは、部屋の前の廊下でへたり込んでしまう。その場所がちょうど部屋の窓(小坂が突き破ったところ)の真下なので、私は「ああ!窓に!窓に!」と思ったのだが特に最後っ屁の演出はなかった。ホラー映画に求むべきひねりがなさ過ぎて、鑑賞者のSAN値はガリガリ下がっていく……。

 さて無事大阪に帰った山野と小坂は、横水に同棲のための物件を見繕って貰っていた。しかしどこからともなくやって来た黒マントの人が横水に取り憑くと、横水はふらふらと店を出て、そのままトラックに轢かれてしまう。山野と小坂は、近隣のアパートの窓にぶら下がった首吊り死体と黒マントの人に見下ろされながら不動産屋を後にするのだった……このラストシーン、一切誇張していない。すごいでしょ?何これ?我々は何を見せられているのか。

 エピローグに出る松原タニシ氏の結びの言葉もよく分からないというか、本作の本旨から少しずれているように思われる。氏の文章力はその程度なので、本作を見た後で原作にあたることも決しておすすめしない。もし手に取るのなら、続編の『事故物件怪談 恐い間取り2』から読むことをおすすめする。こちらでは優秀な編集者がついたのか、それともゴーストライターでもいるのか、文章力に些かの向上が見られるからだ。

 

 さて長々と書いてきたが、以上がこの映画の全容とツッコミどころである。……もうね、酷い。この映画は全方位的に酷い。それでいて、なんだか仕様書通りには仕上がっている感じがあるのだ。先にも書いたが、これは亀梨和也のファンに向けた追っかけ映画の感がある。でなければ無意味にラッキースケベやシャワーシーンを盛り込んだりしないだろう。そういう本筋とずれたコンセプトありきで脚本が組み立てられている気がしてならない。芸人の起用も多く、映画全体が楽屋ネタと化してしまっている。

 この映画に恐怖はない。新奇性もない。全編を通じて「まあ及第点が目標かな」という投げやりな姿勢が目立ち、面白いものを作ろうという気概が全く感じられない。まともな役者は江口のり子だけである。しかしながらストーリーに壊滅的なほどのねじれはなく、一応まとまってはいるので、『犬鳴村』(2020年/東映)よりも高い点数をつけざるを得なかった。よって、大負けに負けてこの点数である。

 

 2020年はクズホラーの当たり年だね、と楽天家は言うだろう。その両者が、かつて一世を風靡した巨星の凋落した姿だったとしても。この映画評も既に文字数は9000字に迫り、冗長記事となっている。私ももはや恒例になってしまったフレーズを何の臆面もなく用いて、これを結びの言葉としたい。

私は悲しい。中田秀夫という巨星の凋落が。こんなものしか撮れないJホラーの凋落が。そして何よりも、この映画を観てしまったという現実が、私は悲しい。

2022年6月19日日曜日

怪談にいたる病

(これははてなブログからの引っ越し記事です)

 この度、しばらくぶりに映画評を書こうと思って映画を数本借りてきたのである。

 映画評を書くのは大変だ。その映画を観ていない諸兄らにも伝わるように分かりやすい解説を書き、トホホな部分を針小棒大に論い、いい部分は素直にいいと言う。全体の流れを何度も確かめ、ネタバレに無配慮だとピィピィ喚く輩達の口に石を詰め込んで歩く。こう書くと簡単そうに思えるが、その実結構精神力を使う作業なのである。それに私は映画評を書く場合、対象の映画を必ず2回以上は観ることにしている。勿論その時間もバカにはならない。

 つまり何が言いたいのかというと、映画評は一朝一夕に書こうと思って書けるものでもないのである。書くにしたところで、しばらく健康不安のために雑文の執筆をサボ……もとい、休んでいたので、リハビリが必要だ。

 というわけで、私はリハビリがてら書いた怪談話を2本ほど、再び投下する次第である。ネタがないからではない。「こいつ困ったら怪談書いてるな」と思った諸兄らは、そのままお口をチャックして頂きたい。さもなくば私は泣きます。いいんですか泣きますよ。それはそれは見苦しいですよ。いいんですか。

 雑な枕はさておき、本題に突入するとしよう。

 

「トンネル」

 これは父からつい先日聞いた話である。

 その日父は、高速道を2時間ほど走ったところにある温泉地に向かっていた。何分、仕事や家事などのするべきことより自由を謳歌するのが好きな性分である。その悪い面を私がそっくり遺伝で受け継いだことは言うまでもない。

 私達が住んでいる市の反対側に抜け、隣のO市、更にその隣のY町を経由する高速道に乗った父の車は、O市とY町の境にあるトンネルにさしかかっていた。

 何の変哲もない、至って普通のよくあるトンネルである。長くも短くもない。トンネル内が緩やかにカーブしているため、入口から出口を見通すことは出来ないが、入って少し走れば出口が見えてくる……という、その程度のトンネルだ。

 平日だったこともあり、高速道を走る車はまばらである。父の車の前には、かなり車間を開けて数台の車がいるかどうかだった。

 トンネルの出口が近づいてきた時だったという。前を走る車の向こうに、車道を横切る人影が見えた。

 トンネルを吹き抜けてくる風に、ゴワゴワとした上着の裾が翻っていた。その質感はトレンチコートか、雨合羽のようだったという。えび茶色の上着を着た人物が、トンネルを出たところからほんの数メートルばかりの距離を、左から右に横断していた。

 父は「あんなところを横断するなんて危ないな」と思ったが、すぐに思い返して違和感に気が付いた。ここは高速道である。歩行者の立ち入りは勿論許されていない。

 すぐに思い当たったのは、高速道への誤進入であった。特に老人に多いが、自転車や歩行者の誤進入は意外なほど頻繁に発生しているという。

 しかしながらその推理には弱点があった。このトンネルはちょうどサービスエリアや料金所などの中間に位置していて、人間が歩いて立ち入るのには無理のある場所なのだ。それに、高速道の真ん中をああして歩行者が右往左往していたら、サービスエリアや料金所などの侵入地点からもっと近い場所で通報され、既に確保されていそうなものである。

 えび茶色の上着の人物は、再び横断することもなく、道路の右端に立ち尽くしていた。行くでもなく戻るでもなく、ただ呆然と立っているように見えたという。

 父は万が一誤進入だった場合に、通報に備えて人物の風体を掴んでおこうと、人物から目を離さないようにしてトンネルの出口付近で少し速度を緩めた。

 しびれを切らしたのか、後続車が1台、父の車を猛然と追い越していった。すると、その車が通り過ぎた後には、あれほど目立っていたえび茶色の上着の人物が忽然と消えていたのだという。

 トンネルを出てからも、サイドミラーやルームミラーにあの人物が映らないか気をつけていたそうだが、問題のえび茶色の人物はトンネルの出口が見えなくなるまでの間、どこにも映らなかった。

 

 その日帰宅した父は、やや興奮気味に私にこの話を聞かせた。

「絶対人間だった。道路を左から右に横断してた。見間違いなんかじゃない」

 そう力説する父に、私は話を聞いている最中から引っかかっていたことをひとつ尋ねてみた。

「その人が着てたのって、本当にえび茶色のコートだった?」

「そうだよ。赤みを帯びた茶色だった」

「それってさ」

「何?」

「乾いた血の色だったりして」

 

 どうにも気になった私は、その近辺で死亡事故が起こっていないかどうか調べてみたのだが、ざっと調べた限りでは、その辺りでは死亡事故はおろか、交通事故そのものが起こったこともなかった。

 えび茶色の人物は、何を待って立っているのだろうか。

 

 

「窓」

 これは恥ずかしながら私の話である。

 しばらく前から、運動不足の解消も兼ねて深夜徘徊をしていた。大抵は夕食後、夜10時前後から、町をぐるぐる歩き回るのである。

 幸いにも我が町は治安がいいので、これまで何か危険な目に遭ったとかいうことはない。ただ、ほんの3メートルばかり前方から突然キツネが飛び出してきて、にらみ合いになったことならある。キツネとはいえ野生の動物である。エキノコックスのこともあるし、正直肝が冷えた。こちらが一歩動くと、キツネは弾かれたように駆け出して夜の闇へと消えていった。

 と、このようにして夜の町を歩いていると、気付くことがある。

 それは、夜間の家々は、意外なほど外部からの観察者に対して無頓着であるということだ。流石に1階のカーテンやブラインドが開いていることは稀だが、2階の窓や高所にある窓などは、煌々と内部の明かりを外部まで漏れさせていることが多いのである。

 あまりいい趣味とは言えないのでこんなことを書くのは心苦しいのだが、実は私はそのような窓々を眺めながら歩くのが結構好きで、私の中の下卑た野次馬根性をちょうどよく消化してくれるので重宝していた。

 念のため書いておくが、住人の着替えを窓越しに覗き見たり、干されている下着を探したりなどは一切していないし、またする気もない。私はただ、見えるものを見ていただけだ。例えばそれはしおれかけた観葉植物であったり、壁を埋める背の高い本棚であったり、あるいは猫や犬だったりする。私はただ、私以外の存在が生活している証拠を、窓越しに眺めるのが好きだったのだ。

 中には不気味な家というのもあり、通りに面した出窓をぎっしりぬいぐるみで埋めてあったりして、これを夜見るとかなり怖い。しかもぬいぐるみ達の顔は全て外を向いているのである。もう私のような不審者を怖がらせるためにやっているとしか思えない。

 あるいは、通りに面した窓という窓に時計が掛けられている家もあった。1枚だけ時計が掛けられているなら分かる。1階の窓に全て掛けられていたとしても、まだ分かる。よほど時間が気になる住人なのだと思える。しかし、窓という窓に時計が掛けられているとなると、これはかなり異常である。何せ2階の窓にまで時計が掛かっているのだ。手すりもベランダもない2階の窓に時計を掛けて、誰が見るというのか。釈然としない。

 とある切妻屋根の家の、屋根裏部分にあたる窓の縁から、巨大なE.T.のぬいぐるみが通りを見下ろしていることに気付いた瞬間もかなり怖かった。ご丁寧にも、我らがE.T.君には下から照明が当たっているという気合の入りようである。もし私が車の運転をしている最中にそれに気付いていたら、ハンドル操作を誤って事故を起こしただろうという自信がある。

 このように、ちょっと意識して見てみると、変な家や不気味な家は思いの外多く存在しているのだ。しかしそれはあくまで住人達の意思で行われていることであり、何かしら異常だったとしてもそれは住人のほうであって、家そのものが異常なわけではない。そう思っていたからこそ、私は深夜徘徊と窓々の観察をやめなかった。

 ある夜のことである。私は今まで足を踏み入れたことのない住宅街を徘徊していた。

 この住宅街というのは、国道と高速道、それなりに大きなバス通りに囲まれた三角地帯で、そのいずれからもやや坂を下ることになる立地にあった。早い話が、すり鉢のように一段くぼんだ土地に造成された区画だったのである。一辺を高速道が区切っているため、この区画に入るには国道かバス通りから行かざるを得ず、加えて片手で足りる数の道のいずれかを選択する必要があった。すなわち、区画全体がひとつの袋小路のようになっているのだ。

 私は行きと帰りで同じ道を通るのがあまり好きではない。学校や職場など、何か目的地がある場合は脅迫的なほど同じ道を通りたがるのだが、目的もなくぶらついている場合は、(より多くの窓々を観察するという意味もあって)なるべく違う道を選択したかった。よって、往路と復路で同じ道を選択しなければならない区間が多くなるこの区画には、足を踏み入れてこなかったのである。

 にも関わらずその住宅街を歩いていたのは、本当に単なる気まぐれだったとしか言いようがない。他の手近な住宅地は概ね探索してしまったし、目的もなくただ遠くへ遠くへと歩くと、帰ってくるときがしんどいのだ。

 とにかく私はその住宅地に足を踏み入れ、徘徊がてら窓々の観察を行っていた。

 実際のところ、2階の窓というのはどの家もそれほどバリエーションがあるわけではない。大抵は本棚や机などの家財が見えるだけのことが殆どである。だからこそ私は窓から窓へと視線を絶えず動かしながら歩いていたのだ。

 その住宅街の中でも最も海抜の低い位置、要はすり鉢の底に到達した私は、その交差点からいちばん急な坂を選んで登り始めた。この坂というのがかなり急で、かつ舗装が非常に荒れている。文字通り穴だらけであり、街灯もまばらな中では足を取られてしまいそうで、私の視線は自然とつま先に落ちた。

 坂の半ばを過ぎると、かつては生け垣だったのであろう低木が野放図に伸び、歩道を半ば覆い隠さんばかりになっている庭が目についた。坂のいちばん上には、それなりに大きな家があるらしい。

 坂をほぼ登り終えても、敷地が一段高くなっている上に低木がかなり生い茂っているため、家の全容は見えてこなかった。しかしながら、この家も例に漏れず、2階の窓から光が漏れていることはうかがい知れた。

 坂を上り終えた私は、その家の全容を見ようとして角を曲がった。そして、生け垣の切れ目から、それを見たのである。

 それは規模が大きいことを除けば、至って普通の家だった。黒っぽいガルバリウム鋼板の外壁に、白い窓枠が散っている。向かって右手にはカーポートがあり、そのすぐ左隣には簡素なポーチがあって、その奥には建物全体の印象からすればやや不釣り合いにも思える木製の玄関扉があった。家の前には庭があり、生け垣の切れ目からレンガが敷かれた短いアプローチがポーチまで続いていた。

 ここまでなら、どこの町にも1軒はある家かも知れない。しかし、この家は死んでいたヽヽヽヽヽヽヽヽヽ

 カーポートの屋根部分に張られたポリカーボネートの板は破れており、ポーチの壁には表札が剥がされた跡が残っていた。庭は所々に鉢やレンガなどが覗いているからかろうじてそれと分かる程度には荒れており、レンガ敷きのアプローチにもその隙間を縫って草がぼうぼうに伸びている。

 この家に、住人はいない。誰が見ても明らかだろう。では私が見た2階の明かりは何だったのか?

 2階には家の正面に面した窓がなかったので、私は今登ってきたばかりの坂を少し下り、先ほど窓の明かりを認めたところまで戻った。

 人間の知覚というのは微妙なもので、家の全貌を把握した今となっては、生い茂った生け垣越しに、窓のある位置もなんとなく把握できてしまう。私は窓を見上げた。明かりはまだ漏れている。

 私は生け垣をそっと手で押しやってみた。生け垣の内側部分には殆ど葉が茂っておらず、細い枝の向こうに2階の窓が見え――それと目が合った。

 家の作りから推測するに、おそらく2階の廊下の突き当たりか、あるいは階段室にあたる部分に出窓がしつらえられており、明かりはそこから漏れていた。そして――その真ん中に、ぽっかりと顔が浮かんでいたのである。やや背筋を曲げて、窓に押し付けるように突き出された、うつろな顔があった。そしてその目は、真っ直ぐ私を見下ろしていた。

 私はもしかすると、短く叫び声を上げたかも知れない。それヽヽと目が合っていたのも、ほんの数秒に過ぎなかったと思う。私は生け垣から頭を引っこ抜き、一目散に今来た坂を駆け下りた。坂を下りきって振り返ったとき、私は家が私を見下ろしているヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽのを確かに感じた。その視線を背中に受けながら、私は最短距離になるはずの道を選んで家へと帰った。

 

 その後、私は結局深夜徘徊を行う勇気がどうしても湧かず、今では昼間に時間を見繕っては町を歩いている。近くにも行っていないので、あの家が昼間どうなっているのかは分からない。ただ、今でもその区画を見下ろす国道沿いを歩いていると、あの家があったはずの辺りから視線を感じることがあるということを書き添えておきたい。

2022年6月2日木曜日

本の回虫

(これははてなブログからの引っ越し記事です)

 困った困った。さて何に困っているかというと金欠である。

 良識のある皆々様は私が金欠だと言うと、代わりに社会の構造欠陥や政府の無策を嘆いてくれるだろうが、諸兄らはたった一言「働け」と言ってお終いにしてしまうだろう。知ってるんですからね。

 勿論私は無職である。働いていないので金がないのである。残念ながら本邦は社会主義を標榜する国家体制ではないので、職にあぶれているのである。かつての社会主義国では3ヶ月間職にありつけないと拘禁を食らったりしたそうだが、私は当局にバレれば一発で5回の終身刑を言い渡されるレベルで無職である。

 何かになりたくて無職なのではなく、何にもなりたくないから無職なのである。かつては私にも夢があったし、それなりに努力もしたが、その過程で精神を病みかけて何もかも失敗し、失意の中帰郷して縁故就職した会社で陰湿な嫌がらせとセクハラを受け、私は完全に社会を信頼することをやめた。

 いや、別に恨みつらみをここで開陳したいわけではないのである。今となってはそれも昔のこと。一時は地下鉄のホーム柵を乗り越えてしまえばとまで思ったが、恨みつらみもやっと薄れてきた。今では、雨が降れば前職の職場が沈めばいいと願ったり、雪が降れば前職の職場が雪害で倒壊すればいいと願っているだけである。うむ、遺恨は根深いな。

 実家に寄生して生きている回虫のような生活ゆえ、職のあるなしが生き死にには直結しないからこそ危機感が薄いのである。起きて飯を食い、クソして寝る生活をしているうちに数年が経っていた。他人の人生など心底どうでもよいので、友人や同期達がどうなっているかなどには興味もない。そもそも友人と呼べる人は片手どころか腕の数で足りるほどしか残っておらず、同期達に至っては学校を出てから連絡したこともないから、例え興味があったところで知りようがないのである。

 話を元に戻そう。なにゆえ金欠なのかである。

 3、4、5月は全般に出版ラッシュであり、新生活で通勤通学時間に暇が出来た人々を狙い撃ちするため、出版社は手軽な文庫本や新書で魅力的なラインナップを次々ぶち上げてくる。入手難が続いていた海外作家の作品が新訳版で再発されたり、人気作家の短編集が書き下ろし込みで出版されたり、暖かくなってきておそらく気の触れかかったのであろう編集部が、奇書中の奇書と呼ばれる本を再発したりするのである。

 文庫本は手軽である。ポケットにも収まるサイズで、町中や電車内で読んでいても別に怪しまれない。少しおしゃれですらある。これが電話帳だったり広辞苑だったりしてみたまえ、それは立派な不審者である。辞書を持ち歩いている人物は残念ながら不審者と見なされるのである。

 生憎、かつて家に他に読むものがなかったため電話帳や辞書を持ち歩き、時には人目のある場所で読んでいた私は既に不審者の側であるので、これ以上怪しまれるような行為は避けたい。二宮金次郎が歩きながら本を読んでいたのだって、子供だから美談にされたのである。私は勿論二宮金次郎に憧れたわけではなく、ただ活字以外の情報を目に入れたくないあまりに、歩きながら文庫本や新書や四六判のハードカバーや地図帳や電話帳や漢和辞典を読んでいたわけだが、それが許されたのも私が子供だったからである。今考えると恐ろしい。よく車や自転車やキックボードや散歩中の犬に轢かれなかったものだと思う。

 それなりの歳になってしまった今、道を歩きながら本を読んでいるところを万が一誰かに目撃でもされたら、間髪入れずに通報されてしまうだろう。そういうときに限って読んでいる本が『殺戮にいたる病』だったりするので最悪である。背負ったバックパックにたまたま包丁が入っていないとも限らない。そうなってしまえばもう言い逃れは出来ない。

 私がいつもバックパックに護身用と称して出刃包丁を忍ばせて歩いているタイプの不審者かどうかはさておき、私は屋外で腰を据えて本を読むことをあまり好まない。

 仙台に住んでいた頃の話なのだが、中心街の古本市で買ってきた文庫本を、アパートの最寄り駅そばにある自然公園のベンチに座って読んでいたことがあった。季節は梅雨前で、仙台の街がいちばん過ごしやすい季節である。少し肌寒かったが、私は本の内容が気になるあまりアパートの部屋に帰る間も惜しんで、そこで読書を始めてしまったのだ。

 活字の小さな古本だった。それを1/3程度まで読んでいたので、1時間かそれ以上はベンチに座っていたことになる。私は鞄に入れた飲み物を取り出そうとして本から目を上げ、そしてぎょっとした。

 公園には他にもベンチはあるというのに、同じベンチ、つまり私のすぐ隣に、いつの間にか見知らぬ老人が座っていたのである。座っているだけならまだいいのだが、老人は私の顔を凝視していた。禿頭に汚れのようなシミが飛び散り、張りのない皮膚が骨張った頬に垂れ下がっている。薄い唇を半開きにして、落ちくぼんだ目は真っ直ぐ私の顔に向けられていた。

 いつ座ってきたのかも分からない老人が、それなりに無理のある姿勢で隣に座っている私の顔を凝視している、という構図に不気味さを覚えないのであれば、それはもはや人ではない。

 あまりのことに脳が機能不全に陥った私は、本を読んでいた姿勢のまま、弾かれるようにベンチを立った。そのまま駅のほうに向けて歩き出し、公園を出るところで元いたベンチを振り返ろうとして思いとどまった。振り返ってまた老人と目が合うようなことがあったら、絶対にあの生気のない顔が今夜の夢に出るからだ。いやそれよりも、もしも振り返ってすぐそばに老人が立っていたら、私はおしっこを漏らす自信があった。

 そのまま(不安からちょっと回り道をして)私は帰宅したのだが、幸いにも仙台に住んでいる間にその老人と会うことは二度となかった。

 そんなことがあった手前、私は屋外で本を読むことは避けている。もしそうせざるを得ない場合は、ひとり掛けの席か角っこに座るようにしているくらいだ。少なくとも公園のベンチで本を読むことはもうない。

 ……また話が大きく脱線してしまった。

 つまり何が言いたいかというと、春先は面白そうな文庫本の出版が重なるため、1冊数百円だからと軽い気持ちでホイホイ買ってしまってから泣きを見るのである。現に泣きを見ている。

 週刊連載の漫画なども春先に単行本が出ることが多く、それらもちまちま買うとそれなりの値段になる。ミリタリー畑の資料本や手記などの出版が相次いだのも痛かった。この辺りの本はあるとつい買ってしまう。ビールの横に売られている豆菓子じゃないんだぞ。

 どだい、本好きという人種はみんなどこかヘンなのである。おっかしいのである。

 本好きという人種の部屋では、本棚の入居率が100%を超過していることなど日常茶飯事である。私の文芸書用本棚などはさながら立体テトリスの如き詰め込まれ方をしており、おそらくではあるが入居率は既に400%を超えている。かつての九龍城のような惨状である。だいたい、何か本を探したりなどしてひとたび本棚から十数冊本を取り出してしまうと、元あったはずの棚に本が戻っていかないのだ。さながら四次元本棚である。

 ちなみに、この本棚は背が高い上に、部屋の構造上出入り口のすぐ横に配置されており、すなわちもし巨大な地震が起これば、本に出入り口を塞がれて私は自室で餓死することになる。

 また本好きというのは、たまに珍しく本を処分したり売却したりして本棚にほんの僅かの間隙が出来ると、喜び勇んで処分した量の3倍にあたる本を買ってきてしまったりなんかしちゃったりするのである。オーバードーズでぶっ倒れて矯正施設に入れられた挙げ句、出所した際に「やった!キレイになった!これでまたドラッグが出来る!」と放言したキース・リチャーズのような話である。まあキース・リチャーズは定期的に血を入れ替えないと死んでしまう奇病であるので仕方ない。仕方ないことがあるか。

 そんなわけで、私は今日も人ひとりの命を奪うには十分過ぎるほど大量の本に埋もれてカカカと笑っているのだ。……うーん、不審者であるな。どうにかして不審者予備軍で踏みとどまろうと思ったが、我ながらぐうの音も出ないほど不審者であった。

 ぐうの音も出ないほどの不審者はおとなしく部屋にこもる以外に処世訓が存在しないのであるからして、私が無職を卒業するのも、金欠が解消されるのも当分先のことになりそうである。

 かつて、「同情するなら金をくれ」と言ったTVドラマがあった。先述のように私は同情される余地は少なく、反対に無職である分、他者に同情する余地は多分にある。いっそこれからは「同情するから金をくれ」だ。他者にむやみやたらに同情してさしあげて、そのお代を頂くのだ。同情をビジネスに出来る時代はそこまで来ているはずなのだ。

 ……そんなことを標榜してオンラインサロンなんかを開催すれば、濡れ手で粟を掴むように銭が手に入ったりしないかねえ。

2022年6月1日水曜日

打鍵するチンパンジーの人工知能

(これははてなブログからの引っ越し記事です)

 いつもは書き出しに困ることなどあまりないのである。

 それは何故かというと、普段は書き出しが固まってから書き始めるからである。ここ情報量ゼロであるな。

 つまるところ私は典型的な「自己ルールに縛られて効率が悪いやつ」なので、本は1ページ目から読み始めねば気が済まないし、小問集合から解き始めねば脳の回転スピードは目に見えて落ち、午後から何か用事が入っていると午前中いっぱいは尻が落ち着かず何ひとつとして手につかないのである。物事は順序立てて説明してもらわないと何も納得できないお粗末なスペックのCPUであるからして、書き出しが決まることもなく本題に入ることなど出来ないのだ。

 これまで数本の雑文を書いてきて分かったのだが、そういうときは適当に指をキーボードの上で動かすのがよい。何もフィンガーダンスをしろと言っているのではなく、文章としての体裁や起承転結、果ては主述の呼応すらあまり考えずに、ただ文字を打ち込むのである。すると思いの外するすると文字が出力されてくる。

 勿論、それは単なる文字や言葉の羅列、良くて怪文書に過ぎないので、必要に応じて推敲を重ねなければならない。しかしながらいつでも脳がとろけたような仕上がりの私の雑文には、あまり必要はない工程とも言える。……そんなことはない。芸人の苦労自慢のようで甚だきまり悪いが、これでもある程度推敲は重ねてから公開しているのである。

 前述のように元はただただキーボードの上で指を動かしているだけで形成される文章であり、タイプライターを叩くチンパンジーが偶然性によって執筆したものとそれほど相違はないのだ。シェイクスピアよりも私の雑文のほうがよっぽどレアリティが低く設定されているだろうから、おそらくチンパンジーを3頭ほど連れてくればすぐにでも相似の雑文が排出されるはずである。

 生憎私にはチンパンジーを3頭飼う余力と資金すらないので、この雑文は全て私ひとりの手で執筆されている。よって諸兄が「この文章は人が書いたのか、チンパンジーが書いたのか」と思い悩む必要はない。もっとも、ここで文章を書いている「私」が、類人猿としては高度な教育を施されたがゆえに同胞を見下しているチンパンジーではないという保証はないのだが。

 代筆といえば、私の文章は一見、流行りの人工知能というものにも執筆できそうであるが、私という天然無能の思考回路を再現するのは逆に難しいはずだ。人工知能というのは、シェイクスピアやダンテやトルストイや谷崎潤一郎などのきら星の如き作家達を読んで文章を学ぶのだから、筒井康隆やしりあがり寿や夢野久作を読んだ上でエログロナンセンス以外を出力している私の文章に近づくことすら出来ないだろう。複葉戦闘機は速度が遅すぎて、すばしこい単葉戦闘機での撃墜が難しい、みたいな話である。

 とにかく、私にもし作家性というものが存在するなら、それは消しゴムやバックスペースによって担保されるのだ。まるで「消しゴムで書く」とまで言われた往年の安部公房のようではないか。書いている内容は天と地ほど、いやチューインガムと二眼レフくらいの差があるが。

 これは余談だが、安部公房には『笑う月』という夢日記の体裁をとったエッセイ集がある。夢の話なのだから支離滅裂なのは当たり前として、あまりに突飛すぎて普通に文学として成立してしまっているのだからすごい。文豪は見る夢すら常人とは異なるのか、と当時中学生だった私は衝撃を受けたものだ。実際には私は常人以下の存在だったわけだが。私の夢はいつもいつも、「高校入試に滑る」という判で押した結末を辿る悪夢ばかりである。

 私は消しゴム、否バックスペースとカット&ペーストで執筆している、と豪語しておきながら、時折文字数が数千字を数えるのはいかなることか、と思われる向きもあると思う。この答えは簡単である。話を薄めるのに原資はいらないからだ。

 インスタントの粉末にお湯をかけて味噌汁を作るのは簡単だが、出来上がった味噌汁を粉末に戻すのは難しい。これと同じことが起こっている。機微の乏しい生活の中でほんの少しだけ立った感情の小波を、悪ふざけと余談を注入しまくって津波にするのは比較的簡単だ。今こうしてただキーボードの上で指を動かしているだけで、もう1700字ほどが出力されてしまった。

 何だってそうだが、本当に難しいのは引き算なのである。料理の美学神髄は引き算である。建築の美学だって引き算である。ホラー映画の美学も基本的には引き算であるはずなのだが、どうも毛唐どもには理解できない概念、すなわち蛮族の蛮習らしいのでこの際どうでもよろしい。そうでなければCGでバンバン幽霊を合成したりゾンビを走らせたりしないはずなのである。それを許せないのは我々が蛮族だからだと、彼らはしたり顔で言うだろう。

 実際のところ引き算が難しくないのは算数だけだ。引き算より掛け算のほうがよっぽど難しい。掛け算よりも難しいのは割り算で、それ以降はもう意味すら分からぬ。自慢ではないが、私はクラスで2番目に九九を覚えるのが遅かった程度には数が分からぬ。未だに24時間表示の時計が読めない程度には数のほうからも見放されておる。高校時分の学内模試では学年首位と同率最下位を同時に取ったことがある。前者は現国で、後者は数学だ。かくなる上は数学を刺して俺も死ぬ。

 ちなみに、私が「自慢ではないが」という枕詞で話し始めた時は大抵本当に自慢ではないので、自尊心がおとうふの角より脆い諸兄達も安心して聞いて頂きたい。私は諸兄のサンドバッグである。殴ればいいじゃないのよ、それで満足するんでしょ。男子ってサイテー!フケツ!

 谷崎の潤ちゃんが喜びそうな話はさておき話を戻すと、薄めきった話のどこを削るかはかなり、かなり深刻な問題なのである。こうしている間にもだんだん興が乗ってきた私はむやみやたらにキーボードを叩き、文章を生成している。厳密にはキーボードの電気的な接点も1回のタイピングでほんの僅かずつとはいえ摩耗しているし、私の睡眠時間や他の創作活動に充てられる時間だってどんどん削れていくのである。これはもったいないことこの上なかろう。そうやって生み出された文章を整理するのではなく削ってしまえば、キーボードの接点も私の時間も無駄死にである。

 100を書いて1を世に出す、というのは創作論の鉄則だ。しかしながら私は数年に亘る無職生活と、それ以前の赤貧学生生活のために、貧乏性が骨身に染みついてしまったため、残りの99はどうなるんですか、とわめきながら、くしゃくしゃの原稿用紙を胸に抱えて地獄の釜に沈むのがオチなのである。隣ではキーボードの接点があっぷあっぷしておる。そしてはるか上空の極楽からは、糸の代わりに照明のリモコンが落ちてくる。諸兄らもご存じの通りである。

 実際には削ってこれなのだが、ここまで既に2700字以上書いてきている。なお文中の文字数は決定稿に準拠している。とりとめのなさでいえばいつにも増して酷い文になりそうだ。待て待て、これはそもそも何の話であったか。

 ……そう、書き出しである。書き出しに悩んでいたのだ、私は。ところがどっこい、文字数は既に3000字に迫っており、ここまで来てから書き出しを悩んでいても仕方あるまい。既に文章は書き出されており、最早ここまでの何が本題だったのかも判然としないが、今の私にとって目下の悩み事はこの文章の結びである。結ぶとして一体何を結ぶのか。

 書けば書くほどその分結びは遠のくが、海水1滴を樽一杯の真水で薄めてしまえばそれは真水にしかならないように、薄めるにしたところで限度というものがある。唐辛子の絞り汁を水で薄めていき、官能検査で辛さが感じられなくなったところを値として記録する辛さの指標、スコヴィル値を測っているのではないのだぞ。

 昔、「終わらない歌を歌おう」と歌ったバンドがあった。実際にはこの曲は3分ちょっとしかなく、割とすぐ終わってしまうのだが、バンドは勿論この曲を歌い続けろと言っているのではない。あくまで精神性の話だ。かつて吉田拓郎は雨に濡れながら『人間なんて』を2時間歌っていたが、おそらくそういうことでもない。

 音楽の精神性を重要視しないのは日本人の悪い癖である。昨今の流感によって、ライブからコール&レスポンスやモッシュがなくなってよかった、などという感想を目にしたときは白目を剥きすぎて眼球が後方宙返りするかと思ったものだ。

 音楽の持つ精神性やライブ演奏の持つ当事者性、即時性を無視するのであれば、ライブなど行かずに家から一歩も出ず、ご自慢のオーディオシステムでハイレゾ音源などを聴いておればよいのだ。きょうび写真で見るミュージシャンと実際に見るミュージシャンにはそれほどの違いはない、というのが私の持論である。ただ動くミュージシャンを見るためにライブに行くことは、本質とは言えない。それは動物園で人混みに揉まれながら、檻の向こうのパンダを見るようなものだ。ライブに行くというのは、精神性を享受しに行くことなのである。

 終わらない歌を歌おう。例え曲は終わろうとも。そしてこの雑文もまた蛇足に次ぐ蛇足で結びを遠ざけることをやめて、むやみにいいこと言った風にして終わっていくのである。ひどい話もあったもんだ。

2022年5月22日日曜日

SDM

 (これははてなブログからの引っ越し記事です)

 ある休日の昼、どこかから帰ってきた父が、私の顔を見るなり「シングルドアマン面白かったよ」と言った。

 私は一瞬のうちにここ2週間ほどの記憶を総ざらいしたが、「シングルドアマン」などという単語に聴き覚えはなかった。何の前提もなしに口に出してきたということは、それは何かの作品名だと考えるのが妥当だろうが、であればこれまでのどこかのタイミングで、父はそれを鑑賞しに行くことを話題にしていたはずだ。

 それはさておき、「シングルドアマン」とは一体どんな作品だろう?父には観劇の習慣がないので、おそらくそれは映画だと思われる。

 私が思い出したのはジョン・ラッツの小説『同居人求む』を映画化した『ルームメイト』だ。あれも小説の原題は"SWF Seeks Same"だった。原題に含まれる「SWF」とはSingle White Female、すなわち独身の白人女性のことで、作中で主人公が同居人を探す際に出した新聞広告から採られているものだろう。

 「シングルドアマン」という響きから、私はまず、都会の人口密集地帯における傍観者効果とか、ひとつ隣のドアの中に誰が住んでいるのかも分からない不気味さとか、そういった視点を膨らませたサスペンス映画なのではないかと考えた。それは面白そうだ。私も観てみたい。

 しかしながら、「ドアマン」とはそもそも、高級ホテルやアパートメントの入口に立ち、ドアの開閉を含む雑務と警備を担う職業のことである。そこにわざわざ「シングル」とつけているのだから、これはもしかすると社会生活の孤独をちょっとハートフルな物語で演出する類いの、『マイ・インターン』のようなヒューマンドラマかも知れんぞ、とも考えた。

 私はもし鑑賞してしまうと自己嫌悪と自己憐憫があまりに大きくなるので、そういったヒューマンドラマの類いはあまり観ないのだが、父は年甲斐もなく時折そんな映画を観ては泣いたりしているので、その可能性は十分ある。ちなみに父はそんな映画の合間に『アウトレイジ』や『孤狼の血』のような血飛沫ヤクザ映画を喜んで観に行ったりもする。よく分からない人だ。

 だが、実態がそのいずれにせよ、私は『シングルドアマン』なる映画の特報を見聞きした覚えがなかった。

 以前書いたように、私は耳が良すぎるため、映画館の音響は強烈すぎ、三半規管にダメージを食らう。具体的には眩暈と頭痛、酷い場合は嘔吐である。

 また眼鏡がないと5cm先のものも見えない強度の近視のため、虹彩がうまいこと働かなくなっており、視界のコントラストが健常者に比べて異様に強調されている。つまり暗いものはより暗く、明るいものはより明るく見える眼なのだ。

 おまけに私はポップコーンが死ぬほど嫌いで、においを嗅ぐのもいっぱいいっぱい、というレベルである。

 つまり何が言いたいのかというと、私にとって映画館という場所は、五感の全てに強烈な苦痛を与えてくる空間なのだ(味覚と触覚については、売店で買う烏龍茶がおいしくない上にすぐ薄まることと、座席が柔らかすぎて映画を1本観ると尻や腰が痛くなることで計上して頂きたい)。

 それなのに、ああそれなのに、映画鑑賞そのものは好きなのだから始末に負えない。映画の特報や予告は割とアンテナを高く張って情報を集めているし、あの嫌悪されがちな、上映開始時間から20分は続く「近日公開映画情報」も楽しく観ていられるタイプなのだ。レンタルビデオの冒頭に入っている飛ばせない「近日レンタル開始映画」の広告も、存在そのものは別に嫌いではない。そのままシームレスに本編がスタートしてしまうことがあるのが嫌なだけだ。

 そんな私の全く知らない映画が公開されていたのか。ヒューマンドラマならばともかく、サスペンス映画であれば面白そうで、きっと興味を引いたはずなのに。

 と、私がここまで考えるのにはおそらく5秒と経っていなかったと思うのだが、会話のキャッチボールとしては完全に失敗している。ボールが転々と転がっている状態だ。パワプロの栄冠ナインでいうところの"魔物"が出たようなものだ。ところで性格が「内気」の球児を並べまくって魔物を出しまくれば甲子園優勝まで出来るって本当なんですかね。

 堂前アナの絶叫が聞こえてきそうな状況にあって、私は何を言うべきか困惑していた。父は私が聞き取れなかったと思ったのか、もう一度同じ台詞を繰り返した。

「『シン・ウルトラマン』面白かったよ」

 最初からウルトラマンの話であったのだ。そりゃまたブラボー、大変結構慶賀の限りであるなあ。ご存じのように私は例の監督(この映画では企画・脚本を務めているようだが)が好きではないので、誰が何と言おうと観に行くつもりはない。

 私は脳の回転にエネルギーを浪費したことを知って、口を半開きにしたまま「良かったねえ」とだけ答えると、長椅子に沈み込んだのだった。

2022年5月13日金曜日

ある中華屋の思い出

(これははてなブログからの引っ越し記事です)

 私が小学生の頃、近所に中華屋があった。

 その中華屋はいかにも町中華、といった趣で、メニューの半分がラーメンとチャーハンなどの飯もの、残りがほぼ定食で構成されており、これといって華のない店だった。メニューはべたつき、テーブルはぐらぐらし、店内には酸化した油のにおいが漂い、スピーカーからはAMラジオが流れている、という、どの町にも2、3軒はあるタイプの店を想像してもらえれば、概ね実態から外れたイメージではない。

 私がその店に初めて入ったのは、10月の雨がそぼ降る金曜日だったと記憶している。私は当時さるジュニアスポーツチームに所属しており、その練習が終わった後で迎えに来た母と、夕食が食べられる店を探して周辺を彷徨ったのだ。

 その日父は不在だった。おそらく飲み会か、会議か出張などでいなかったのだと思う。母も当時はまだ勤めに出ており、金曜の夜8時過ぎから夕食を作る気力はなかったのだろう、練習上がりのジャージを着た私を助手席に乗せて、市営体育館を出た。

 今でこそその周辺は一通り開けた感があるが、当時はまだ店も少なく、街道沿いを一本入れば住宅街と空き地が広がっていた。体育館を出た頃から降り始めた冷たい雨は、次第に勢いを増し本降りになった。私と母の乗った車はとにかく飲食店を探してその中をひた走っていた。

 最初に目をつけたのは、すぐ近隣にあるラーメン屋だった。しかし、この日に限って臨時休業だか既に営業を終えていただかして、ラーメンにありつくことは出来なかった。そのラーメン屋から、直線距離で言えば100mくらいのところにスパゲティ屋があったが、前日の夕食もスパゲティだったのであえなくこれもパスとなった。

 小学生だった私はおろか、母もあまりその界隈の飲食店に詳しくなかったため、私達は路頭に迷ってしまった。今のようにカーナビやスマートフォンが普及する前の話である。開いているのは居酒屋と思しき店ばかり。

 諦めてコンビニ弁当でも買って帰ろう――そう結論付けた私達は、家に向かう方向へとしばらく走ったところにあるコンビニに入ろうとして、その横に隠れるようにしてあった中華屋を見つけたのである。

 店内には既に客は誰もいなかった。ぱっと覗いた限りでは、もう店を閉めようとしているようにも見えた。こうなればダメ元で、と私と母はその店に突入した。後から知ったことだが、この店の営業時間は午後9時までであり、この時の私達は滑り込みの客だったことになる。

 店主らしき老夫婦が、メニューと水を持ってきた。色のあせた1枚きりのメニューの中に、私は興味深いものを見つけた。「カツカレーラーメン」である。

 私は興味本位で、そのカツカレーラーメンなるものを注文した。練習上がりで、とにかく腹が減っていたというのもある。どのような形のものであれ、カツとカレーとラーメンが構成要素であることに間違いはないはずだ。まるで男子小学生が考えた、小学生のためのメニューのようではないか。

 しばらくして、それはやって来た。おそらくカレーの色であろう黄色いスープのラーメンの上には、薄めに揚げられたトンカツが乗っていた。

 私はこの未知との遭遇において、どこから攻めるか考えあぐねた結果、スープを一口飲むことにした。それは味噌ベースの割と軽いスープで、かなりスパイシーだった。悪くない。

 次に麺を啜ってみる。この辺りでは一般的な中太縮れ麺を、口に入れて驚いた。先ほど感じたスープのスパイシーさはスッと鳴りを潜め、隠れていた野菜の甘みが引き立ってくるのだ。これも悪くない、いや、かなりうまい。

 最初に見たときは薄く思えたカツも、食べ進めるうちに、カツとして主張しすぎず、ベースのカレーラーメンを邪魔しない、「カツカレーラーメンの具」として非常に適切な厚さだということが分かった。細かいパン粉の衣も、スープを吸い過ぎることもなく、丁度いい塩梅だった。

 私が夢中になって食べていると、一緒に注文した焼き餃子が6個やって来た。やや大ぶりで皮は厚め、焼き色は薄いながら底面はしっかりパリパリとし、全体はもちもちとした食感である。餡の主体はおそらく鶏肉で、あっさりとした中にも野菜のうまみが詰まっており、ついついもうひとつ、もうひとつ、と箸が伸びてしまう。

 カツカレーラーメンのスープまで飲み干して、私はこの上ない幸福感を噛みしめていた。たまたま飛び込んだのが、こんなに素敵な店だったとは。

 それ以来私はその中華屋では、カツカレーラーメンと餃子ばかりを注文するようになった。しかしながら、本当ならば月に2、3回は行きたいところだったのだが、我が家は父が外食嫌いで、父が不在のタイミング、しかも外食に行く、と決めた時にしか「ここに行こう」と提案することが出来なかったため、多くて2ヶ月に1回、長いときは半年以上無沙汰、ということもあった。

 そうして、終わりは突如やって来た。

 当時中学生になっていた私は、夏休み期間中、昼食を食べに自転車でこの店にやって来たのだが、その時はシャッターが降りていた。仕方なく横のコンビニで弁当を買って帰った。定休日だと思っていたのだ。

 1週間ほどしてまた行ってみると、もう店はなくなっていた。看板は下ろされ、ガラス戸の中にはがらんとした空間が広がっているだけだった。何故か私はさほどショックを受けなかったと記憶している。もう1回餃子を食べておきたかったな、と思っただけだ。

 その後、その場所にはしばらくテナントが入らなかったと記憶している。何かの用事で前を通る度に、その中華屋と私の記憶の死骸が厳然と横たわっているのを見て、たまにカツカレーラーメンや餃子のことを思い出したりした。

 私は高校生になっていた。その頃、中華屋だったビルの一角にはおしゃれなパン屋が入っていた。

 高校3年間はあっという間に過ぎ去り、私は運転免許を取るため近所の自動車学校に通った。場内での教習が終わり、仮免許試験にも合格して、路上教習に出るようになった頃の話である。

 私は教官にルートを指定されながら、普段通らない道を教習車で運転していた。まだ寒い頃で、雪がちらついていた。ある坂道にさしかかったとき、私は「あっ」と声を上げそうになった。

 路肩に溜められた雪山の向こうに、あの中華屋と同じ屋号の店を見つけたのである。屋号だけでなく、オレンジ色の看板も、入口のガラス戸に掛けられた飾りもそっくりであった。

 あの店は閉店したのではなく、移転したのだ!

 私は運転席上で小躍りしそうになり、赤信号を見落として教官がブレーキを踏んだ。

 勿論その日帰宅してから家族にそのことを話したが、私はその1ヶ月後には仙台への進学が決まっていたため、その店が本当にあの店なのかを確かめる機会はなかなか訪れなかった。

 仙台での学生生活は何かと苦労が多く、帰省した折にも普段食べられない寿司や焼き肉などをたかっていたため、その中華屋のことは気になっていたが行くことが出来なかった。

 学校を出て里帰りしてからも、無職をやったり正社員をやったり心を病んだりまた無職をやったり、となかなか忙しく、店の所在地まで分かっているのに行く機会に恵まれなかった。

 その機会は突然訪れた。今日である。父は自分で買ってきたつまみで晩酌をすると早々に寝てしまい、これが絶好機だと思った私は母と示し合わせて、あの日を思わせる雨の中、この店へとやって来た。

 以前の場所より間口は広いはずなのだが、店は以前と何も変わらないように思える。私は年甲斐もなく、少し逸る気持ちを抑えながら、オレンジ色の暖簾をくぐった。

 厨房にはあの老夫婦がいた。色のあせたメニューも、ぐらつくテーブルもそのままだった。違う建物のはずなのに、あの頃と同じにおいがしていた。

 私は迷わず焼き餃子と、カレーラーメンを注文した。カツカレーラーメンはメニューから消えていた。その不在だけが以前との違いだったが、そんなことはもう些末なことだ。私もそれ相応に歳を取った。カツの浮いたラーメンなど、今となっては平らげる自信はない。

 そうしてやって来たカレーラーメンと焼き餃子を一口食べたとき、私は泣き出しそうになっていた。以前と寸分変わらない味がそこにはあった。なぜもっと早くこの店に来なかったのだろう、と思うほど、懐かしさで舌の上が焼けるようだった。

 AMラジオの音に交じって、雨が窓を叩く音が聞こえていた。私達の他に客はおらず、店内は静かだった。

 私はこのラーメンを、焼き餃子を、あと何回食べられるのだろう。

2022年5月10日火曜日

照明と蜘蛛の糸

(これははてなブログからの引っ越し記事です)

 電気屋に行ったのである。

 エー電気屋、電気屋でござい。電気、電気はいらんかねェ。オイ電気屋、電気1アンペアほどくれ!ヘイ毎度ありィ、旦那今日は景気が良いねェ!おっと手元がお留守だよ、活きの良い電気だからね、こぼしちゃもったいないよ。エー電気1アンペアで丁度40匁、1円50銭でさァ。なんだデンさん、まけてくんねえのかい――そんなことはない。従量課金制というのは電気の量り売りのことではないのである。いや実質量り売りではあるのだが、少なくとも電気屋というのは天秤担ぎのことではない。

 持って回った冗談はさておき、所謂電気屋、つまりは家電量販店に行ったのである。同居する父が加齢のためか居間が暗いと言いだし、新しい電灯を見繕う必要が生まれたためだ。

 電灯というのは、もうしばらく前からLEDの天下になっている。学研の学習のふろくについてきた九九マシーンで、何が楽しいのかと思うほどチカチカと安っぽく光っていたあのLEDがねえ、と思うと隔世の感がある。

 電気屋でもホームセンターでも、以前まではあんなに持て囃されていた蛍光灯は肩身が狭そうだ。白熱電球は既に死に体である。

 おそらく近い将来、全ての照明はLEDになるのだろう。私は環境問題について明るくないので、それがいいことかどうかは断言できない。しかしながら、私にもひとつだけ言えることがある。それはLEDの照明は思いの外暗いということだ。

 実際、照明器具の売り場には、「LED照明は部屋の畳数+2畳分の値の大きさを買いましょう」と書かれたポップが貼られていた。その前に、「8畳用」「14畳用」などと大書された照明器具が陳列されているのである。

 この「+2畳」という照明の選定法が一種のローカルルール、あるいは裏技のようなもので、照明器具のメーカーは推奨していない、というのであればまだ分かる。人間の知覚はいい加減なものだ。計器は同じ値を指していても、人間には違って見える――ということはザラに起こる。

 しかしながら、メーカーもそのことは了承しているが、数値上は同じであるため従前の畳数規格を貼って出荷している、というのであれば問題である。そんなことをやっているから「+2畳で買いましょう」などとポップを書かれてしまうのである。まあメーカーの側からすれば、人間の感覚という曖昧なものより計器が弾き出した数値のほうがずっと信用に値するだろうし、品質検査もしやすいという事情は理解出来るが。

 実はひっそりと「+2畳」分明るくして出荷しているメーカーもあるのかも知れないが、その場合はもう悲劇である。消費者はそんなこと知るよしもないわけで、セオリーに則って「+2畳」分大きなサイズの照明を買ってしまうこともあるだろう。するとそもそも「+2畳」分明るいものが更に「+2畳」分大きくなるので、合わせて「+4畳」分も明るくなってしまうのである。

 これはえらいことになる。格安系ビジネスホテルの客室ひとつ分くらいに相当する光量が一気に増えるのだから大変だ。溶接用の面体や煤をつけたガラスがなければ、天井を直視することも出来なくなるであろう。裸で身を横たえていれば日焼けも出来るかも知れぬ。裸族であればご自宅から一歩も出ることなく、健康的な小麦色の肌が手に入るというものである。LED照明のおかげで日焼けサロンは閑古鳥だ。廃業するものもあるだろう。LED照明の光量が上がったせいで、松崎しげるが日に日に白くなっていくのである。

 実際には、もちろんそんなことはない。なぜなら照明器具に用いられるLEDの殆どからは、紫外線がほぼ出ないからだ。日焼けサロンが廃業して血迷った松崎しげるが部屋の全ての平面という平面に巨大なLED照明を取り付けても、日焼けすることはないのである。

 ちなみに我が家はといえば、その構成員全員が血迷った結果、それほど広くもない居間のために、なんと22畳を満足に照らせるサイズの照明を買ってきてしまった。取り付けてみると居間が異様に明るい。

 分かりやすい例えで言えば、深夜の高速道路を走っていて、気がついてみたら記憶に2時間の空白があったとき並みの明るさである。確実に二の腕や首筋に何かが埋められているパターンである。怪しげな催眠術師が飛んできて、退行催眠で記憶の空白を埋めようと躍起になるだろう。そして二の腕に怪しげなものを埋めた"ヤツら"は、おおよそレチクル座のゼータ星から来ているのである。……分からない人はもう結構!

 居間の異様な明るさを見るにつけ、私は自室の照明の暗さが悲しくなった。夜も更ければ満足に文庫本も読めない暗さなのである。

 光源は勿論蛍光管だ。古式ゆかしいスイッチの紐が伸びているが、スイッチ函そのものがかなり劣化しているため、多少強く引っ張るとパリパリと割れたかけらがカバーの中に落ちる。あるときなど、紐がスイッチ函の根元で千切れてしまい、修理に大変難儀した。天井に設置されているものに対し、ピンセットを使って紐をくくりつけるのだから当然だ。勿論夜なので明かりそのものは点灯状態であり、考えてみれば恐ろしい話だった。

 溜息をつきながら自室に戻り、明かりを点ける。するとどうしたことだろうか、何故か普段よりも明るいのである。昨日の今日であり、別に蛍光管を替えたとかいうことはない。原因は居間の照明の消費電力が低下したこと以外に考えられない。我が家はどうも分電の具合がおかしく、しょっちゅうブレーカーが飛んだりするのだが、流石に居間と2階の私の部屋の電力系統は分かれている。なのにこれはいったいどういうことなのだ。分からぬ。全く何事も我々には分からぬ。

 実際多少明るくなって嬉しいは嬉しいのだが、実は電気屋に行ったついでに、もう自室のほうの照明の交換の算段もしてしまったのだった。こんなことならまだ3年は戦えたな。スイッチの紐の利便性を犠牲にした上での選択だったのだ。

 LEDの照明に足りないものがもうひとつあった。それは紐である。メーカーのほうも顔を洗って紐を垂らしてから出直して頂きたい。出来れば強度の高い紐にしてもらいたいものである。強度など高ければ高いほどいい。もうピンセットで感電しかけるような真似はごめんだ。

 蜘蛛の糸は切れたからこそ文学になったが、実際には蜘蛛の糸というのは非常に強度の高い繊維であり、カンダタ以下罪人が何人ぶら下がろうと決して切れはしないのだ。メーカーにはそれぐらいの気概を持って開発に当たってもらいたい。

 無限に連なる意識の集合体としてのあなたや私が地獄の釜であっぷあっぷしているときに、極楽から照明のリモコンが落ちてきたらどうするんですか。

2022年4月28日木曜日

誠に遺憾に存じます

 (これははてなブログからの引っ越し記事です)

  私は例によって、また例のスーパーへ買い物に来ていたのである。この度の買い物は生姜と甜麺醤であった。

 夕間暮れのスーパーの出入り口には、焼き鳥屋が店を張っていた。今風に言えばキッチンカーとでもなって一気にオシャンティでハイソな存在となり、おつむの軽そうな女子やおつむの軽そうな女子を主食にする前髪が異様に長い男子などが集っていそうだが、有り体に言えば軽トラの荷台が焼き鳥を焼いて陳列する空間になっているだけの代物なので、そのようなオシャンティないしハイソはそのあまりの生活感、あまりの所帯じみたうらぶれという無反動砲の前に粉砕されるものである。おつむの軽そうな女子は酒飲み達のローキック一発でその針金のような足をやられ、おつむの軽そうな女子を主食にする前髪が異様に長い男子はそのご自慢の前髪をバリカンで刈られるのである。ついでに眉毛も剃られる。そんなことはない。

 私も以前職にありついていた頃は、帰宅時の降車駅のそばにあったスーパーの前で焼き鳥をよく買ったものだった。我が家はといえば私の他にまともに料理の出来る者はなく、すなわち私が帰宅してから夕食を作ることがしんどい日は軒並み外食か弁当を買う、という生活であったので、私が焼き鳥を買って帰っても特に文句を言われた覚えはない。

 しかしながら、1日中神経をすり減らして仕事をしやっと帰ってきた、となれば、食うことや飲むことに縋り、日々の鬱憤や恐怖や深い悲しみから逃れようとするのが人のサガである。私もご多分に漏れずそのクチであったので、週末ともなれば焼き鳥をとんでもない本数買い、安くはない酒を湯水のように飲み、ぐでんぐでんに酔っぱらっては2階の窓から下の道路へゲロを撒き散らしたりなどしていたため、実家に住んでいたくせに毎月の貯蓄はほぼゼロであった。何かの間違いで(した記憶のない残業手当がついていた場合など)少し貯蓄が出来ても、それを全額叩いて新品の単車が買える値段のギターを買ったりなどして、文字通り宵越しの金は持たない主義を気取っていたのである。

 もっとも貯蓄が出来ないのは、私が資本主義の神に見放されているせいもある。私が何か思い切った買い物をすると、早いときは数日後、遅くとも数ヶ月以内には、廉価版が発売されたり、値崩れが起こったり、安価で高性能な普及版が出るのである。私はやや意外なことにたかだかウン十ウン年しか生きていないため、まだ思い切った買い物は両手で足りるくらいしかしていないのだが、その全てでそうなった。

 こうなってくると、己が如何に資本主義の神と険悪なのかと答えの出ない問いをむやみに始めてしまいそうである。一体前世でどんな罪を犯せばかような業を背負うのであろうか。もしや私は前世ではトロツキストだったのであろうか。そうでもなければこのような非道が許されていいはずがない、悔しいです、痛恨の極みであります、かくなる上は資本主義を刺して俺も死ぬ、などとトロツキーを前にした佐野碩のように下唇を噛みながら焼き鳥屋の前を通り過ぎようとすると、何やら怒声が聞こえた。

 私はその時左側に75度ほど傾きながら歩いていたので、すわ資本主義の刺客であるな、思想の自由を踏みにじる気か、予防拘禁など以ての外だ、一生「汝姦淫するなかれ」と言いながら薄汚く肥え太った神の足でも舐めているがよい、と思ったのであるが、それも束の間、その怒声は焼き鳥屋――すなわち軽トラの荷台から聞こえてきていることに気付いたのである。

 如何に焼き鳥屋の屋台と化していると言えど、その実態は軽トラである。つまり店舗部分の大きさもかなり狭苦しいのであって、カウンターの間口からその全てが見通せるほどだ。人が1人乗れば、もういっぱいいっぱいといったところである。事実、私が焼き鳥をよく買っていた屋台や、他のスーパーの前などで見かけた屋台なども、店舗部分に乗っているのは常に1人であった。

 しかしながら、その屋台には2人乗っていたのである。店主らしきタオルを頭に巻いた男と、その細君らしきエプロン姿の女が、その狭苦しい店舗部分の内部で何やら言い争いをしているのである。

 おそらく亭主の稼ぎが少ないことでも詰っているのであろう、やや肥満したエプロンの女は頬と顎の下を波打たせながら、まるで駄々っ子のように肩をいからせ地団駄を踏んでいた。対してその亭主はといえば、これも日頃の鬱憤が溜まっているのだろう、売り言葉に買い言葉と言った調子で細君を怒鳴りつけていた。その声が屋台の外にまで聞こえてきていたのである。

 その2人の様子と言ったら、それはそれはもうすごい剣幕であった。顔が真っ赤になるほど頭に血を上らせ、激情に目のつり上がった人間が2人、お互いの鼻息が吹きかかるほどの距離に顔を突き合わせて喧嘩をしているのである。その姿は壮絶を通り越してシュールであった。

 雄牛には角があるからそれを噛み合わせて喧嘩も出来るが、人間の頭はつるんとして何もないから、互いの物理的距離がここまで接近してもまだ十万億土の彼方に轟きそうな鳴き声を出すしかないのであるな、などと、その姿を横目に私は考えていた。もっとも、この場合は片方は雌であったのだが。

 しかしうらぶれた屋台の焼き鳥屋とはいえ、あくまで客商売である。怒声が飛び交う屋台で焼き鳥を買おうなどとする、心臓が起毛素材の猛者はそうそういるものではないだろう。彼らは今稼ぎが少ないあまりに言い争っているが、そのために却って稼ぎが減っていくのである。実際のところ、私は屋台を目にした瞬間には、帰りがけにねぎま串の数本でも買おうかと思っていたのだから。そのあまりの所帯じみた光景に、私のねぎま串への情熱も見事にぶち壊されてしまっていた。

 私は手短に生姜と甜麺醤を買うと、そそくさとスーパーを退店した。買い物を済ませた私が車に乗り込む間まで、屋台からは怒声が漏れていた。まったく資本主義というのは恐ろしい。資本主義のために彼らは喧嘩をし、また資本主義のためにより生活が苦しくなっていくのである。コラ又どう云う訳だ、世の中間違っとるよ~と植木等も歌っておるのだ。

 私は買いそびれたねぎま串のことをあまり考えないようにして帰路についた。私がもし資本主義の土手ッ腹を刺すとすれば、それはねぎま串の竹串によってである。

2022年4月20日水曜日

「ただの存在」という恐怖

 (これははてなブログからの引っ越し記事です) 

 恐怖とは、突き詰めてしまえば「理由付けを拒絶されること」である。

 幽霊を怖がるのも、その存在そのものが我々が信奉する科学の埒外にあるからであり、百歩譲って何かしらの物理的現象が起こっているとして、その物理的現象を引き起こしたはずの力学がそこに求められそうにないからである。

 高い場所が怖いのも狭い場所が怖いのも、あるいは人によっては尖ったものやブツブツしたものなどが怖いのも、それを恐れる理由が分からないからである。理由や原因を推察したり組み立てたりする足場がない、ということに人は恐怖を覚えるのだ。

 昔、panpanya氏の『引っ越し先さがし』という短編漫画に、"訳なし物件"なるものが出てきた。

 築6年、何の変哲もない物件なのだが、家賃が"訳もなく"安いのだ。"訳もなく"ダミーのコンセントがついていたり、"訳もなく"洋室に襖がしつらえてあったり、"訳もなく"天井の一部が出っ張っていたりする、という物件なのである。

 結局主人公はその物件に入居することをやめたわけだが、その理由として"訳が分からなければ安心はない"ということを挙げている。

 実際我々の生活の中にあっては、"訳なし"、すなわち"ただの存在"というものはほぼ存在していない。理由あってそこにある。そこにいる。そこに売っている。見渡せばみな何らかの理由があって、存在しているのだ。

 考えてもみたまえ、あのさも当然のような顔で座っている山や泰然と流れている川ですら、「どうしてここにあるのか」という理由付けは為されているのである。"おそらく"と枕詞はつくが、大体何万年前にこうこうこうなって出来たのだ、と理由付けがあるのである。そこに山の怪や河童などの恐怖が差し挟まる余地はない。そもそもそれら妖怪という存在ですら、人間が様々な現象の理由付けのために生み出した概念に過ぎないのであって、それが近代以降、科学というより蓋然性のある理由に取って代わられただけの話だ。

 すなわち、人間の好奇心は恐怖と表裏一体だということである。なぜ、どうして、という恐怖からの問いに耐えられなくなって人間は好奇心を行使するのだ。危険かもしれない、と思っておきながら、その実は安心したいのである。

 幽霊の正体見たり枯れ尾花――と諺にもあるように、我々は物事を因果律に沿って捉え、ある程度筋道が立てば安心する。その過程で陰謀論にハマったりする虞もあるのだが、その話はこの雑文とは一切関係ないので割愛する。この過程は一見理論的であるようにも見えるが、これは因果律に担保された安心感を常に私達にもたらしてくれるとともに、よりその埒外にある存在との落差を深め、恐怖をより大きなものにすることにも着目したい。

「トマソン」という存在がある。

 これは主に不動産に付属し、何の役にも立たないのに、展示されるかのように美しく保存されているものを指す呼称で、赤瀬川源平らが1982年に提唱した概念だ。例を言えば無用の階段、無用のトンネル、無用の窓など。

 先ほどの"訳なし物件"などはその典型だ。ただし、トマソンは「かつては意味があった」ものも内包する用語であり、"訳のない天井の突起"などはトマソンの分類で言えば何故作ったのか分からない"純粋タイプ"と呼ばれるものに当たり、区別されることを留意されたい。

 実際には、純粋タイプと目されるトマソンの中にも、全く理由なく存在しているものはほぼないだろう。それはトマソン自体が事実上来歴や理由には無関心の概念だからで、そこには必ず何かしらの理由があるのである。

 それ故に、「ただ存在しているだけの存在」というものは恐怖である。実際のところ、世界と人間が作りだしたものには全て理由、または理由付けが出来る。宇宙の始まりですら推論があるのだ。しかしながら、人間のそばにありながら理由付けがまったく行えない「ただの存在」たり得るものがひとつある。

 それは「人間そのもの」である。

 我々はただ存在している。ミクロな視点でなら、明日会社に行かねばならないから生きているとか、そういうことは言えようが、会社に行かずとも、もっと言えば生きて生殖をせずとも、本質的に人間はただ存在しているのである。

 宇宙には推論がある。宇宙に存在する星々にも推論がある。すなわち、その星に住んでいるかも知れない生命には推論がある。ということは、その生命は「ただの存在」たり得ないのである。この広大な宇宙の中で「ただの存在」たり得る人間は孤独な種族であり、そうなればこの観測可能な宇宙、150億光年の大きさの中に隣人はいないのだ。我々の実際の孤独は、谷川俊太郎が覚えた20億光年の孤独の7.5倍であった。

 あるいは我々が信奉する科学こそが間違っているという可能性はあるだろう。科学は未だに発展途上であり、ことあるごとに修正されている。しかしながら根底に流れているのは因果律であり、因果律が破壊されてしまうと、全てが立ちゆかない。我々の存在こそが我々の生み出した科学を打ち砕く弾丸になってしまうのだ。

「本当に怖いのは人だよ」とうそぶくホラー映画マニアも、なまじ間違ったことは言っていないのだろう。我々こそが恐怖である。別にアンゴルモアの大王とか、マヤ暦とかを持ち出すまでもない。

 そのことに自覚的に生きたいものだ、ただの存在として……。

2022年4月16日土曜日

うどん屋と国際色とBMW

 (これははてなブログからの引っ越し記事です)

 私はうどんを食べていた。

 昼下がりから買い物に出て洗車まで済ませると流石に夕食の準備が面倒になって、家からは少し遠いものの、割と好んで訪れるうどん屋に今日も来ていたのである。

 ここのうどんは所謂讃岐タイプに代表されるようなマッチョなうどんではなく、滑らかで柔らかく、長い。とにかく長いのである。おそらく1本が50cm以上ある。ざるうどんなどの「うどんを別添えのつけだれに浸して食べる」タイプのメニューを頼むと、腕をどこまで上げてもうどんが途切れず、地獄を見る。だから私は基本的に啜ればいいだけの温かいうどんばかり注文するのだが、それはそれで啜れども啜れども熱々のうどんが延々と続き、場合によっては別種の地獄である。

 しかしながら市井のうどん屋としては比較的珍しいタイプのうどんが食べられるので、案外重宝している。それに、きょうび讃岐タイプのマッチョうどんはどこでも食べられるようになった。マッチョうどんもそれはそれでうまいが、私はどちらかと言えば柔らかいうどんのほうが好きなので、この店を好んでいるのである。

 話を戻そう。私はうどんを食べていた。今日は何の気まぐれか、いつも頼むちゃんぽん風うどんではなく、辛ちゃんぽん風うどんを注文していた。

 ふつう我々が想像するちゃんぽんと言えば、長崎のちゃんぽんであろう。野菜やかまぼこを鶏ガラスープや豚骨スープで炒め煮にしたあれである。あれは実際に長崎市内の中華料理店が発祥であるそうだから、所謂狭義の中華料理と言って差し支えないだろう。厳密には長崎市内の業者が製造する「唐灰汁」と呼ばれる独特のかん水(一般的なかん水よりも炭酸ナトリウムの割合が高いものらしい)を利用して製麺されたものが、長崎ちゃんぽんと呼称することを許されるそうである。

 しかしながら、この店のちゃんぽん風うどんはおそらく和風出汁ベースの塩味スープで野菜と肉を煮込んであるもので、これがうどんとよく馴染みうまいのである。調べてみると、福岡や北九州などで「福岡ちゃんぽんうどん」と呼称しよく似た料理を提供する店があるようだ。その系譜なのかも知れない。

 辛ちゃんぽん風うどんはそれに辛味を足したもので、割としっかり辛い。大衆店がレギュラーメニューとして出すにはギリギリの辛さだと思うが、これもうまい。

 私がうどんに舌鼓を打っていると、隣のボックス席にいる家族連れの会話が耳に入ってきた。夫婦と姉弟に見える4人組だ。

 盗み聞きなど悪いと思いつつ、私の耳は意識して声を聞き分けることが出来ない代わりに、意識して聞かないようにすることも出来ないので、なんとなく耳をそばだてつつうどんを啜っていた。

 なぜ私の散漫な意識が隣の家族の会話に向いたかと言えば、それが中国語だったからである。私は浅学にして中国語を解する能力はないのであるが、何度聞いても日本語には聞こえず、抑揚や声調なども中国語に酷似していたので、おそらくではあるものの中国語だったと思う。厳密には違うのかも知れないが、とにかく日本語ではなかったのだ。ここでは中国語ということにしておいてもらいたい。

 声の調子から察するに、その主は姉と思しき少女であった。父親と思しき男性と、息子と思しき少年は普通に日本語で話していたので、余計におや、と思ったのである。まあきょうび国際結婚など珍しくもないし、そのような家庭では両親とはそれぞれの母国の言語で会話する子供たちもいるという話は聞いたことがあるので、この家庭もそうなのだろうと思ったまでだった。

 しかし、姉が話しているのはどう見聞きしても残った母親らしき女性なのだが、その母親は、その中国語に日本語で応答していたのである。適当を言っているようなそぶりもない。会話は十分に成立しているように聞こえた。

 私は感動した。これはフィクションにおいて、設定上異邦人のはずのキャラクターとスッと話が通じる、あのシチュエーションを観察しているようなものではないか。

 小説や漫画などでは、当たり前に存在するはずの言語の壁を殊更描写することは、それそのものに特別な意図がない限り面倒なことである。フィクションの中の登場人物達の間では会話が成立しているのだとすればいいが、それを読む読者の言語学への造詣までは作者も担保できない。もしポアロが突然本当にフランス語で話し始めたら、我々はもうお手上げである。第一、フランス語には例外が多すぎる。例外と辞書で引いたらフランス語が載っている。ナポレオンも不可能という言葉はフランス的でない、フランス的とはすなわち例外であると言っている。これは勿論嘘である。ポアロの口をつくフランス語は一言で、しかもルビに過ぎないのだからこそ、我々のつるつるプリンの如き安直なピンクの脳細胞はギリギリ理解できるのだ。

 あるいは映画やアニメなどでは、異邦人はスッと日本語を喋り始めたり、吹き替えのように日本語がインサートで乗っかってきたりもする。その方が鑑賞者にも理解がしやすいからだが、しかし現実とは映画ではないので、普通2者が何か会話をしようとすれば、2人の間には共通した言語が交わされるものである。英語なら英語、日本語なら日本語というように。それぞれの母語以外に何か共通の言語があれば、それを用いることもあるだろう。しかしながら、その2者がそれぞれ別の言語を話しながら意思の疎通が図れているという構図は、実際に目の当たりにするとかなりシュールなものであった。

 俗にバイリンガルと呼ばれるタイプの人々はこうやって会話することも可能なのだろうか。まあわざわざ違う言語を用いて話をするメリットはほぼゼロだろうから実際にはそういうシチュエーションは起こらないのだろうが、できることはできるのであろう。

 2つ以上の言語を解し話すことができるというのはどういう感覚だろう。私は6年間学んだ英語を「そこそこ聞け、そこそこ読めるが、話せない」程度でしか理解していないため、残念ながらその境地には至ることができない。しかしながら空耳アワーが楽しめなくなるのは困るので、実際今くらいの理解でいいのかも知れない。

 大体、こんにちの機械翻訳の質の向上も目覚ましいものがあるしな。困ったら機械に頼ればよいのだ。軽率に機械を過信して公衆便所にBMWで突っ込むのはドイツ人の悲しきサガだ。勿論私はドイツ人ではないが、ソーセージとじゃがいもとザワークラウトとビールが大好きなので、ドイツのことは好きだ。ドイツが好きな者であれば、やはりBMWで公衆便所に突っ込むところまでは様式美と言えるだろう。勿論そんなことはない。

 私がそんなことを考えている間に、いつの間にか隣の家族は退店していた。家族の素性については、当たり前ながら全く分からなかった。まあ、うどん屋で隣に座っただけの客にあれこれ詮索されるのも心外であろう。

 その時私はうどんとセットのミニカツ丼に取りかかるタイミングだった。以前まで3切れ乗っていたカツは、2切れに減っていた。

 まったく世知辛い世の中である。耄碌した老人のおっぱじめた下らぬ戦役のために何もかも値上がりしておる。今後機械が更に発展して『ターミネーター』の如く人類を脅かしかねないとしても、人類は機械に滅ぼされるまでもなく、機械を過信して勝手に滅んでいくのだろう。

 その前にBMWで公衆便所に突っ込むことができるのは、実は今だけかも知れない。機械は機械を過信しないので、自動運転車が公衆便所に突っ込むことはないのだ。もはや公衆便所に突っ込むことはドイツ人とドイツ好き人の、いや人類の尊厳である気がしてきた。あなたも公衆便所に突っ込みたくなってきたのではないか。公衆便所に突っ込んで人類の尊厳を取り戻そう。耄碌した老人だって隣国に突っ込まず、戦車で公衆便所にでも突っ込んでいればよろしいのである。戦争をやめろ。便所に突っ込め。

 私は泣いているのだ。それはミニカツ丼のカツが減っているからではない。断じてないのである。

2022年4月15日金曜日

耳と受話器の話

(これははてなブログからの引っ越し記事です)

 私は耳がいい。

 きょうびこんなことを書くと修羅のインターネッツには自慢だと受け取られ、音楽や楽器関連の趣味や仕事を持つ人間、すなわち日本人のほぼ全てから夜道で刺されそうであるが、この「いい」というのは別に教養があるとか、絶対音感があるとかいったことではない。単純に、小さな音も大きく聞こえるということである。

 これもまた補聴器もどきの耳かけ式集音器の軟派なテレビCMみたいなセンテンスであり、小さな音が聞こえなくなった壮年熟年層から刺されそうであるが、老人性難聴は50歳頃から見られるものの、顕著に増加するのは大体65歳頃からと言われており、その割合は年齢によって異なるがざっと平均を取ればおそらく5割くらいだと思われるので、65歳以上の人口のおよそ半分である1810万7千人に気をつけていればよくなるのである。これは日本の総人口のおよそ15%程度に満たない数字であり、私が夜道でブスリとやられる心配も85%の大幅減を実現するのだ。

 ちなみにこの数字の出典は総務省統計局ホームページの人口推計(令和3年10月確定値)を参照している。まさか統計局もこんなくだらない雑文に引用されると思ってはおるまい。どうだ参ったか。ケケケ。

 冗長かつ妙に数字に細かい冗談はさておき、私は耳がよすぎて困るのである。たとえば、未だに18kHz程度のモスキート音なら聞こえてしまうし、映画やライブ、果てはクラシックのコンサートですら長く聴き続けていると気分が悪くなる。血管に血が流れる音が耳につき、自分の鼓動がうるさくて眠れなくなることもある。そんなときは扉を隔てた時計の秒針や、自室の壁に掛かっている連続秒針の音ですら気になってくるのだからたまったものではない。枕元の携帯の急速充電器も非常に高い音で唸っていたりする。

 こんな経験をしている人はあまり多くないようだ、という体感によってのみ私は自身の耳がピーキーな性能であると結論付けるわけだが、世の人の大半がこんな調子であるならば是非ご指摘を賜りたい。ついでにどうやって生きているかも教えてもらいたい。

 というのも、上で私の耳は小さな音も大きく聞こえると書いたように、私の耳には指向性らしきものが存在しないようなのである。

 ふつう、人は人混みなどの騒がしい場所においても、自分が聞きたいと思った音に集中することができるらしい。これをカクテルパーティ効果と呼ぶそうだが、私にはこれが少々難しい。聞こえる音は全て一定の音量を保ち続けており、その中から特定の声だけを聞こうとするのは骨の折れる行為なのである。なんとなくの抑揚やジェスチャー、果ては表情や目線の動きなどから言っていることを類推することしか出来ない場合もあり、よって私は騒がしい場所で話をすることをあまり好まない。酒に酔うと殊更声が大きくなるのだが、これは酔っぱらうと声以外の部分からの類推がうまく出来なくなるため、相手も大きな声で話してくれるように促している側面もある。

 このように、耳がいいというのも困った話なのである。自分ではどうしようもないのでもっと困るのである。実のところ一番困るのは自身が弾くギターのビビリやビレやフィンガーノイズにどこまでも神経質になってしまうことだったりするのだが、この場合は「アンプを通して聞こえなければ問題なし」という明確な線引きがあるので分かりやすい。

 そういえば私は電話も苦手である。受話器から聞こえる音と、受話器を当てていない側の耳から聞こえる音が混じり合って、話を聞き取れないのである。

 世の家電メーカーはヘッドフォン型の受話器を標準搭載してほしい。勿論ノイズキャンセリング機能付きである。電話が鳴れば、受け手はスチャッとヘッドフォンを装着して外部の音をシャットアウトするのだ。理想的だ。全く理想の受話器だ。

 大体、なぜ人類は受話器は片耳だけでいいと思っているのだ。考えられる可能性としては、電話で誰かと話しながら、その上で外部の音を聞く必要があるということである。しかし、それは我々が日常で電話を使う上では、かなり特殊なシチュエーションであると言えよう。

 たとえば、戦場であればそうだろう。のんきに前線司令部とヘッドフォンで電話していたら、敵の接近にも吶喊の号令にも気付けないではないか。

 あるいは、手術中の医師などもそうであろう。手術中に患者の心臓が止まって警報音が鳴っても、医師は気付かずヘッドフォンで実家の母と帰省の予定などを話し合っている。母ちゃん今年も帰れそうにないよ、などとのたまっておる。我が国の医師の激務ぶりには大変痛み入るが、なにも今そんな話をしなくてもよかろう。えーい静まれ静まれ、患者一匹が死にかけておるのだぞ。三島由紀夫ならそう言って自決したであろう。というわけで医師が実家の母と談笑している間に、死体が2つ出来上がるという寸法である。いやそもそも手術中の医師が電話に出ている場合か。これは電話の構造より運用体制を見直すべきである。

 そもそもついでに言ってしまえば、こんなことはそもそも起こらないのである。こんなシチュエーションなど私がテキーラを3杯ショットで飲んだために生まれてきただけであって、本当はないのである。それに三島由紀夫はもう墓の下である。ではなおさら、家電メーカーは電話の受話器をノイズキャンセル付きヘッドフォンにするべきではないか。

 勿論、携帯電話ではだめだ。道を歩きながら話をすることも多かろう。会話に夢中で車に轢かれたり自転車に轢かれたり、穴に落ちたり山に登ったりしてしまうに違いあるまい。何しろ歩きながら通話をしているときの我々のIQはウシガエル並みにまで下がっていると言われているので、ウシガエルよろしくアスファルトの上で平たくのされてしまうのがオチである。そんなことはない。ねんのため。

 となればやはり固定電話こそ、受話器をヘッドフォン型にするべきである。固定電話を持ち歩いて通話する馬鹿は、世界広しといえどもおるまい。道で固定電話を持ち歩きながら通話している人がいるとすれば、それはいつもの小道具を家に忘れた平野ノラだけである。

 なぜヘッドフォン型受話器は普及していないのか。これは相当なビッグビジネスの予感がする――と酒の勢いでここまで書いてきたところで、BGM代わりに点けていたテレビの通販番組が「30分間オペレーターを増やしてお待ちしております」などと抜かしていた。コールセンターらしき場所で、にこやかに対応する妙齢の女性の耳には、ヘッドフォン。

 忘れていた。ヘッドフォン型の受話器は既に存在するのである。ざっと調べてみたところ出るわ出るわ、普通の固定電話に直に差せるヘッドフォン型受話器のオンパレードである。主に30分間だけ増員される類いのオペレーター達には人気のようである。

 願わくは、これがあの不格好な受話器を駆逐して、世界標準になってもらえまいか。今のところその気配は全くない。やはり、30分間だけ増員される、という特殊な形態の雇用では、社会の中で存在感を持つことなど出来ないのだろうか。

 あるときは私立探偵、またあるときは片目の運転手、またあるときはインドの魔術師、果たしてその正体は――30分間だけ増員されるコールセンターのオペレーターである。これは冴えないなあ。こんな多羅尾伴内ではチャンバラ禁止にあえぐ東映を救えはしなかったはずで、すなわちヘッドフォン型受話器の天下も遠いのである。

2022年4月11日月曜日

崩壊

(これははてなブログからの引っ越し記事です)

 私は缶詰を眺めていたのである。

 場所は近所のスーパーマーケット。時刻は夜8時過ぎ。私の手にはオイスターソースが1瓶と、キュウリが3本握られていた。明日の夕食の材料である。

 家から少し離れた場所にある資源ゴミの堆積場に古新聞やダンボールなどを出しに行った帰りに、昼間買い忘れた食材を買うため、私はその店に入ったのである。

 まずオイスターソースを手に取り、キュウリを3本、備え付けの薄っぺらなポリ袋に詰めて持った。夜8時も過ぎた店は客の数もまばらで、蛍光灯の明かりがどこかうらぶれたように白々しく、鮮魚コーナーや精肉コーナーには空白が目立っていた。

 それらを横目に眺めながら歩き、菓子売り場で先日終売となった「スーパーソーダガム」がまだ売られているのを見て、ぶらぶらと足を缶詰・瓶詰の棚へと向けたのである。

 この店というのは立地が近所であるというだけで、別段安いわけでもうまいわけでもないので、普段はあまり立ち寄らない。こうして買い忘れに気付いたときや、どうしても他の店に行く余裕がないときにだけやってくる程度の店である。そんな程度の利用であるから、どこに何が並んでいるとか、どういった程度の品揃えだとかはよく分かっていない。よくよく棚を眺めると、聞いたこともないようなメーカーの見たこともないような商品がいくつも並んでいたりする。私はそういうものを見るのが割と好きな部類であるので、しげしげと棚を眺めながら、問題の缶詰・瓶詰の棚がある条までやってきたのだ。

 このように、今思い出せば、詳しい事の次第や状況を説明できる。しかし。

 私は缶詰を眺めていたのである。聞いたこともないメーカーが出している、どうやらかなり辛い味付けらしい鰯の缶詰を見つめた、その瞬間だった。

 長いトンネルを抜けたときのように、視界の輝度が急に上がったように思われた。反射的に首を動かすと、ほんの一瞬ではあったものの、あたかも酩酊したときのように世界にモーションブラーがかかった。

 そうして私は、ここがどこで、私は一体何をしていて、どうしてここにいるのかを、全て忘れたのである。

 いや、忘れたというのは正確ではない。思い出せなくなったと言った方が正しい。より正確に記すならば、それらの理由が書かれたフリップを、曇りガラスの向こうに置かれてしまったような感覚に陥ったのだ。

 世界から音が消えた。レジスターの音、客の話し声、冷蔵庫の唸り声、あれほど調子よく鳴っていた有線放送も聞こえなかった。

 私は何故か、咄嗟に「帰らなきゃ」と強く感じた。しかし、一体どこへ帰るというのか。家へか。そもそもここはどこで、どこへ行けば家へ帰れるというのか。あるいは元の世界へか。元の世界、元の世界とは、一体何か――。

 気がつけば私は、缶詰・瓶詰の棚がある条を通り抜けていた。世界の輝度は元の仄暗さに戻っていた。有線放送の気の抜けた電子音が、頭上から降ってきていた。私の手にはオイスターソースが1瓶と、キュウリが3本握られていた。そして、そこは近所のスーパーマーケットだった。

 私は缶詰を眺めていたのである。缶詰を眺めながら、その条を歩いていたのである。オイスターソースとキュウリを手に持って。

 今思い返せば、それはたった数秒のことだったように思われる。人間は危険を感じたとき、視覚情報を処理することよりも危機を回避することに集中すると聞いたことがある。そのために視覚情報の処理が遅れ、世界がスローモーションで見えるのだという。

 もしこの体験がそうだったとして、私は一体何に危険を感じたのだろう。全ての記憶が曇りガラスの向こうへと置かれ、アクセスを遮断されたことに危機を覚えたのだろうか。それは危機というよりも、どちらかといえば恐怖に近いものであったと思う。それは、私が私でなくなることの恐怖、人格が崩壊することへの恐怖であった。

 私は足早に会計を済ませ、店を後にした。ガラス張りの自動ドアには私の顔が映っていた。心なしか青ざめた顔が。

 崩壊とは、得てして突然起こるものなのかも知れない。

2022年4月10日日曜日

「雑文」への憧憬

(これははてなブログからの引っ越し記事です)

 かつて、インターネットには「雑文書き」と自称する人々がいた。

 それはWebが2.n番台以降の大型アップデートをするよりも以前、インターネットがまだ贅沢品だった時代の話である。人々はこぞって夜11時を心待ちにし、例の児童用鉛筆削りみたいなデザインのアイマックに憧れ、HTMLを手打ちし、2000年問題に恐れ戦いていた。電車男がエルメスを助けるよりもずっと以前の話である――このくだりは軽いジャブ程度に誇張して書こうとしたが、私自身が直撃世代ではないことと、書いていてちょっとクラクラしてきたのでこのくらいにする。

 当時、インターネット上に画像を載せることは基本的に御法度であった。テキストのみで構成されたサイトに比べ、画像はデータサイズが大きく、読み込みに時間がかかるためである。例えば現代でこそ阿部寛氏の公式サイトは低スペックマシンのベンチマークのように扱われているが、氏のサイトは当時の基準でみればかなり手の込んだ作りだと言える。そういう時代だったのだ。つまり、この世に存在する個人のサイトというのは殆どがテキストサイトだったのである。自称「雑文書き」達は大なり小なり、こうしたサイトを(おそらくHTMLを手打ちしながら)運営していた。

 私はといえば、かつて「デジタルネイティブ」と呼ばれた世代の中で、どちらかといえば古参に入る部類、という非常に中途半端な立ち位置にある人間である。かろうじて学校やご家庭にPCはあったが、それで見るものといえばおもしろFlashの類いと相場が決まっていた、と言えば、大体絞り込めるだろう。多摩美出身の二人組がモナーとなってコントをやり、モルドバ出身のグループが狂ったようにマイアヒと歌い、暴走する路面電車をドナルドが止めようとして轢死し、CJは警察と市民から必死に逃げていた。これまたゆるふわな時代であった。

 私は――自宅に家族共用のPCがちゃんとあったのにも関わらず、意外にも――当時はまだインターネットとは距離を置いており、もっぱら本の虫であった。所謂活字中毒と呼ばれる状態で、家のめぼしい本は読み尽くし、スーパーのチラシや電話帳を読み、父の蔵書の青年漫画に手を出して、この世に「エロ漫画」というものが存在することを知ったのだから業が深い。その後なんやかんやあって、未だに消えないトラウマを背負う羽目になるのだが、それはこの文章とは関係のないことなので割愛する。

 実際のところ、私がインターネットと急速に接近したのは、もっぱらエロ目的だったことを明言しておきたい。勿論最初はインターネット上のエロコンテンツのことなど頭にもなかったが、ひょんなことから兄のエロ画像フォルダを発見したことで全てが狂ったのである。迂闊にも兄は共用PCでエロ画像を保存していたため、最初の内はそれを漁っていた。兄のブックマークなどからエロサイトを覗くことを覚えたのは、また兄の部屋でプリントアウトされたエロ画像を発見し、そのヘッダに記されたURLのサイトに飛んでみたことがきっかけである。

 話が脱線しすぎた。この手の自分語りが多くなるのは私の悪い癖である。私は中身が空っぽなので、もとより少ない体験を水増しして水増ししてシャバシャバにしたがるのである。アメリカで密売されるヘロインのような話だ。もとは何の話だったかというと雑文書きの話である。

 彼らは日常の悲喜を軽妙な文章に乗せてただ書いていた。尤も、インターネットの人口が星の数に迫らん勢いの今日から考えれば、当時はインターネットなどまだまだ小さいコミュニティであり、付き合いもハードルが高くその分濃密であったのだろうから、彼らが読者を想定せず、ただ自己顕示欲の発露として書いていたわけではないことは理解している。

 しかしながら今現在、「ただ書いた」長文を発表できるものとして想定された場はほぼないような気がする。このはてなも技術書から業務連絡から、何かしらの目的が付随したブログが殆どだと思う。twitterなどのSNSはシステム上長文を書くのは望ましくなく、小説家になろうなどのサイトはそもそも小説を書く場だ。

 あれほど隆盛を誇った雑文書き達は、どこへ行ってしまったのだろう。今生きているとすれば50歳代前後だと思われる。まだ死ぬのには早い歳だろうから死んでこそいないだろうが、その筆力を活かしてエッセイストにでもなったというような話も聞かない。大体そんなおいしい話が転がっていれば、人類は皆エッセイストになるのである。平成のエッセイスト大爆発が起こっていたはずなのである。こう呼ばれるのは、平成以前のエッセイストは硬い細胞を持っておらず化石として残らなかったため、近年まで我々の知るところとならなかった側面が大きい。勿論そんなことはない。

 持って回った冗談はさておき、2006年で更新の止まった雑文サイトなどを見ていると、本当に生きているのかといぶかしく思ってしまうのも無理のない話であろう。

 かくいう私も個人サイト・ブログの類いをtumblrなどのマイクロブログサービスを除けば4つほど運営してきて、更新が年単位で途切れることなどザラであった。現にここも更新が途切れがちであるし(日記として更新するのは少し前にやめてしまった)、最もひどいところなど更新材料がなさ過ぎてまるっと16ヶ月更新が止まっていた。

 twitterをやっていることもあり、日常の機微はそちらで書いているから長文にできないのかといえば実際そうでもない。確かに私のtwitterアカウントのメインコンテンツは日常の機微と冷笑主義とポルノであるが、実のところpost数は2017年を境に減少傾向であり、1000post/月を割り込むことも多くなってきている。

 その主たる理由は私が無職になったこと、twitter上の世論に辟易したこと、私のこのひねくれた性格のせいでネット上・リアル問わず友人が激減したことなどである。「本当に難しいのは、手放すこと、なのだ……」とどこかで聞いた台詞を口走るまでもなく、モノ以外には執着しない私の、シビックの如きシャープなコーナリングについてこられない愚物のなんと多いことか。泣いてはいない。いないったら。

 つまるところ、私は本当なら何かしらの形でアウトプット出来たはずの日常の機微を無視して生きていることになるのだ。これはよろしくなかろう。

 愛の対義語は無関心である、と説いた古人もいたように、日常に無関心であり続けると、人間は勝手に生きることを放棄するモードに突入する。これは実体験をしてそうだと言える。あの時地下鉄のホームゲートを乗り越えていれば、私は今この文章を書いていないし、無職になり気難しくなって友人を失うこともなかったのである。どっちがよりよかったのかは人それぞれの解釈だと言えるが。

 とにかく、私はもう日常の機微に無関心ではありたくない。そんな折、私の脳裏に浮かんだのは、在りし日の「雑文書き」達の姿であった。彼らと私達とでは、時代も置かれた環境もエロ画像の蒐集のしやすさも、もう何もかもが違うわけだが、それ故に彼らが行っていた「ただ書く」という行為の価値が輝くとでも言おうか、「インターネットが秘密の遊び場だった時代」の残り香、ある種のフロンティア精神――考えてもみたまえ、PCの前に座り、背筋と根性とを直角にひん曲げて延々とキーボードを叩き、誰が読むとも知れない文章を(それでも読者を想定しながら)「ただ書いている」のは、最も生産性の3文字から遠い行いではないか――を、この実用第一主義、現世利益にまみれてしまった今日のインターネットの中で行使することは、"ほんとうの表現"たり得るのではないかと思ったのである。

 それは殊更に悪趣味であったり、殊更に冷笑主義的であったりすることは意味しない。ただ単に、自身のひとつの側面の発露として、適度に悪趣味で、適度に冷笑主義的で、適度にデカダンであることを目指す、という、かつては私小説というものが担っていたジャンルである。なんだか志賀直哉が墓の下でのたうち回りそうな話はさておき、昨今のインターネットに溢れる、周辺光量を落とし、「ポップ」フィルタをかけ、ハッシュタグの熨斗をあたかもB級映画に出てくるハッカーが使っているマックブックの如くベタベタ貼りつけた写真ばかりが、表現ではないのだと言いたい。

 ……とまあド大層なご高説をぶったが、要はここを、かつての「雑文書き」達のような文章を書いてゆるく更新していく場所にしたいなと思ったのだ。おそらく、時折まじめに映画の話もするだろう。ふざけて音楽やギターの話もするだろう。思い出したように怪談もするだろう。

 しかしその全ては、インターネットという薄っぺらい膜を通して見えているものだということを覚えておいて欲しい。無限に連なる意識の集合体としてのあなたであり私が、インターネットを通じて見ているもの、そして知覚するもの、あるいは生活や人生の全ては、虚構であるのかもしれないのだから。何もかもが現実ではない。それゆえ私達は何ひとつ不安に思うこともないのである。ジョン・レノンがそう言うのだからそうなのである。似たようなことは京極夏彦も書いていたような気がするが、私は夢の中で自分が殺した人の家に立ったことなどないし、指ぬきグローブなど気恥ずかしくて身体が自然発火するため着用できないので、ジョン・レノンのほうが卑近な存在に思えるのである。そうだと言ったらそうなのである。

 ここに書いてあること、その現実性の担保は、これを読むあなた自身の中にあるのだ。